©Lydia Ramos, Copula Productions

「バッハの作品は、自分と向き合うものさし」
――上野通明、バッハと“無伴奏チェロ組曲”を語る

 今、日本の若手チェリストは黄金時代だ。岡本侑也、笹沼樹、佐藤晴真ら有名コンクールの覇者も続々出ている。2021年、25歳で日本人として初めてジュネーヴ国際コンクールのチェロ部門で優勝した上野通明も注目の逸材。超絶技巧もごく自然に聞こえてしまう驚異的な技術と、伸びやかな音楽性、表情豊かな美音は、聴き手をひきつけて離さない。

 ベートーヴェンやヒンデミットなどを収録した一枚目のディスクも好評だったが、この度〈La Dolce Volta〉レーベルから、世界展開の第一弾としてバッハの『無伴奏チェロ組曲』全曲をリリース。各所から絶賛が寄せられている。そもそもチェロに興味を持ったきっかけが、4歳の時に出会った、ヨーヨー・マが演奏する“無伴奏チェロ組曲”の映像だったそう。そのヨーヨー・マは、動画で上野の演奏を聴き、「これで私も引退できる」という名言を吐いた。

 「ヨーヨー・マさんの映像を見て、チェロの低音に惹かれました。〈三大テノール〉の映像も好きで、よく見ていたのですが、結局チェロを選びました」

上野通明 『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)』 La Dolce Volta/キングインターナショナル(2022)

 20年間弾き込んできた“無伴奏”を今回録音した理由は、コロナがきっかけだった。

 「コロナになって時間ができた時に〈録音〉を意識して、この作品に向き合いました。録音の実現はジュネーヴコンクールの後になりましたが、時間があったのでいろいろ試すことができてラッキーでした。瞑想的とまでは言いませんが、自分と向き合うのにふさわしい音楽ですね」

 バッハは、チェロの特性を極めているという。

 「なぜ、そしていつ作曲したのかわからない作品ですが、チェロに対するバッハのチャレンジ精神が発揮されています。チェロはヴァイオリンほど器用でもないし、鍵盤楽器のように和声を完璧に弾けるわけでもない。そのチェロを相手に、どういうふうに彼なりの音楽を作れるか挑戦したのではないでしょうか。全部で6曲ありますが、それぞれの曲にキャラクターがあって魅力的です。通奏低音のないチェロ組曲は画期的ですが、それがどのようにしたら成り立つか、どうやったら聴き手がバスを補強して聴くことができるのかが自然に書かれている。その書き方が天才的で、弾いているとバッハが書いた通奏低音が聴こえてくる気がするのです」

 今回、弦にはガット弦(巻ガット弦)を使用。「バッハにふさわしい楽器と音色」を目指した。

 「ガット弦にすることで、フレージングもバッハにふさわしいものに近づけたと思うし、人間味のある音色が出せたと思っています。歴史的奏法にはそれほどこだわりはなく、奏法より音楽の内容が大事だと思っているのですが、ウィスペルウェイ先生についたことで、ピリオド奏法でも自分の音楽にすることが大事だと気づきました。響きが綺麗になると感じる箇所や繰り返しの部分では装飾も入れています。

 自分の解釈は、音楽の中に感じられる“自然”を引き出す事です。なるべく自然でシンプルな流れに沿うようアプローチしたつもりです。実際、〈自然〉を感じる部分もあります。“第1番”の前奏曲に波や、林の間を駆け抜ける風を感じたり。そのような、音楽が喚起してくれる自然のイメージを連想することも、音楽を自然に聴かせる手助けになると思います」

 バッハの音楽の大きな魅力は、様々な人がそれぞれ違った解釈ができるところにもあるという。

 「自筆譜が残っていないせいもあると思いますが、後世の作曲家の作品に比べて細かい指示が少ないので、弾き手が自分の解釈、自分のバッハができることも魅力ですね。色々な楽器で演奏されたディスクを聴くのも好きです。そうすることで、色々な角度からバッハを聴くことができます」

 録音は、ドイツのローマルにある教会で行われた。

 「6箇所くらい回って決めました。比較的大きな教会で、天井が高くて響きが広がる。響きに助けてもらえると、その場で感じることも変わってきますから」

 バッハの音楽が他と違う点は「自分と向き合うものさし」になることだと言う。

「バッハに向き合って得たものは、他の作曲家の作品にアウトプットすることができます。今回の録音は、そういう意味でもとても勉強になりました」

 2月の初旬には、ベルギーの先進的なダンスカンパニー〈ローザス〉の公演で、現代を代表するチェリスト、ジャン=ギアン・ケラスとの対話から生まれたダンス「我ら人生のただ中にあって/無伴奏チェロ組曲」でチェロを奏でた。ダンスと音楽による「人間精神の旅」と言われる作品だ。「王道のレパートリーはずっとやっていきたいが、現代作品をはじめ色々なことにチャレンジしたい」と語る上野の、豊かなチャレンジ精神が発揮される舞台になった。

 外交官の父の仕事の関係で南米パラグアイに生まれ、「好きなことばかり追求する人たち」に囲まれてスペインのバルセロナで少年時代を過ごして、伸びやかで自由な空気を身につけた上野。今回の『無伴奏』を大きなステップに、ますます世界に羽ばたくことだろう。

 


上野通明(Michiaki Ueno)
パラグアイ生まれ。5歳よりチェロを始め、幼少期をスペインで過ごす。2021年ジュネーヴ国際音楽コンクール・チェロ部門日本人初の優勝。その他多数の国際コンクールで優勝、国際舞台で次々と活躍し話題となる。オランダの名チェリスト、ピーター・ウィスペルウェイに招かれ19歳で渡独。現在エリザベート王妃音楽院にてゲーリー・ホフマンにも師事。第31回出光音楽賞受賞。

 


LIVE INFORMATION
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲〈全6曲〉
2023年5月13日(土)神奈川県立音楽堂
開場/開演:12:00/13:00

上野通明チェロ・リサイタル ピアノ:北村朋幹
2023年6月30日(金)京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ
18:30開場/19:00開演
https://www.michiakiueno.com/