ロイ・ハーグローヴがわずか49歳でこの世を去ってから早5年――稀代のジャズトランペッターである彼の人生に迫るドキュメンタリー映画「ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅」が命月11月に日本で公開される。監督を務めたのはハーグローヴと同世代で30年近くにわたって親交のあったエリアン・アンリ。2人は2016年から1年半かけて構想を練り、2018年1月から撮影を敢行、結果としてハーグローヴの最後の1年をカメラに収めることとなった。

人工透析を受けながら演奏活動を行う過酷な日々と、そうした病を微塵も感じさせない、窓辺でリラックスしながら、あるいはステージで白熱しながら奏でるトランペットの音色。本作にはそうしたロイ・ハーグローヴのリアリティが刻まれているとともに、映画のエグゼクティブプロデューサーを務めたエリカ・バドゥをはじめ多数のミュージシャンたちのインタビューを差し挟むことで、ハーグローヴの足跡と功績をあらためて確認できるドキュメンタリーに仕上がっている。そこからは、生粋のジャズミュージシャンでありながら、ヒップホップやR&Bを取り入れてジャズを拡張した、現代のジャズシーンの先駆としての姿もありありと見えてくる。

だがやはり触れざるを得ないのは、ロイ・ハーグローヴの映画であるにもかかわらず、奇妙なことに、彼の楽曲が一切劇中に出てこないことだろう。それはハーグローヴの元マネージャーであり、没後も自身の会社で音楽の管理をしているラリー・“ラグマン”・クロジアーが楽曲提供を拒否したことによる。こう説明するとクロジアーはミュージシャンを食い物にする悪しきビジネスマンに見えるかもしれないが、そして実際に複数のミュージシャンから批判が噴出しているものの、しかしながら、ハーグローヴにしてみれば精神的支柱のような存在でもあり、〈正直な男〉なのである。

つまり、ことはそう単純ではないのだ。だがそのことによって本作は、ロイ・ハーグローヴの伝記的ドキュメンタリーというだけでない、〈クリエイティブとビジネスの葛藤〉をはじめミュージシャンが突き当たる複数の普遍的ともいうべき問いを問いかける映画に深化している。もちろん、本作の場合はそこにアフリカンアメリカンが生み出すジャズと白人による搾取というポリティクスも重なってくる。「この映画にはブラックミュージックの歴史が全て詰まっている」――そのように語るエリアン・アンリ監督に、映画の制作秘話からジャズのアクチュアルな問題に至るまで話を訊いた。


 

リアルで生々しいロイ・ハーグローヴの人生を切り取った作品にしたかった

――映画を鑑賞して印象的だったのは、まるでロイ・ハーグローヴが目の前で生きているかのようだと感じたことでした。それは本作がもともとロイの生前に完成させる予定で撮影されていたこともあると思いますが、ロイの姿に加えて、彼の没後に取材した周囲のミュージシャンの証言が絶妙なバランスで織り交ぜられているからだとも思いました。映画の作り方として、証言による回想をメインにするといった方法もあり得ますが、本作のようなある意味で独特な構成となったのはなぜだったのでしょうか?

「最初から本当にユニークな映画を作りたいと思っていました。ただインタビューだけで構成された、時系列を追った線的なドキュメンタリーにするのではなくて、リアルで生々しい、ロイ・ハーグローヴというミュージシャンの人生を切り取ったような作品にしたかったんです。

私がドキュメンタリー映画で好きな作品は2つあります。チェット・ベイカーの『レッツ・ゲット・ロスト』(ブルース・ウェバー監督/1989年)とチャールズ・ミンガスの『Mingus: Charlie Mingus 1968』(トーマス・ライヒマン監督/1968年)です。実は今回、これらの作品を目指したといいますか、参照しながら撮影を行なっていました。どちらもいわゆるシネマ・ヴェリテの手法で撮られた作品です。単なる情報だけを詰め込んだドキュメントではなく、アート性がある作品にしたいと思っていました」

――チェット・ベイカーとミンガスの映画は、以前から好きで〈いつかこういうドキュメンタリーを作りたい〉と思っていたのでしょうか? それとも今回撮影するにあたって参照したということですか?

「自分でドキュメンタリー映画を作ろうと思ったときに、研究のためにさまざまな音楽ドキュメンタリー映画をリサーチしました。なのでもともと知っていたわけではなかったのですが、リサーチした中でもやっぱりこの2つの映画が、自分のやりたいこととすごく合致しているなと感じて。それ以外の音楽ドキュメンタリー映画は、多くの場合、いろいろな人物が出てきて証言するというようなインタビュー中心のスタイルなんですけど、そうはしたくなかったんです。

今回、ミュージシャンからすごくいいインタビューが取れていたので、最初の頃にお願いしたエディターは、どうしてもインタビュー中心に編集をしてしまっていました。〈私がやりたいのはそうじゃない〉と、いくら説明しても、〈なんでこんな素晴らしいインタビューが取れてるのにそうしないんだ?〉ってわかってもらえず。

私としては、ロイの最後の1年間を中心に掘り下げていくドキュメンタリーにしたいと思っていて。3人目に雇ったエディターにはその意図が伝わって、ようやく完成に漕ぎ着けました。関係者の証言を連ねるだけでなく、ロイの人生に何が起きていたのかを見せるというようなやり方です。そのやり方で進めるうえで、チェット・ベイカーとミンガスの映画は、すごくいい手本になったかなと思います」