2023年も残りわずかとなりました。今年は、音楽史に大きな足跡を残したミュージシャンやアーティストが数多く旅立ち、特に大きな衝撃とともに深い悲しみに暮れるような訃報が多かった年だったと言えるのではないでしょうか。そんな2023年の振り返りの一環として、彼らの功績をたたえ、後世に残されたマスターピースを振り返ってみましょう。邦楽編は別の記事で掲載し、こちらでは洋楽編として海外のアーティストを取り上げました。

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シェイン・マガウアン
SHANE MacGOWAN

1957年12月25日生まれ、英ケント州ペンベリー生まれのアイルランド系シンガーソングライター/ミュージシャン。本名はシェイン・パトリック・ライサート・マガウアン。

82年にケルトミュージックとパンクを融合させたアイリッシュパンクの祖、ポーグ・マホーンの結成に参加。バンドはその後、ザ・ポーグスと改名。エルヴィス・コステロのプロデュースによるセカンドアルバム『Rum Sodomy & The Lash』(85年)がヒットし、カースティー・マッコールがゲストとして参加したクリスマスソング“Fairytale Of New York”が全英2位を記録、一躍スターダムにのし上がった。

THE POGUES 『Rum Sodomy & The Lash』 Stiff(1985)

88年のサードアルバム『If I Should Fall From Grace With God』は、全英アルバムチャートで最高3位を獲得。バンドのキャリアは最高潮に達した。

THE POGUES 『If I Should Fall From Grace With God』 Pogue Mahone/Warner/Island(1988)

その後もフロントマンとして活躍するも、91年に脱退。その後、ザ・ポープスで活動。2001年のザ・ポーグスの再結成に参加した。

アルコールやドラッグ中毒と戦いながらも、その独創的な音楽性と歌詞のセンスは世界中の人々と多くのミュージシャンから愛された。

2023年11月30日にアイルランド・ダブリンにて死去。65歳没。

 

ロビー・ロバートソン
ROBBIE ROBERTSON

1943年7月5日生まれ、カナダ・トロント出身のミュージシャン。出生名はジェイミー・ロイヤル・ロバートソン。

7歳でギターに触れ、地元のアマチュアバンドで活動。1958年にロニー・ホーキンスのバックバンドであるホークスに加入し、当初はベースを担当するもギターへ転向。65年にボブ・ディランのバックバンドを務め、68年にホークスはザ・バンドと改名し、『Music From The Big Pink』でデビュー。

THE BAND 『Music From The Big Pink』 Capitol(1968)

73年までに6枚のアルバムをリリースし、バンド内の不協和音を乗り越え、アルバム『Northern Lights - Southern Cross』(75年)は高い評価を受ける。

THE BAND 『Northern Lights - Southern Cross』 Capitol(1975)

翌76年に2年ぶりのツアーを行ったが、そこでメンバー間の問題が再度発生。ツアー最終日、サンフランシスコのウィンターランドでの公演が彼らの解散コンサートとなった。そのライブを収めたのが、マーティン・スコセッシが監督を務めた音楽映画の金字塔「ラスト・ワルツ」(78年)。 

マーティン・スコセッシ 『ラスト・ワルツ』 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン (2017)

THE BAND 『The Last Waltz』 Warner Bros.(1978)

解散後は、プロデュースや映画音楽で手腕を発揮。映画「レイジング・ブル」(80年)など、マーティン・スコセッシ監督作の音楽をたびたび担当した。

ソロアーティストとしては、87年のセルフタイトル作でデビュー。2019年の『Sinematic』まで6枚のアルバムを発表。2011年にカナダ勲章を受勲した。

ROBBIE ROBERTSON 『Robbie Robertson』 Geffen(1987)

2023年8月9日に米ロサンゼルスの自宅で死去。80歳没。 

 

シネイド・オコナー
SINEAD O’CONNOR

66年12月8日生まれ、アイルランド・ダブリン出身のシンガーソングライター。本名はシネイド・マリー・バーナデット・オコナー。

英ロンドンで音楽活動を始め、87年に『The Lion And The Cobra』でアルバムデビュー。セカンドアルバム『I Do Not Want What I Haven’t Got』(90年)からシングルカットされたプリンスのカバー“Nothing Compares 2 U”が、世界中で大ヒット。アルバムも全米・全英で1位を記録し700万枚以上を売り上げ、アーティストとしての地位を確立した。

SINEAD O’CONNOR 『I Do Not Want What I Haven’t Got』 Chrysalis(1990)

独特の歌声とスキンヘッドの容姿で注目され、自身の宗教に対する反発や国歌斉唱の拒否など、音楽とともにその行動も大きな話題となった。

90年代以降は女性司祭になり、音楽活動を一時休止するも復帰するなど、活動は不規則に。2018年にはイスラム教へ改宗し、シュハダ・サダカットに改名した。

晩年はメンタルヘルスの不調に悩み、2023年7月26日に死去。56歳没。

 

トニー・ベネット
TONY BENNETT

1926年8月3日生まれ、米ニューヨーク出身のジャズ/ポップ歌手。本名はアンソニー・ドミニク・ベネデット。

イタリア系移民の子として育ち、美術学校で音楽と絵画を学ぶ。第二次世界大戦で退役後、ジョー・バリ名義で歌手活動を行うが、その後、現名義へ改名。

1951年の“Because Of You”で全米1位を獲得して以来、1950~60年代中盤にかけて“Stranger In Oaradise”“I Left My Heart In San Francisco”など数多くのヒットを放ち、グラミー賞を多数獲得している。

60年代中盤以降は、ロックの台頭により人気は陰りを見せたが、80年代のテレビ番組への出演や、90年代のMTVアンプラグドへの登場でスターダムにカムバックを果たした。

2000年以降もアレサ・フランクリン、マライア・キャリー、エイミー・ワインハウスなど幅広いジャンルの若手からベテランまで、多くのアーティストとデュエットを重ねた。2011年のコラボレーションアルバム『Duets II』、同作のコラボ相手の一人だったレディー・ガガとの『Cheek To Cheek』(2014年)と『Love For Sale』(2021年)という3作で、グラミー賞の最優秀トラディショナルポップボーカルアルバム部門を受賞する快挙を成し遂げた。

TONY BENNETT 『Duets II』 Columbia(2011)

TONY BENNETT, LADY GAGA 『Cheek To Cheek』 Streamline/Interscope/Columbia/ユニバーサル(2014)

TONY BENNETT & LADY GAGA 『Love For Sale』 Streamline/Columbia/Interscope/ユニバーサル(2021)

また『Love For Sale』は史上最高齢(95歳)で新曲入りのアルバムをリリースした記録でギネスに認定されるなど、晩年までまさに〈音楽界最高のシンガー〉であった。

2023年7月21日に死去。96歳没。

 

ジェーン・バーキン
JANE BIRKIN

1946年12月14日生まれ、英ロンドン出身の俳優/歌手/モデル。本名はジェーン・マロリー・バーキン。

モデルとして芸能活動の第一歩を踏み出し、65年の映画「ナック」で映画デビュー。68年にはザ・ビートルズのジョージ・ハリスンが音楽を担当した「ワンダーウォール」で主演した。

68年に渡仏し、翌年のセルジュ・ゲンスブールとのデュエットシングル“Je t’aime... moi non plus”や映画「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(76年)への出演で話題を呼ぶ。以来、セルジュをパートナーとした生活は80年まで続いた。

JANE BIRKIN, SERGE GAINSBOURG 『Jane Birkin & Serge Gainsbourg』 Fontana(1969)

音楽的な関わりは80年代以降も続き、83年発表のアルバム『Baby Alone In Babylone(バビロンの妖精)』はACC(アカデミー・シャルル・クロ)のディスク大賞を受賞し、キャリアで最もヒットしたアルバムとなった。

JANE BIRKIN 『Baby Alone In Babylone』 Philips(1983)

91年にセルジュが亡くなったが、90~2000年代もコンスタントにアルバムをリリースし、音楽活動はライフワークの一つとなっていた。一方で映画「La Fille prodigue」(81年)の撮影でジャック・ドワイヨン監督と出会ったことが大きく、舞台や映画に多く出演し、俳優としてのキャリアも築いていった。

カルチャー/ファッションアイコンとしても知られており、81年に誕生した仏ブランド〈エルメス〉の人気バッグ〈バーキン〉の名の由来にもなるなど、自由奔放で自然体な生き方は多くの賛同を受けた。

2021年制作の娘のシャルロット・ゲンズブール監督作「ジェーンとシャルロット」が遺作になった。2023年7月16日にパリの自宅で死去。76歳没。

 

アストラッド・ジルベルト
ASTRUD GILBERTO

1940年3月29日生まれ、ブラジル・バイーア州サルヴァドール出身のジャズ/ボサノバ歌手。本名はアストラッド・エヴァンジェリーナ・ワイナート。

リオデジャネイロで育ち、1959年にジョアン・ジルベルトと結婚、63年に渡米。ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビンとともにレコーディングを行い、64年に『Getz/Gilberto』で歌手デビュー。シングルカットされた英語詞の“The Girl From Ipanema”が世界的にヒットし、一躍ボサノバのスター歌手となった。

STAN GETZ, JOÃO GILBERTO 『Getz/Gilberto』 Verve(1964)

65年の初ソロアルバム『The Astrud Gilberto Album(おいしい水)』から69年まで毎年アルバムをリリース。70年には全曲日本語詞で歌う日本企画盤『ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』をリリース、当時の世界的なヒットと日本での人気の高さが窺える。

ASTRUD GILBERTO 『The Astrud Gilberto Album』 Verve(1965)

70年代以降は自作曲も発表するなど、ジャズとボサノバの架け橋となり、その功績から〈ボサノバの女王〉と称された。

2002年の『Jungle』がオリジナルアルバムとしての遺作となる。また同年には〈国際ラテン音楽の殿堂〉入りを果たした。

2023年6月5日に米フィラデルフィアの自宅で死去。83歳没。

 

ティナ・ターナー
TINA TURNER

1939年11月26日生まれ、米テネシー州ナットブッシュ出身のシンガーソングライター/ダンサー/女優。本名はアンナ・メイ・ブロック・バーク。

1956年にアイク・ターナーと出会い、アイク&ティナ・ターナーを結成。エネルギッシュな歌声で人気を博す。75年にソロ活動を始動させ、翌年デュオを解消。アイク&ティナ・ターナーでの活動で負った負債やソロアルバムの売り上げの低迷でレコード契約を失うなど、キャリアのどん底を味わう。

そんな中、83年のシングル“Let’s Stay Together”で再デビューを果たす。この曲のスマッシュヒットを受けて、84年にリリースしたアルバム『Private Dancer』は最終的に全世界で1,000万枚以上のセールスを記録する大ヒット作となり、〈ポップ音楽史上最大の復活劇〉の幕開けとなった。

TINA TURNER 『Private Dancer』 Capitol(1984)

その後シングルカットされた全米1位・全英3位の“What’s Love Got To Do With It”をはじめ、USA・フォー・アフリカのチャリティソング“We Are The World”(85年)へのリードパートでの堂々たる参加や、ライヴ・エイドにおけるミック・ジャガーとのパフォーマンスなどが話題になり、リリースする楽曲とパフォーマンスはアーティストとして最高潮を迎えた。 

90年代以降はベスト盤・企画盤のリリース、U2やビヨンセらとコラボを行うなど、マイペースな活動になっていき、結果的に99年の『Twenty Four Seven』が最後のオリジナルアルバムとなった。

TINA TURNER 『Twenty Four Seven』 Parlophone(1999)

また、ザ・フーの映画「トミー」や映画「マッドマックス/サンダードーム」での強烈なインパクトを残す怪演も、ティナ・ターナーのスター性を彩った。

2023年5月24日にスイスの自宅で死去。83歳没。

 

アンディ・ルーク
ANDY ROURKE

64年1月17日生まれ、英マンチェスター出身のベーシスト。本名はアンドリュー・マイケル・ルーク。

ジョニー・マーとは学友で、ザ・スミスの結成前からファンクバンドを組むなど親交が深かった。モリッシーとジョニー・マーによるザ・スミスの結成後、初のライブ後にクビとなったベーシストの後任として参加。以後は解散までベーシストを務めた。

83年にシングル“Hand In Glove”、84年にアルバム『The Smiths』でデビューし、特にメジャーな音楽を嫌う10代や20代の若者から熱狂的な支持を受けた。

THE SMITHS 『The Smiths』 Rough Trade/Warner UK(1984)

そして、85年のセカンドアルバム『Meat Is Murder』で英チャート1位に輝く。87年の解散までに『The Queen Is Dead』(86年)、『Strangeways, Here We Come』(87年)と、4作のオリジナルアルバムをリリースした。

THE SMITHS 『Meat Is Murder』 Rough Trade/Warner UK(1985)

THE SMITHS 『The Queen Is Dead』 Rough Trade/Warner UK(1986)

THE SMITHS 『Strangeways, Here We Come』 Rough Trade/Warner UK(1987)

ルークは、モリッシーの歌詞とジョニー・マーのギターサウンドという音楽性および2人のバンドアイコンに隠れがちだが、ザ・スミスの音楽性のアクセントとなるベースプレイを数々の名曲で披露している。 

ザ・スミスの解散後は、ソロアーティストとなったモリッシーの多くの楽曲にベーシストとして参加している。さらに、シネイド・オコナーの『I Do Not Want What I Haven’t Got』、ザ・プリテンダーズの『Last Of The Independents』(94年)にも参加。それ以外にもキリング・ジョークやバッドリー・ドローン・ボーイといった数多くのバンドのスタジオ録音やツアーに参加するなど、セッションプレイヤーとして活躍した。

2023年5月19日、ルークが膵臓癌との長い闘病の末に死去したことを、ジョニー・マーがSNSで公表した。59歳没。

 

ボビー・コールドウェル
BOBBY CALDWELL

1951年8月15日生まれ、米ニューヨーク出身のシンガーソングライター。本名はロバート・ハンター・コールドウェル。

幼いころから両親の仕事で全米各地を転々とし、78年、両親のいたマイアミで地元の大手であるTKと契約、78年にデビューアルバム『Bobby Caldwell』を発表した。

BOBBY CALDWELL 『Bobby Caldwell』 Clouds/TK(1978)

シングル“What You Won’t Do For Love”は、ソウルフルなボーカルの魅力を生かすため白人であることを隠してソウル系ラジオ局でのオンエア数を稼ぎ、ソウル系FMステーションから火がつき、最終的に全米9位の大ヒットとなった。R&B色が濃いボーカルスタイルから、〈AORの新星〉としてAOR人気の高い日本でもヒット。 

80年代中盤以降は多くのアーティストに楽曲提供を行い、86年にはピーター・セテラへ提供した“Next Time I Fall”が全米1位に。

さらに、ボズ・スキャッグスに書いた“Heart Of Mine”や、市川崑が監督した映画「竹取物語」(87年)の主題歌としてピーター・セテラが歌った“Stay With Me”など、作曲家としてヒットを重ねた。

それら提供曲のセルフカバーも収録した5枚目のアルバム『Heart Of Mine』(89年)は、キャリアを代表する名盤となった。

BOBBY CALDWELL 『Heart Of Mine』 Sin-Drome(1989)

ボビー・コールドウェルは特に日本での人気が高く、ボズ・スキャッグズらと並んで〈ミスターAOR〉として親しまれた。そのことは、2017年から闘病を余儀なくされるも、来日公演を精力的に開催していたことからもわかる。

2023年3月14日に死去。71歳没。 

 

ウェイン・ショーター
WAYNE SHORTER

1933年8月25日生まれ、米ニュージャージー州ニューアーク出身のサックス奏者/作曲家。

ニューヨーク大学卒業後、兵役に就き、メイナード・ファーガソンのバンドへの参加を経て、1959年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加した。バンドでは音楽監督としての役割も担い、特に60年代の『Mosaic』(62年)、『Caravan』(62年)、『Ugetsu』(63年)などは黄金期を代表する名盤となった。

60年代はブルーノートよりリーダー作品を発表しながら、マイルス・デイヴィスからのラブコールを受け、彼の右腕としてマイルスのクインテットで活躍。

60年代末のマイルスのエレクトリックジャズ/ジャズロックへの移行期を支える一方で、ソロアーティストとして64年の『JuJu』、66年の『Speak No Evil』、67年の『Adam’s Apple』、69年の『Super Nova』と立て続けに名盤を生み出した。

WAYNE SHORTER 『JuJu』 Blue Note(1964)

WAYNE SHORTER 『Speak No Evil』 Blue Note(1964)

WAYNE SHORTER 『Adam’s Apple』 Blue Note(2003)

WAYNE SHORTER 『Super Nova』 Blue Note(1969)

70年にジョー・ザヴィヌル、ミロスラフ・ヴィトウスと組んで、ウェザー・リポートを結成。75年の『Tale Spinnin’』では、シンセサイザーによる宇宙的なアプローチとサックスソロによって新しいジャズを構築。76年のジャコ・パストリアスの加入後は、一大フュージョンブームを牽引した。

WEATHER REPORT 『Tale Spinnin’』 Columbia(1975)

またウェザー・リポートとは別に、ミルトン・ナシメントとコラボしたリーダーアルバム『Native Dancer』(75年)ではブラジル音楽とジャズの融合を果たし、ジャズ/フュージョンに革命を起こした。

WAYNE SHORTER, MILTON NASCIMENTO 『Native Dancer』 Columbia(1975)

90年代以降もローリング・ストーンズ『Bridges To Babylon』(97年)への参加や、ミルトンやハービー・ハンコックらとの積極的な共演で活動。

グループでの受賞を含め、グラミー賞の受賞数は13を数える。80歳を迎えても来日公演を開催するなど、圧倒的な人気を博した。

2023年3月2日にロサンゼルスの病院で死去。89歳没。 

 

バート・バカラック
BURT BACHARACH

1928年5月12日生まれ、米ミズーリ州カンザスシティ出身のシンガーソングライター/ピアニスト。本名はバート・フリーマン・バカラック。

1950年代から作曲家稼業を始めていたが、女優/歌手であったマレーネ・ディートリヒに見出され、バックオーケストラの指揮、アレンジおよびピアノの伴奏を担当したころから注目を集めるようになった。

同時期に作詞家ハル・デヴィッドとのコンビで活動を始め、1957年にマーティー・ロビンスの“The Story Of My Life”がヒット。以降、数々のヒットを飛ばし、最盛期を迎えた。

ほかにもディオンヌ・ワーウィックの“Do You Know The Way To San Jose”、ジーン・ピットニーの“Only Love Can Break A Heart”、ジャッキー・デシャノンの“What The World Needs Now Is Love”、カーペンターズの“Close To You”など、ヒット曲に枚挙が暇がない。

また映画音楽や映画の主題歌も多数作曲しており、「明日に向って撃て」(69年)の主題歌でB・J・トーマスが歌った“Raindrops Keep Fallin’ On My Head”がアカデミー歌曲賞を受賞している。

80年代以降はクラシカルな要素が求められないポップスの台頭でヒットの数は減っていくが、楽曲提供や、エルヴィス・コステロ、ロナルド・アイズレー、ダニエル・タシアンといったミュージシャンとのコラボ作品をリリースした。まさに、20世紀を代表するポップス作曲家として名を馳せた存在だった。

2023年2月8日にロサンゼルスの自宅で死去。94歳没。 

VARIOUS ARTISTS 『Burt Bacharach: Anyone Who Had A Heart – The Art Of The Songwriter』 Universal(2013)

 

トゥルーゴイ・ザ・ダヴ
TRUGOY THE DOVE

68年9月21日生まれ、米ニューヨーク市ブルックリン出身のラッパー。本名はデヴィッド・ジュード・ジョリクール。

ロングアイランドのアミティヴィル地区高校時代の友人であるポスドゥナス(ケルヴィン・マーサー)とペイスマスター・メイス(ヴィンセント・ラモント・メイソン・ジュニア)の3名で、88年にヒップホップグループ、デ・ラ・ソウルを結成。翌年に『3 Feet High And Rising』でデビュー。ニュースクール期のフェーズに移ったヒップホップ界に彗星のごとく現れ、瞬く間に当時を代表するグループとなった。

DE LA SOUL 『3 Feet High And Rising』 Tommy Boy(1989)

『3 Feet High And Rising』は、ストリートでの力関係や社会批判、ドラッグや金のことについてラップする攻撃的・暴力的なものではなく、これまでのヒップホップのイメージから離れ、日常的な視点で等身大な表現を提示した。また、サウンド面でもこれまでサンプリングソースとして使われてこなかったジャンルやアーティスト(ジョニー・キャッシュ、スティーリー・ダン、ホール・アンド・オーツなど)の曲を大胆にサンプリングし、革命的なトラックを生み出した。同作はヒップホップの幅を押し広げた作品となり、3人はオルタナティブヒップホップの始祖とも呼ばれた。

それ以後も、2016年の『And The Anonymous Nobody...』まで8枚のアルバムを発表し、ヒップホップ界を牽引した。

トゥルーゴイは2023年2月12日に死去。54歳没。 

 

トム・ヴァーレイン
TOM VERLAINE

1949年12月13日生まれ。米ニュージャージー州出身のシンガーソングライター。本名はトーマス・ミラー。

幼いころからピアノやサクソフォン、エレクトリックギターに親しむ。68年、夢を追い求めてニューヨークへ移ってパティ・スミスと知り合い、パティのアルバムにギタリストとして参加するなど親交を深めた。

高校時代の友人ビリー・フィッカ、リチャード・ヘルとネオン・ボーイズを結成。74年にリチャード・ロイドが加入し、テレヴィジョンに改名した。

75年にリチャード・ヘルが脱退後、元ブロンディのフレッド・スミスが加入し、CBGBやマクシズ・カンザス・シティなどでライブを重ねて人気と実力をつけ、77年のデビュー作『Marquee Moon』でニューヨークパンクを代表する存在となる。

TELEVISION 『Marquee Moon』 Elektra(1977)

アルバム全体を漂う緊張感、トム・ヴァーレインの詩的で文学的な歌詞、エキセントリックなギターフレーズ、ツインギターによるアンサンブルの妙、ギターロック的な一面も垣間見せる演奏などが、のちのニューウェーブやポストパンク、USインディ系ギターバンドに与えた影響は絶大だった。

翌78年に『Adventures』を発表するが、リリース後のライブでバンドは解散。以降はコンスタントにソロ作をリリースしていく。

92年にテレヴィジョンを再結成。3作目『Television』を発表するが、93年に活動休止。2001年に再々結成し、テレヴィジョンとして活動を続けていた。

2023年1月28日、マンハッタンで死去。73歳没。 

 

デヴィッド・クロスビー
DAVID CROSBY

1941年8月14日生まれ、米カリフォルニア州ロサンゼルス出身のシンガーソングライター。本名はデヴィッド・ヴァン・コートランド・クロスビー。

60年代よりフォークシンガーとして、またレス・バクスターのザ・バラディアーズなどでの活動を経て、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、クリス・ヒルマン、マイケル・クラークとザ・バーズを結成。65年に発表した“Mr. Tambourine Man”が全米・全英1位の大ヒットとなる。ボブ・ディランの楽曲をカバーしたこの曲は、フォークのエレキ化とフォークロックの概念を確立し、フォークロックの時代の幕開けを告げる一曲となった。

以降もピート・シーガーの曲を発展させた“Turn! Turn! Turn!”や、実験的でサイケデリックロックの起源とされるようなアルバムを次々と発表していくが、バンド内の人間関係に様々な軋轢が生じ、アルバム『The Notorious Byrd Brothers』(68年)の制作中に解雇される。

その後、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ザ・ホリーズのグラハム・ナッシュとクロスビー・スティルス&ナッシュを結成し、69年に『Crosby, Stills & Nash』発表。

CROSBY,STILLS & NASH 『Crosby, Stills & Nash』 Atlantic(1969)

ロック的要素を強めるため、ニール・ヤングをギタリストとして加え、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとして、フォークロック界の超スーパーグループとなった。ファーストアルバム『Déjà Vu』(70年)は全米1位を獲得する大ヒット作となったが、強烈な個性の集まりはバンド内での衝突を招き、解散と再集結を繰り返すこととなる。

CROSBY,STILLS,NASH & YOUNG 『Déjà Vu』 Atlantic(1970)

71年になり、初のソロ作として『If I Could Only Remember My Name』を発表する。同作は、“Laughing(嘲笑)”を筆頭にアシッドフォーク/サイケデリックフォークを代表する盤として根強い人気があり、フリーフォークの原型としても再評価されている。

DAVID CROSBY 『If I Could Only Remember My Name』 Atlantic(1971)

80年代は薬物中毒の悪化や銃器法での逮捕・実刑でキャリアが停滞することとなるが、その後はソロ作の発表やスティルス、ナッシュ、ヤングとの再集結で音楽活動を精力的に行った。

ソロ作では2021年の『For Free』まで8枚のアルバムを発表。2023年1月18日に死去。81歳没。 

 

ジェフ・ベック
JEFF BECK

1944年6月24日生まれ、英ロンドン・ウォリントン出身のギタリスト。本名はジェフリー・アーノルド・ベック。

65年にセッションギタリストとして名を馳せていたジミー・ペイジの仲介で、エリック・クラプトン脱退後のザ・ヤードバーズに参加。シングル“Heart Full Of Soul”で初デビューを果たす。またジミー・ペイジ加入後のツインリードギター体制時に映画「欲望」(67年)のバンド演奏シーンに出演、“Train Kept On Rollin’”を弾き、ギターを破壊している。

ヤードバーズから脱退後、ロッド・スチュワート、ロン・ウッドをメンバーとしてジェフ・ベック・グループ(日本でいうところの第1期)を結成し、ヘビーなブルースロックの名盤『Truth』を発表。

JEFF BECK 『Truth』 EMI Columbia(1968)

翌70年には新たにメンバーを入れ替え、当時のニューソウルを思わせるフィーリングのロックに音楽性に転換、2枚のアルバムをリリースした。

兼ねてよりバンドの結成を目論んでいたティム・ボガートとカーマイン・アピスがカクタスから脱退したことでこの第2期ジェフ・ベック・グループも解散させ、ベック・ボガート&アピスという新グループを結成。ハードロック路線へと舵を切り、73年にアルバム『Beck, Bogert & Appice』を発表、日本を含むワールドツアーに出たが、ベックとボガートの間に亀裂が生じたことにより短命で空中分解した。

BECK,BOGERT & APPICE 『Beck, Bogert & Appice』 Epic(1973)

75年、ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、フュージョン色を前面に出した初のインストゥルメンタルアルバム『Blow By Blow』を発表。“Cause We’ve Ended As Lovers”はギターインストの名曲として誉れ高い。

JEFF BECK 『Blow By Blow』 Epic(1975)

また次作の『Wired』では、ジャズロック/ハードフュージョンを展開。“Led Boots”“Blue Wind”など、総じて高い演奏力で聴かせる名曲を残した。 

JEFF BECK 『Wired』 Epic(1976)

以降は、85年作『Flash』での歌ものを中心とした産業ロック的な作風や、99年作『Who Else!』での打ち込みを使用したエレクトロニックサウンドの導入、2003年作『Jeff』でのPro Toolsを使用した大胆なドラムンベースの採用など、その時代のムーブメントに対応したビビッドな作品を発表していく。

2022年、ジョニー・デップとのコラボアルバム『18』が最期のアルバムとなった。

ロックの歴史においてソロギタリストとしての地位を確立し、日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジとともに世界3大ギタリストの1人とされる。

2023年1月10日に細菌性髄膜炎のため死去。78歳没。

 

以上、今年亡くなった海外の偉人たちを紹介してきました。2023年はロック、パンク、ポップ、ソウル、ヒップホップ、ジャズ、ブラジル音楽と、多岐にわたるジャンルで多くのフォロワーを生み出したアーティストが多く亡くなった年でした。訃報という悲しい起点にはなってしまいますが、これを機にミュージシャンたちが残した偉大な足跡に触れてみてはいかがでしょうか。新たな発見や出会いにつながるかもしれません。