90年代後半、R&B/ヒップホップシーンでの再評価
90年代後半になると、海外での評価にも変化が出てくる。元々ロイ・エアーズやナタリー・コール&ピーボ・ブライソン、フィリス・ハイマンらにカバーされていた“風のシルエット”が、R&Bやヒップホップシーンで再注目され始めたのだ。
そして2パック“Do For Love”(98年)を筆頭に、アリーヤやエリカ・バドゥ、タチアナ・アリ、ファーザーMCなど、サンプリング事例が次々と。それを機に“My Flame”や2作目収録の“Open Your Eyes”“To Know What You’ve Got”なども続々ソース化され、AOR世代のみならず、クラブ世代の評価も上げていった。
これを自身にフィードバックさせたか、2015年にはヒップホップ世代のグラミー受賞プロデューサー:ジャック・スプラッシュとのユニット、クール・アンクルでアルバムをリリース。それが結果的にボビーの遺作になってしまう。それでもボビー自身がヒップホップシーンからのリスペクトやオマージュを肯定的に受け止めていたことが分かり、妙に嬉しく思えたものだ。

シナトラを敬愛するジャズシンガーとして
そうして〈ミスターAOR〉とか〈キング・オブ・AOR〉と崇められる一方で、本人はフランク・シナトラを敬愛し、ジャズスタンダードのカバーアルバムを作って、ビッグバンドを従えてステージに立ったこともあった。
AOR人気の高い日本では常にバランスを考えていたが、ラスベガスで開催されたラット・パック(シナトラを中心にディーン・マーティン、サミー・デイビス・ジュニアら数人が組んだグループ)のトリビュートショウではシナトラ役を演じ、ご満悦だったと聞いている。


ボビーが逝くのは早過ぎた
アルバム制作では完全主義を貫くボビーも、89年の復活以降は、スーツやジャケットの洒脱なイメージで通し、特に女性から人気を集めた。公演時のバックステージでも常に女性ゲストが最優先で、その優しい対応ぶりに苦笑させられることも。インタビューでは礼儀正しかったが、時に本音をこぼすこともあった。
海外でのヨットロック人気やシティポップの世界的ブームにあって、“風のシルエット”を始めとするボビー楽曲への需要は今もまったく衰えず、新しいカバーやネタは増え続ける。何れにせよ、ボビーが逝くのは、まだちょっと早過ぎたよ。
改めて、Rest In Peace...