Photo by 前澤秀登

ASUNAが2022年5月28日、29日に東京・三鷹のSCOOLで新作『Falling Sweets / Afternoon Membranophone』の初演を行った。2021年にヨーロッパで、2022年にアメリカでツアーを行ったばかりのASUNAは近年、各地の芸術祭や現代音楽祭への出演によりアートや実験音楽の世界で国際的な注目を集めている。そんなASUNAの待望の新作は、『Falling Sweets (Chocolate, Candy & Drops)』に初披露の『Afternoon Membranophone』を加えた演劇的なサウンドパフォーマンスだ。現場ではどんなことが起こっていたのだろうか。マンガ家で〈DJまほうつかい〉としても知られる西島大介が、当日の模様を綴った。なお、このパフォーマンスはアーカイブの視聴もできる。視聴方法は記事の末尾を参照してほしい。 *Mikiki編集部


 

Photo by 前澤秀登

クリント・イーストウッド主演の映画『人生の特等席(原題:Trouble With The Curve)』は、年老いた大リーグのスカウトマンの物語。イーストウッド演じるスカウトマンは視力を失いつつあり、マウンドの情景や、選手の表情が見えない。しかし、熟練のスカウトマンである彼は、耳を澄まし、バットやミットの音を聴くだけで、その選手が有能かどうかを知ることができる。

家族の繋がりを回復していくストーリーとは別に、観ること、聴くことについて、ふと考えさせられるシーンだった。その時スカウトマンは、野球を観ているのか、聴いているのか? それはスポーツというショーなのか、それともいっそ聴くことだけでも成立する〈音楽〉なのか?

音楽家ASUNA(アスナ)によるプロジェクト『Falling Sweets / Afternoon Membranophone』も、これと同様に、〈今、観ている、聴いているものは何か?〉という問いかけが、観客の心の中で繰り返されるパフォーマンスだった。

Photo by 前澤秀登

2002年にファーストアルバム『Each Organ』をリリースしデビューしたASUNAは、近年特に海外での評価が高まっている。100台のカラフルなキーボードを地面に並べ、木の棒を挟み込み音を持続させ、音のぶつかり合いを発生させるプロジェクト『100 Keyboards』は、米国〈ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック〉での三日間五公演が全てソールドしたのだそう。『100 Keyboards』については、僕は、写真と動画でしか見たことはないけれど、それは演奏のようであり、美術作品の展示にも感じた。100台のキーボードが曼荼羅のように並ぶヴィジュアルはポップで明快。アートとしての強度がとても強いフォトジェニックさ。その反面サウンドは硬派で、集められたチープなキーボードたちがメロディを奏でることはなく、スピーカーを内蔵したそれぞれのキーボードは、ただ音響的に干渉し合う。チープな音響装置が集まって、音響空間を作り出す様は、ヴィジュアルのポップさに対して、暴力的とすら感じた。

Photo by 前澤秀登

『100 Keyboards』に続く最新プロジェクト『Falling Sweets / Afternoon Membranophone』は、僕にとって初めて生で触れるASUNAのパフォーマンスだ。配信限定の公演を、配信スタッフの傍で鑑賞する機会を得た。

Photo by 前澤秀登

パフォーマンスと言ってもステージがあるわけではない。SCOOLというイベントスペースのホワイトキューブ的な室内の一角に、食卓を模したテーブル、イス、テーブルクロス、照明、分解されたドラムセットなどが音響装置とともに配置されている。天井からは、カラフルな〈粘着性の紙テープ〉が何本も吊り下げられ、テーブルクロスの上には、シンバルの片面や、小型の通電式シンセサイザーなどの機材が、あたかも〈晩餐の食器類〉のように並んでいる。空のワイングラスもある。よく見ると食卓に散らばるのは料理ではなく、様々なお菓子。『100 Keyboards』同様にカラフルで写真映えのする光景だけれど、『100 Keyboards』がストリートカルチャーなら、こちらは演劇のセットのよう。路上から食卓へ? 床置きだった『100 Keyboards』と比べると、テーブルの分だけ目線が上がっている。〈最低限のテーブルマナーが必要そうだな〉と、開演前から面白く感じた。

Photo by 前澤秀登

パフォーマンスが始まった。『100 Keyboards』においてASUNAはキャップをかぶったストリート風のファッションだったけれど、今回は白いシャツにサスペンダー、ゆるいズボンという、ヨーロッパ的な古風なファッション。まるで〈演劇部〉だ。ASUNAと連れ立って、〈恋人〉とも〈奥さま〉とも取れそうなパートナー役の女性も入場。お互いが向かい合ってテーブルに座った。ここまでは無音。

二人はそれぞれお菓子の袋を手に取り、その中身を口に放り込む。唾液に触れるとパチパチとはじける〈パチパチパニック〉(昔の〈ドンパッチ〉のようなもの)を二人が口に含むと、腔内が拡声器のような役割を得て、会場の室内に〈パチパチ〉と大きめの生音が響いた。〈口に広がるパチパチパニック〉を、音として客観的に聴くという体験が序盤からとても興味深い。

食べきれない〈パチパチパニック〉は、卓上の〈空のワイングラス〉に注がれ、天井から吊るされた、定期的な給水装置〈水やり当番〉が、グラスの中にポタポタと水滴を垂らす。水滴が落ちるたびに、グラスの中の〈パチパチパニック〉は音を立てて弾け、今度はグラスを伝わりその音が会場に響く。〈パチパチ〉という音は、エレクトロニカサウンドを例える時によく使われる〈チリチリ〉という音にも似ていて、とても〈音楽的〉と感じた。


Photo by 前澤秀登

ASUNAとそのパートナーらしき女性は、二人は今度は別のお菓子の封を開ける。時々それをもぐもぐと沈食しながら、お菓子の一粒一粒を、天井からぶら下がったカラフルな両面テープに貼り付ける。テープに張り付いたお菓子は、粘着性の限界がくるとランダムに落下し、テーブルの上に並んだシンバルなどの打楽器の上に落ち、音を発生させる。予期せぬタイミング、時には演出されたかのようなタイミングで、卓上のシンバルは〈チーン〉〈コツン〉と音を鳴らす。

Photo by 前澤秀登

これらのパフォーマンスは、ハプニング的な現代美術作品なのだろうか? それとも、セリフがなく物語性が希薄な、特殊な無言劇なのだろうか? アクターとして演技なのか、芸術家としてのインスタレーションなのか? それとも音楽家としての演奏? まだわからない。