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前回来日時にはなかった新たな要素

前置きが長くなったが、そうした長い経過の末にこの場に到達したことについては、メンバーたちにも感慨深いものがあったに違いない。そして冒頭にも記したように、彼らはこの記念すべき夜の公演で、満員の大観衆の要求に応えるのみならず、さらなる進化を遂げていることを証明してみせた。もはや今回のツアーも千秋楽となる東京ドームでの第二夜を残すのみとなっており、これまで行なわれてきた名古屋、大阪、札幌での各公演での演奏内容などについても多数報じられているだけに、いまさらネタバレを気にする必要はないはずだが、ここでは敢えて公演全体の流れを追うことはせず、ポイントを絞って話を進めていきたい。

まず今回の公演は前述のとおり〈THE RHAPSODY TOUR〉と銘打たれた世界ツアーの一環として行なわれているわけだが、このツアー自体は2019年の夏にアメリカを起点に始まっており、要するに彼らは2020年に続き同一ツアーでの二度目の日本上陸を果たしたことになる。そこで前回との具体的な違いとしては、スタジアム級にグレードアップされたステージセットや演出といったものも当然あるわけだが、日本での初お披露目となった要素のひとつに“Machines (Or ’Back To Humans’)”を導入に用いながら“Radio Ga Ga”へと続いていくオープニングがある。これは昨年10月から11月にかけて実施された北米ツアーの際と共通するものだが、メドレーというよりもマッシュアップのような形で披露されたこの2曲はともに『The Works』の収録曲で、どちらもロジャー・テイラーの発想から生まれたものだ。

“Radio Ga Ga”が、SF映画の原点とされる「メトロポリス」(1927年)と所縁深いものであることは改めて説明する必要もないはずだが、同映画に登場するロボットが象徴的に用いられた映像を伴いながらこの曲でショウが幕を開けた際、筆者は過去と未来が頭の中でせめぎあうかのような感覚をおぼえた。より正確に言うならば、遠い過去に空想した未来と、それに相当する現在とのギャップ、もしかしたら未来の答えは過去にあるのではないかというような想いが渦巻き始めたのだ。それは、どこか文明との付き合い方に対する警鐘のようにも感じられたし、“Machines (Or ’Back To Humans’)”との合体により新たな感触を持つようになった“Radio Ga Ga”が、オープニングのみならずアンコール場面にも配されていたことにも意味があるはずだと思えた。

具体的な選曲について言えば、北米ツアー時にはセットリストに組み込まれていなかった楽曲が2曲、今回の日本公演には含まれている。ほぼ誰もがノーヒントで回答できることだろうが、“I Was Born To Love You”と“Teo Torriatte (Let Us Cling Together)”である。どちらも日本と所縁深い曲であることは言うまでもない。

 

亡きフレディの幻影との共存のあり方

正直なところ、今回の日本ツアー初日となった2月4日の名古屋公演の際には“I Was Born To Love You”の登場にやや唐突さが感じられたものの、以降はその配置場所が変わり、この夜も“Bicycle Race”からの自然な流れで効力を存分に発揮していた。また、“Teo Torriatte (Let Us Cling Together)”については、ブライアン・メイからアダムへとリードボーカルが引き継がれていく形で披露されたが、東京ドームでのアダムは、名古屋公演の際よりもこの曲を自分のものとして消化できていたように感じられた。

そのアダムのさらなる進化にも驚かされた。大晦日の「紅白歌合戦」で“Don’t Stop Me Now”が披露された際にも、彼の歌唱は予備知識や先入観のない絶賛の声を集めていたが、その圧倒的声域と声量といい、繊細な表現といい、先頃42歳になったばかりの彼は、まさに脂の乗り切った状態にある。しかもロジャーやブライアンのソロパートなどを挟むたびに何度も装いを変えながら登場する彼ならではの華やかさにも、いっそう磨きがかかっている。ただ単に人目を引かずにおかないだけではなく、自分は自分だという強い自信がこれまで以上に伝わってきた。それが、この奇跡的な場での経験量によって彼が身に付けてきたものであることは疑う余地もない。誤解を恐れずに言うなら、今は彼自身の中で〈歴史との付き合い方〉という大きなテーマに対する答えが見つかった状態にあるのではないだろうか。

それは、言い換えれば〈フレディの幻影との共存のあり方〉ということにもなるだろう。今回のステージでも、ブライアンがアコースティックギターの弾き語りで“Love Of My Life”を披露した際には、曲の後半でフレディが登場。もちろんそれは映像により浮かびあがった彼の姿であり、そうした演出が伴うはずだというのはあらかじめわかっているのだが、それでもまるで彼がその場に現れたかのようなリアリティのある錯覚を楽しむことができた。