ボビー・コールドウェルことロバート・ハンター・コールドウェルが2023年3月14日に逝去しました。70年後半から80年代前半、当時のAOR/アダルトコンテンポラリーを代表する存在として存在感を放ち、特にヒット曲“What You Won’t Do For Love”(78年)で知られたシンガーソングライターのボビー・コールドウェル。ここ日本で強く支持され長く愛された一方、90年代以降はヒップホップの定番サンプリングネタとして再評価されました。今回は、そんな彼の功績を讃えて、彼にたびたび取材したことがあり、コンピレーションアルバム『Light Mellow Bobby Caldwell』(2013年)の制作も行った音楽ライターの金澤寿和さんがキャリアを振り返ります。 *Mikiki編集部
ミスターAORの早すぎる死の衝撃
〈ミスターAOR〉の称号で知られるボビー・コールドウェルが、去る3月14日、ニュージャージーの自宅で亡くなった。服用した薬の副作用で6年ほど前から歩くことができなくなっていたが、杖や車椅子でステージに上がり、シンガーとしての健在ぶりを鼓舞。その姿が今も瞼に焼き付いている。
2020年3月に予定されていた来日公演は、新型コロナ上陸直後でさすがに中止せざるを得なかったものの、その頃は誰もが〈コロナ明けには再会できる〉と信じ、疑いなんて微塵もなかったはず。しかし昨年になるとライブ活動休止が発表され、今年に入ってからは病状悪化の報がチラホラと……。そしてファンの心配をよそに、71歳で呆気なく逝ってしまった……。
2023年になり、年明け早々から大物アーティストや著名ミュージシャンの訃報が相次いでいるが、70年代末〜80年代初頭に隆盛を極めたAORアクトに限っては、クラシックロック勢より少し世代が若いためか、比較的訃報は少ない。だからボビーが初の大物の訃報といってよく……。
しかも彼の場合、時にビッグ・イン・ジャパンと揶揄されることもあるほど、日本の熱心なファンに支えられてきた。それこそコロナ前の数年は、年2回の来日が定着していたほどである。だからボビーの死は、とても大きな衝撃を以って広まった。
“風のシルエット”のヒットとレーベルの倒産、89年の復活
ボビー・コールドウェルは76年にインディレーベルからシングルデビュー。でも広く認知されたのは、若い頃から拠点にしていたマイアミで地元大手TKレコードと契約し、78年にファーストアルバム『イヴニング・スキャンダル(原題Bobby Caldwell)』を発表してからだ。そこからのシングル“風のシルエット(What You Won’t Do For Love)”が同年末にR&Bチャートを上昇し、年が変わるとポップチャートでも追随。最終的に全米9位をマークする大ヒットになった。これが最初である。
成功の鍵は、スティーヴィー・ワンダーを髣髴させるソウルフルなボーカルの魅力を生かすため、白人であることを隠してソウル系ラジオ局でオンエアを稼いだから。そのためシルエットのアートワークが生み出され、それが邦題にも転用されたワケである。ただし当時の日本では、この名曲よりディスコ受けしそうな“Special To Me”を独自にシングルカットし、ボズ・スキャッグス同様、〈ソフト&メロウ〉などと呼ばれて人気に火が付いた。
ところが2作目『ロマンティック・キャット(Cat In The Hat)』を出すとTK倒産の憂き目に。ボビー自身は移籍を果たしたが、日本以外での人気はジンワリ下降線を辿っていく。結局80年代中盤はソングライターとしての活動が中心に。
それでもシカゴやピーター・セテラ、ロバータ・フラック、ジョージ・ベンソン、アル・ジャロウらに楽曲提供していたのが功を奏し、89年にセルフカバー曲を含む『Heart Of Mine』で見事に復活。タイトル曲はボズ・スキャッグスに書いたものだ。輸入タバコのCMソングにも採用され、日本でのAOR熱再燃に大きく貢献した。