
ヘンリー・ハーシュの録音のこだわりと周囲の苦労
――では、プロデューサーのヘンリー・ハーシュが登場するまでの流れを教えてください。
「プロデューサーは、春日さんにしようという話になりました。そして、ローディーの青山(昇一郎)さんという方がレニー・クラヴィッツのアルバム『Let Love Rule』(89年)を清志郎さんに聴かせたんですよ。
そうしたら清志郎さんが〈このエンジニアがいい〉と言うのでヘンリー・ハーシュにオファーしたのですが、一度断られたんです。でも、2回目に音源を送ったら〈やりたい〉と返事が来て、〈アシスタントのデイヴィッド・ドマニッシュ(ドマーニッチ)というコンビでやっているから、自分が持っているニュージャージーのスタジオでレコーディングしよう〉と提案が来て。
ただ、他のメンバーが行きたくないということになり、〈日本に来てくれますか?〉という話になったのですが、機材やスタジオの条件について要望が来たんです。そこで色んなスタジオを見にいき、芝浦のベイブリッジ・スタジオに決まりました。
機材と楽器のオーダーを見たら、60、70年代の機材ばかりで。デジタルレコーディングが急速に発展してアナログ機材がなくなっていった時期だったので、それをかき集めるのにスタッフが色んなところに電話し、借用書を書いて、機材屋ではない個人の方にも頼みました」
――そうだったんですね。
「それまで海外ではミックスダウンエンジニアが全盛で、東京で録ったらニューヨークなどでミックスして音を作るのが主流でした。が、ヘンリーとデイヴは自分たちで録って、ミックスもやるプロデューサースタイルだった。
それで、色んな注文をどんどん言ってくるんです。新井田さんが使っていたフルセットのものじゃなく、簡単なバスドラとスネアとタムとフロアタムがあって、シンバルが2枚くらいのシンプルなセットで叩いてくれとか。それで色々なことがあり、新井田さんが抜けてしまうんです」
――当時のインタビューでも語られていたことですね。
「清志郎さんはすでに86年の『ストーンズ・ジェネレーション』(鳥井賀句:編/宝島社)という本の巻頭のインタビューで、ミックスエンジニアを使う海外レコーディングに関する質問に対して〈海外でやるなら音録りの段階から大々的にやったほうがいい〉と言っています。
(忌野清志郎のソロアルバム)『RAZOR SHARP』(87年)ではロンドンに行って、レコーディングのプロセスをチャールズ・ハロウェルと最初から進められたんですけど、その前は例えばティム・パーマーがミックスダウンだけをするとか、そういう流れでした。
ただ、チャールズがその後、ロンドンからいなくなっちゃって。新たなエンジニアを探さなきゃいけないということで、ヘンリー・ハーシュに白羽の矢が立ったんです」
――なるほど。
「チャールズのすごいところは、ニューウェーブのエンジニアなので音をたくさん入れたがること。清志郎さんはあまり音を入れたがらないのですが、すごくいい作品に仕上がっている。
ロックンロールの音にネオアコ的なリバーブがかかった独自のサウンドで、世界中どこを探しても(チャールズ・ハロウェルがエンジニアだった)『MARVY』(88年)みたいなサウンドはないですね。普通のエンジニアはギターの音やバンドのグルーヴ感を中心に録ろうとしますが、彼はまったく違う観点からエンジニアリングしているので、ローリング・ストーンズもなしえなかった無国籍なサウンドになっている。
THE TIMERSは電気楽器を使わずアコースティックでパンクをやるという当時は考えられない発想だったのですが、チャールズはその演奏をあのリバーブで独自の音に仕上げているので、海外のリスナーが聴くと驚くんです。それくらい独創的で挑戦的な音でした。
だけど、チャールズはその後、ペイル・ファウンテンズのサードアルバムが暗礁に乗り上げてしまい、自信喪失してエンジニアを辞めたらしいんです。それがなかったら、『Baby a Go Go』もチャールズがやっていたかもしれない」

みんな、しびれを切らしてる。もう終わったんだよ
――新井田さんが脱退してから、制作はどう進んでいったんですか?
「春日さんがドラムをやることになって進んでいったんですけど、ヘンリーが口を出すので途中から彼がプロデューサーみたいになってきて。だんだん、それまでのRCのサウンドと違うものになってきた」
――その拒絶反応は、当時のインタビューで語られていましたよね。
「一度、チャボさんに〈“うぐいす”って、どういうことを歌ってるんですか? 『次の景色が見えたから、もう次に行っている』という内容のような気がするのですが〉と聞いたことがありました。そうしたらチャボさんが〈みんな、しびれを切らしてるんだよ。高橋、もう終わったんだよ〉と言ったんです。チャボさんは、レコーディング中もずっとサングラスかけていましたね。
“うぐいす”の歌詞は、〈神様のハイウェイ 雲が急に光ったんで/それで…〉の後がない。あの曲に、当時のチャボさんの気持ちが全部入っていると思います。
“うぐいす”のレコーディングで、最初はチャボさんのボーカルがシングルで、サビもコーラスが入る前だったので、ちょっと物足りないと思っていました。でも、翌々日にスタジオへ行ったらコーラスが入っていて、バチッと決まって、モノクロだった風景がカラーになって目の前に現れる感じでした」
――なるほど。
「清志郎さんとチャボさん、2人の声ってバッチリ合うんです。そんな2人が出会えたのは奇跡だと思います。どちらがコーラスとも言えないような感じで、2人が合わさって一つの旋律を描く。しびれを切らしている感じが、2人の声が合わさった時にすごく伝わってくるんです。本当にしびれを切らしているチャボさんと、どうにかそうじゃない方向に行きたい清志郎さんとで心中はまったく逆なんですけど、一つの旋律に乗せてそれぞれのアティテュードを放り込むとばっちりハマる。驚きました。
今まで色んなレコーディングやライブを見てきましたけど、RCに限らず、あの瞬間が一番ガーン!ときた瞬間でした。この曲が『Baby a Go Go』の中で一番好きという方もいて、感度の高い方々がキャッチする曲です」
――ヘンリー・ハーシュがアレンジや演奏に意見を言って、喧嘩になったことはあったんでしょうか?
「僕が行った時、ちょうどそういう場面になっていたことが多かったです。
RCのレコーディングは夜に始まって朝や昼に終わることが多かったんですけど、ヘンリーは朝9時に始めて17、18時に終えて帰るんですよ。飲みに行ったりもしないし、清志郎さんのサイクルとは逆。それに合わせていたのですが、清志郎さんがだんだん来なくなっちゃって(笑)。ヘンリーが帰った後に来て、ちょっとダビングしたりとか」
――春日さんと4人で、〈せーの〉で録ったわけではないんですか?
「それは見ていないですね。ベーシックは〈せーの〉で録って、あとはダビングだと思います。
ああいう音質なので、大きなワンボックスのスタジオで〈せーの〉でやっているイメージですが、よく聴くと、意外と見事なダビングアルバムなんです。宅録に近い感じで、ダビングは多かった。それゆえに、密室感はすごくあったと思います」
――クレジットを見ても、清志郎さんが演奏している楽器の数が多いですしね。
「レニー・クラヴィッツのアルバムを聴くとわかるのですが、ヘンリーはベース、デイヴがドラムで、2人はリズム隊でもあるんです。レニーも相当ダビングしていると思います」