いまさら記録や数字のことを書き連ねていけばきりがない。世界的なスーパースターとして、辛い運命に翻弄されながらも、彼女はただ歌うことだけを求め続ける。パリから届けた圧巻の大舞台は復活への序章なのか、あるいは――それでも天性のディーヴァは前へ進んでいく
先のパリ五輪で大復活を遂げたセリーヌ・ディオン。エッフェル塔からエディット・ピアフの名曲“Hymne à l’amour”(邦題〈愛の讃歌〉)を歌い上げ、開会式のクライマックスを感動的に締め括った。そこで初めて彼女の闘病生活やアーティスト活動の休止を知った人は少なくなかったかもしれない。2022年に北米ツアーを突然キャンセルし、病気の治療に専念、第一線から退いていた彼女。その時点では病名すら判明していなかったが、約1年後に筋肉の痙攣などを引き起こす難病のスティッフパーソン症候群を患っていると公表された。歌うのはもちろん、歩くことすら困難になる進行性の精神疾患。ファンの多くは、ステージで歌う彼女の姿は二度と拝めないだろうと諦めていた。それだけに、オリンピック開会式での大復活は涙なしには観られない感動の瞬間なのだった。エレガントで美しく、かつパワフルな彼女の歌声。かつての絶頂期に劣らぬどころか、セリーヌ・ディオンという天性のシンガーの唯一無二の歌声に、世界中の人々は心を鷲掴みにされた。彼女の闘病ドラマを知らずとも、そのマジカルな歌声はオリンピック開会式の最大のハイライトだったと世界中から絶賛の声が沸き起こった。
彼女の闘病生活は、Prime Videoで配信中のドキュメンタリー「アイ・アム セリーヌ・ディオン~病との闘いの中で~」に克明に記録されている。ここまで見せてしまうのか、と思えるほどドキュメンタリーのギリギリ限界に挑戦する。彼女は全編ほぼノーメーク、化粧台には治療薬が並び、痙攣の発作を映した痛々しいシーンは、ショッキングとしか言いようがない。闘病中には久方ぶりに新曲“Love Again”のレコーディングに挑むが、思うように歌えず落胆する姿も捉えられている。「幼い頃から歌に導かれ、歌だけを頼りに生きてきた」という彼女の言葉が、胸に突き刺さる。とはいえ、この病は突然始まったものではなく、17年ほど前から兆候を感じていたという。声が出なかったり、音程が不安定だったり、不調を感じながらも、自分なりに歌い方を工夫し、薬を服用して何とか乗り切っていたそうだ。
そしてリハビリに勤しみ、ようやく満足できる歌が歌えるまでに回復。昨年4月にその“Love Again”が発表され、映画「ラヴ・アゲイン」(セリーヌも本人役で出演する)のサウンドトラックには、全5曲の新曲が収録された。また前述のドキュメンタリーのサウンドトラックには“Love Again”をはじめ、数々の新旧ヒットが網羅されている。日本ではあまり知られていないフランス語で歌われるヒット曲も多数。パリ五輪の開会式に、なぜカナダ人のセリーヌが出演?との声も上がっていたようだが(アメリカ人のレディー・ガガほど多くはなかったが)、そもそもフランスとセリーヌは強い繋がりを持っている。
完璧に自分の歌にする
カナダのケベック州で生まれた彼女は、もともとフランス語が母国語だ。英語が話せるようになるのは、かなり後のこと。14人兄弟(!)の末っ子という大家族に生まれ、5歳の時に兄の結婚式で初めて人前で歌を披露したという。そして12歳の時に、後に夫となるマネージャーのルネ・アンジェリルによってその天使の歌声は発掘される。81年に発表されたデビュー・アルバム『La voix du bon Dieu』とクリスマス・アルバム『Céline Dion chante Noël』は、どちらもフランス語で歌われていた。82年には第13回ヤマハ世界歌謡祭のために初来日し、金賞を受賞した。その後も年1~2枚のペースでコンスタントにフランス語アルバムを発表し、87年には通算8作目となる『Incognito』でメジャー・デビューを果たす。それを機に活動を世界に拡大すると、翌88年にはユーロヴィジョン・ソング・コンテストに〈スイス代表〉として招かれ、フランス語曲“Ne partez pas sans moi”(邦題〈私をおいて旅立たないで〉)で優勝。世界的に注目を浴び、快進撃がスタートする。
英語を猛特訓で習得した彼女はLAへと移住。当時シカゴの復活劇に関わり、映画「セント・エルモス・ファイアー」のサントラなどで成功を収めていた同郷のデヴィッド・フォスターらとスタジオ入りする。そうして90年に完成した初の英語アルバム『Unison』からは、シングル“Where Does My Heart Beat Now”がいきなり全米4位を記録。さらに翌年にはディズニー映画「美女と野獣」の挿入歌としてピーボ・ブライソンとデュエットした“Beauty And The Beast”が世界中で大ヒットを記録した。初期マライア・キャリーの貢献者でもあるウォルター・アファナシエフがプロデュースした同曲は、アカデミー賞やグラミー賞などを獲得。同曲を収めた92年のアルバム『Celine Dion』からは、パティ・ラベルのカヴァー“If You Asked Me To”も全米4位の大ヒット。続く93年のアルバム『The Colour Of My Love』からはリード・シングル“The Power Of Love”が、初の全米No.1を記録した。
その“The Power Of Love”は84年のジェニファー・ラッシュがオリジナルで、エア・サプライやローラ・ブラニガンも発表しているが、セリーヌのカヴァーが最大級のヒットに大化けした。お気づきのように、セリーヌと言えばキャリアを通じてカヴァーの選択が秀逸なのだ。エリック・カルメンの“All By Myself”、シンディ・ローパーの“I Drove All Night”、パンドラズ・ボックスの“It’s All Coming Back To Me Now”、デイヴ・スチュワート率いるプラチナム・ウィアードの“Taking Chances”、ジャーニーの“Open Arms”、ハートの“Alone”など、自身の歌唱力を最大限に活かせる楽曲を見つけ出し、完璧に自分の歌とする。その確かな鑑識力は、いち早く彼女の才能を見抜いたマネージャーのルネ・アンジェリルによるところも大きいはずだ。26歳という年齢の差が長年スキャンダラスに報じられてきた2人だが、94年12月に2人はゴールインを果たす。
同年イギリスでは“Think Twice”が初の全英No.1を記録し、ヨーロッパを中心に大ヒット。一方、日本ではドラマ「恋人よ」の主題歌“To Love You More”が95年に日本だけで130万枚のセールスを記録した。またカナダを始めとするフランス語圏では、引き続き英語アルバムと並行して複数の仏語アルバムがリリースされ、常にチャート上位を賑わせた。なかでも95年の『D’eux』はフランス国内だけで450万枚、全世界で1,200万枚というフランス語アルバムとしては前代未聞のセールス記録を打ち立てた。
96年のアルバム『Falling Into You』で初の全米No.1を獲得し、続く翌年の『Let’s Talk About Love』も全米1位を記録。それら2枚は世界各国で1位を記録した。前者からはダイアン・ウォーレンがペンを執り、デヴィッド・フォスターがプロデュースにあたった“Because You Loved Me”、ミート・ローフでお馴染みのジム・スタインマンが手掛けた“It’s All Coming Back To Me Now”、そして“All By Myself”の3曲が全米1位をマーク。後者のアルバムからは、映画「タイタニック」の主題歌“My Heart Will Go On”がキャリア最大級のヒットとなり、映画と同じく世界中のヒットチャートのトップを数か月に渡って独占した。アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞など数々の大賞を総舐めし、〈パワー・バラードの女王〉として不動の地位を確立。ソフト・ロック、ダンス・ポップ、AORなどもさまざまなスタイルの曲を歌っているにも関わらず、バラード歌手としての印象が強いのは、この曲によるところも大きいはずだ。その後、絶好調のキャリアのピーク時点で休養宣言。しばらく出産や夫の癌治療などに専念した後、2002年にアルバム『A New Day Has Come』でカムバック。またもや米英をはじめとする世界のチャートで見事に1位を記録する。
私はシンガー
2003年にはアルバム『One Heart』をリリース。同時に、ラスヴェガスのシーザーズ・パレス内に特設されたコロシアム劇場で〈A New Day...〉と題されたレジデンス公演をスタートする。あまりにもリスキーと囁かれた3年にも及ぶチャレンジだったが、これが大ヒット。契約が4年間に延長されたうえ、2011年にもラスヴェガスに舞い戻ってレジデンス公演を再開。そして延長に次ぐ延長を繰り返し、2019年まで続けられた。ラスヴェガスといえばセリーヌ。セリーヌといえばラスヴェガス。彼女の成功が、ブリトニー・スピアーズ、ジェニファー・ロペス、マライア・キャリー、ケイティ・ペリーをはじめ、第一線で活躍するディーヴァたちをラスヴェガスへと向かわせたのは、よく知られているところだ。かつてはエルヴィス・プレスリーやフランク・シナトラら引退間近な大御所アーティストの行き着く先と捉えられていたヴェガスだが、新しい観客層を取り込むことに成功。そのきっかけを作ったのが、セリーヌのレジデンス公演だったのだ。
先のドキュメンタリーの中でも「パフォーマンスに戻りたい」と、しきりに訴えていたセリーヌ。彼女のステージを観たことがある人なら、きっと頷けると思うのだが、とにかくエンターテインメントとしての完成度が突出している。少々やりすぎでは?と思えるほどの120%のパワーで歌い、コスチュームをチェンジし、ダンサーと絡んだり、派手なアクションで盛り上げる。曲間のトークも実に絶妙で、時に自虐的だったり、おどけてみせたり、常にオーディエンスを巻き込みながら笑せる。歌に関しては、いまさらながらアクロバティックな技巧が唯一無二であるのはもちろんのこと、とにかく澄み渡る歌声の美しさが絶品だ。パンチの効いたパワフルなドライヴ感と、胸焼けしない爽やかさ。スムースに淀みなく浮遊しながら酔わせてくれる。
デビュー当初から「私はシンガーだ」と断言してきたセリーヌは、ほんのわずかな例外を除いて、ほぼすべての楽曲の作詞・作曲に本人は関わっていない。少しだけ歌詞を変えたり、歌い回しをアレンジするだけで共作者としてクレジットを得て、莫大な印税を得ることもできるはずだが、あえてそうしないのはプロの作詞家・作曲家に対するリスペクトなのだろう。自身は歌に集中し、レコーディングとステージだけで稼ぐ。いまや希少なシンガーと言えるかもしれない。そのせいか、意外な方面から彼女に歌ってほしいという曲が寄せられることも少なくない。2007年のアルバム『Taking Chances』には、現ボン・ジョヴィのジョン・シャンクスからリンダ・ペリー、元エヴァネッセンスのベン・ムーディやディジー・ミズ・リジーのティム・クリステンセンまで、ロック界の強者スターが集結した。2013年の『Loved Me Back To Life』には、シーアやニーヨ、スティーヴィー・ワンダーらが協力。映画「デッドプール2」の主題歌“Ashes”のリミックスには、ラスヴェガスで交友が育まれたスティーヴ・アオキが参戦した。
2016年1月には夫が他界し、その2日後には兄も失った。さらに自身の闘病生活もあり、すべてが順風満帆とは言い難い私生活だが、そんな逆境を跳ね返すかのごとく、2019年には12枚目の英語アルバム『Courage』をリリース。〈勇気〉と名付けられた同作は、17年ぶりに全米No.1に輝いた。タイトル曲では、亡き夫に向かって前進する決意が切々と綴られている。
「這いずってでもステージでまた歌う」と、拳を握るセリーヌ。パリ・オリンピック開会式での歌唱を耳にして、完全復活が近いのでは?と思ったファンは多いだろう。そして改めて彼女の歌を聴きたいと願った人は多いはずだ。すでにラスヴェガスでの新たなレジデンス公演もほぼ決定しているとの噂も流れはじめている。同時にニュー・アルバムの準備も進められているのではないか――と密かに期待を募らせているのだが。
このたび日本盤がリリースされたドキュメンタリー作品のサントラ『I Am: Celine Dion』(Columbia/ソニー)
左から、“Ne partez pas sans moi”を収めたコンピ『Now That’s What I Call Eurovision Song Contest』(Now)、91年のサントラの新装盤『Beauty And The Beast』(Walt Disney)、97年のサントラ『Titanic』(Sony Classical)
セリーヌ・ディオンの参加作。
左から、2005年のトリビュート盤『So Amazing: An All-Star Tribute To Luther Vandross』(J)、トニー・ベネットの2006年作『Duets: An American Classic』(Columbia)、2007年のトリビュート盤『We All Love Ennio Morricone』(Sony Classical)

Encore un soir
セリーヌ・ディオンを育んだフランスとフランスの音楽
春頃のインタヴューで〈目標はエッフェル塔を見ること〉と匂わせていたように、先日のパリ五輪開会式にサプライズ登場したセリーヌ・ディオン。90年代以降も定期的にフレンチ・アルバムを発表している彼女だが、彼女のアルバム『D’eux』(95年)と『S’il suffisait d’aimer』(98年)は、全編フランス語の音楽アルバムとしては史上最高のセールスを上げた作品だそうで、しかもヨーロッパ諸国や日本も含む非フランス語圏のマーケットでも成功しているそうだ。2008年に彼女は〈フランス国外でのフランス語の影響力拡大に貢献した〉としてサルコジ大統領(当時)から最高勲章にあたるレジオンドヌール勲章を授与されている。彼女はこちらが考えている以上にフランスやフランス語圏の国にとって文化的にも重要な存在なわけで、そんな彼女だからこそ、シャルル・アズナブールやジョニー・アリデイのような国民的歌手とのコラボも実現してきたのだろう。
なお、そんな彼女をスターダムに押し上げたルネ・アンジェリルは60年代からカナダの音楽業界で活動するプロデューサーで、セリーヌを発掘する前は日本デビューもした少年歌手のルネ・シマールを見い出したり、西城秀樹(!)の仏語盤“Lola”を手掛けたこともある。セリーヌのブレイク後はガルーをメジャー・デビューに導くなど、亡くなるまでフランス語の音楽に貢献し続けていたのだ。 *狛犬
左から、セリーヌ・ディオンの95年作『D’eux』(Columbia)、シャルル・アズナブールの2008年作『Duos』(Odeon)、ジョニー・アリディの2012年作『L’Attente』(Warner)、ガルーの2000年作『Seul』(Columbia)
WHEN I FALL IN LOVE
ドラマを盛り上げ、ドラマと共に記憶されてきたセリーヌの名唱
本国を飛び出しての成功が「美女と野獣」(91年)の主題歌から始まったように、セリーヌと映像作品の間には切っても切れない縁がある。あの歌声はドラマティックな場面をより劇的に盛り上げるものだし、印象的なシーンは歌声に滲む情感を目の前に展開してくれるものだ。そんな彼女の「タイタニック」(97年)前の印象的な歌といえば、トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の「めぐり逢えたら」(93年)におけるクライヴ・グリフィンとのデュエット“When I Fall In Love”で、そこに続く“Because You Loved Me”は「アンカーウーマン」(96年)で使われた。そうやって映画仕事が続いたせいでセリーヌは「タイタニック」を断りたかったというのもおもしろい(夫の説得で引き受けたそうだ)。
以降も“Bewitched”を歌った「モナリザ・スマイル」(2003年)、日本語歌唱に挑んだ「まぼろしの邪馬台国」(2008年)、キッズ向けの「ザ・マペッツ2/ワールド・ツアー」(2014年)、実写版「美女と野獣」(2017年)のエンドソング、MVも話題になった「デッドプール2」(2018年)の“Ashes”などなど、サントラでしか聴けない彼女の名演は数多い。また、セリーヌをモデルにした〈アリーヌ〉の物語をヴァレリー・ルメルシエが監督・脚本・主演で描いた「ヴォイス・オブ・ラブ」(2021年)のサントラではヴィクトリア・シオが多くのセリーヌ曲をカヴァーしているので必聴だ。 *狛犬
左から、93年のサントラ『Sleepless In Seattle』(Epic)、2003年のサントラ『Mona Lisa Smile』(Epic)、2014年のサントラ『Muppets Most Wanted』(Walt Disney)、2017年のサントラ『Beauty And The Beast』(Walt Disney)、2018年のサントラ『Deadpool 2』(Columbia)、2021年のサントラ『Aline』(Milan/Masterworks)
DISCOGRAPHIC CELINE DION
セリーヌ・ディオンを知るための11枚
“Beauty And The Beast”のヒットを受けて制作された英語詞での2作目(通算11作目)。ウォルター・アファナシエフとリック・ウェイクを迎えた構成の狙いは明白だが、感傷的なバラードを立てた完成度の高さはマライアの雛形を凌ぐものとなった。ダイアン・ウォーレンが5曲を提供したほか、プリンス作の“With This Tear”も聴きものだ。
世界的に段違いの成功を収めたブレイク作品。デヴィッド・フォスターがメインでプロデュースにあたり、なかでも力強くエモーショナルな“The Power Of Love”が全米1位を記録した。基本的には前作を踏襲しつつより内面に近づいた愛のアルバムになっている。日本では95年に“To Love You More”を加える形でミリオン・ヒットになった。
世界で3200万枚のセールスを記録したモンスター・アルバム。全米No.1に輝いたダイアン・ウォーレン作の“Because You Loved Me”、さらに“It’s All Coming Back To Me Now”や“All By Myself”などの代表的なバラード・ヒット連発期の大作ながら、ライヴでお馴染みの“River Deep, Mountain High”がここにあるのも重要。
“My Heart Will Go On”を収録して引き続き3000万枚以上のセールスを叩き出した絶頂期の一枚ながら、ビー・ジーズやバーブラ・ストライサンドといった憧れの存在を招きまくった豪華な作品でもあり、イメージ以上に振り幅は広い。ダイアナ・キングのカヴァー“Treat Her Like A Lady”にはダイアナ本人とブラウンストーンを迎えている。
夫の病などに伴う長期活動休止を控えて用意した、華やかなディケイドを締め括るベスト盤。7つの新曲が用意され、ロバータ・フラック“The First Time Ever I Saw Your Face”のカヴァーやロバート“マット”ラングとのコラボなど多彩な面を見せる。マックス・マーティン組のアップ“That’s The Way It Is”はこの後に繋がる手合わせに。
出産を経てカムバックを果たした21世紀最初のアルバム。以降も彼女のテーマソング的な役割を果たしていくタイトル曲をはじめ、シャナイア・トゥエインがコーラスを務めた“Goodbye’s (The Saddest Word)”やダンス・ポップの“Sorry For Love”などエンターテイナーとしての幅広さを披露している。USを含めて各国でNo.1を記録。
シンディ・ローパー“I Drove All Night”のアップリフティングなカヴァーを先行カットにし、より積極的にイメージの刷新を図ったと思しき意欲作。同時代のブリトニーやカイリー的なサウンドも意識したのか、マックス・マーティン&ラミ・ヤコブ、キャシー・デニス、カーラ・ディオガルディなどのヒットメイカーがズラリと並んでいる。
フランス語作品や我が子に捧げる『Miracle』を経ての、英語詞での10作目。引き続き貪欲に多様なスタイルに挑んでおり、ジョン・シャンクスやベン・ムーディ、リンダ・ペリーら意図的に制作陣を変えてのロッキッシュな路線が目立っている。ニーヨのペンによる“I Got Nothin’ Left”やドリーム作の簡素な“Skies Of L.A.”がいい。
英語詞としては6年ぶりとなった一枚。ダブステップなどのエッジも加えつつアダルト・コンテンポラリー方面に揺り戻し、ベイビーフェイスらも起用して大らかな歌を聴かせた印象だ。シーア共作の力強い表題曲、スティーヴィー・ワンダー本人を招いての“Overjoyed”、ニーヨとのデュエット“Incredible”など名唱が連発される。
夫の死を乗り越えて自身を鼓舞するような、現時点での最新オリジナル・アルバム。デヴィッド・ゲッタやスティーヴ・アオキなど新たな出会いも活かし、ダンサブルな“Flying On My Own”などのアップにもストロングな個性を見せている。求められるクラッシーなバラードも現代的なポップ・チューンと巧みに共存させた好盤だ。
現時点ではこちらが最新の楽曲集となる、セリーヌ自身も出演した映画のサントラ。過去の名曲と共に5曲がエクスクルーシヴな新録となっていて、抑えめな表現力で切なく歌い上げるスロウの表題曲から飛翔感のあるダンサブルなアップ“I’ll Be”まで曲調は多彩だ。Dマイル制作によるレトロ・ソウル調の“Waiting On You”が心地良い。
OTHERDISCOGRAPHIC
ALBUM
La voix du bon Dieu(1981)
Céline Dion chante Noël(1981)
Tellement j’ai d’amour...(1982)
Les chemins de ma maison(1983)
Chants et contes de Noël(1983)
Mélanie(1984)
C’est pour toi(1985)
Incognito(1987)
Unison(1990)
Dion chante Plamondon(1991)
D’eux(1995)
S’il suffisait d’aimer(1998)
These Are Special Times(1998)
1 Fille & 4 Types(2003)
Miracle(2004)
Sans attendre(2012)
Encore un soir(2016)
COMPILATION
My Love: Essential Collection ...and more!
PEOPLE TREE
耳で聴いたピープル・トゥリー
エアロスミスからトニ・ブラクストンらに膨大なヒットを書いてきた稀代の名ソングライターだが、“Because You Loved Me”など多くの楽曲を提供してきたセリーヌとの仕事はお互いにとっての重要な経験となっているはず。この本人名義による初リーダー作ではセリーヌをフィーチャーして“Superwoman”を披露している。
セリーヌが昔から目標としていたひとりだという、エンターテイメントの女王とは、自身の97年作収録の“Tell Him”にて緊張のデュエット共演を果たしている。同曲を収めたバーブラ側のデュエット集となる本作には、フランク・シナトラやバリー・ギブらセリーヌとのコラボ歴もある大物たちがズラリ。ちなみにサントラ『Mona Lisa Smiles』でも顔を並べて参加していました。
96年に“(You Make Me Feel Like A)Natural Woman”を取り上げていたセリーヌは、翌年にこのレジェンドから書き下ろしで“The Reason”の提供を受けた(しかもプロデュースはジョージ・マーティン!)。キャロルが同曲を本作でセルフ・カヴァーした際にはセリーヌがバック・ヴォーカルに駆けつけている。
子どもの頃から憧れだったスターのほとんどと世界デビュー後にステージ/音源で共演できたというセリーヌだが、フレディ・マーキュリーは間に合わなかった。歌唱のみならずステージでの振る舞いにも影響を受けていたそうで、夫の他界後には“The Show Must Go On”のカヴァーを配信、ステージでも堂々と歌い上げた。
18歳でマイケルのステージを観たセリーヌは〈こんなスターになりたい〉とマネージャーのルネに語り、それが世界に出るために英語を学ぶ大きな動機となったという。その後はマイケルが主導した2003年のチャリティ・ソングの“What More Can I Give”に駆けつける格好で共演。2010年のグラミー授賞式でトリビュートにも参加した。
自身がホストのクリスマス特番にデスティニーズ・チャイルドを迎えてステージ共演したことはあったセリーヌ。以降は縁がありそうでないが、ビヨンセが双子を出産した際には双子の母としてアドヴァイスを送ってもいた。なお、歌い手としてはいずれもエタ・ジェイムズの“At Last”をカヴァーしているので、そういう聴き比べも可能だ。
ウォルター・アファナシエフやリック・ウェイクら制作メンツの被りが多かったこともあり、90年代に何かと比較されたり一括りにされたりしていたマライアとセリーヌ。ホイットニー × マライア的な一騎打ちはまだないものの、ジャーニーのパワー・バラード“Open Arms”を揃ってカヴァーしているので、そういう聴き比べも可能!
セリーヌと同じくレパートリーの多くがカヴァーにあたる……という意味では、こちらのティナも最高の〈解釈歌手〉だったわけだが、そこからセリーヌがカヴァーしたのはアイク&ティナ時代の“River Deep, Mountain High”。パワフルなオーラまで継承するかのような、圧倒的にライヴ映えする名カヴァーに仕上がっています。
シーアがコライトした“Loved Me Back To Life”で起用して以降、セリーヌは彼女のことがお気に入りのようで、『Courage』では“Lying Down”と“Baby”が採用されてバック・ヴォーカルも務めている。ちなみに今回のドキュメンタリーではセリーヌがシーアの物真似を披露するおもしろシーンも観られます。
近年は固定のメンツだけでなく多方面のソングライターを積極的に起用している様子のセリーヌだが、最新作『Courage』では彼とジミー・ネイプスが書いた“For The Lover That I Lost”をピックアップ。サム本人的にもお気に入りの一曲だったのか、こちらのサード・アルバムではセルフ・カヴァーする格好でみずからも披露していた。
もともとセリーヌの大ファンであり、近年はライヴなどを訪れて直接の交流も深めているアデル。セリーヌの噛んだガムを持ち帰って額装して飾っているというからその愛は本物(?)。なお、セリーヌはダニエル・メリウェザー × アデルの“Water And A Flame”をカヴァーし、プロデュースは『19』でもお馴染みのエッグ・ホワイトに委ねていた。





















