西アフリカから現れたギター・ヒーローがいま鳴らすのは、争いの止まぬ時代に向けた嘆きと怒り――トランス状態を喚起する圧巻の新作は、ここではない世界への招待状だ!
西アフリカはニジェール中部の村、アガデズで生まれたエムドゥ・モクター。砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族にルーツを持つ彼は、いまや世界的なギター・ヒーローになりつつある。
NYの名門インディー・レーベル、マタドールからリリースされた前作『Afrique Victime』(2021年)以降、エムドゥは長期間に渡るワールド・ツアーを展開してきた。各地の巨大フェスにも出演して大きな反響を集めるなか、先日にはドージャ・キャットがヘッドライナーを務める〈コーチェラ〉の3日目にも出演。6月には〈グラストンベリー〉への出演も決定するなど、順調に活動範囲を広げている。レフトハンドのギタリストであり長身であることから〈砂漠のジミ・ヘンドリックス〉などというキャッチコピーと共に語られることもあるエムドゥだが、もはや彼を紹介するうえでジミの名前を持ち出す必要もないだろう。
新作『Funeral For Justice』は2017年からエムドゥを支えてきたアメリカ人ベーシスト、マイキー・コルタンのプロデュース作。かつての作品と違うのは、本作がエムドゥ・モクターというソロ・アーティストの作品ではなく、〈エムドゥ・モクター〉というひとつのバンドとして制作されたことだ。リズム・ギターのアフムードゥ・マダサネ、ドラマーのスレイマン・イブラヒム、そしてエムドゥとマイキーによって奏でられる骨太なバンド・アンサンブルには、ここ数年各地でライヴを重ねてきた成果が反映されている。
レコーディングが行われたのは、機材の整ったスタジオではなく、NY北部の家具ひとつない家。一切の装飾を排除した剥き出しのサイケデリック・ロック・サウンドにはガレージ・ロック的な荒々しさが満ち溢れているが、そうした録音環境も無関係ではないだろう。また、プロデューサーのマイキーはもともとワシントンDCのパンク・シーンで活動していたそうで、メンバー一人一人のエネルギーをダイレクトに写し込んだ音作りには、そうした出自を持つマイキーの手腕も発揮されている。
90年代以降、サハラ地域のギター・ミュージックは〈砂漠のブルース〉などとも呼ばれて世界的に知られるようになった。〈砂漠のブルースのゴッドファーザー〉とも称されるアブダラ・ウンバドゥグーの路上演奏を少年時代に目撃し、音楽への道を志したというエムドゥもまた、〈砂漠のブルースの子ども〉といえるだろう。特徴的なギター、トゥアレグ族の言語であるタマシェク語による歌、呪術的でサイケデリックなリズム。トゥアレグ族の伝統的なダンス音楽であるタカンバなどを取り入れたそのサウンドは、あきらかに砂漠のブルースの系譜に連なるものだ。
だが、今回の新作は従来の砂漠のブルースにはない広がりを持つ。歪んだギター・リフが引っ張っていくタイトル曲“Funeral For Justice”、手数の多いリズム隊が疾走する高速のブルース・ロック“Sousoume Tamacheq”、2本のギターが豪快に絡み合う“Oh France”などにはハード・ロック的なダイナミズムが満ち溢れている。その一方で、ミニマルなリズムが聴き手をトランス状態に誘う“Imajighen”などからは、砂漠のブルースならではのディープな魅力も感じ取れるはずだ。
近年、民族音楽的な要素を持つ世界各地のローカル・ミュージックが〈サイケデリック〉というキーワードで捉え直されている。例えば幾何学模様のメンバーによって運営されるレーベル、グルグル・ブレインからは台湾やインドネシアなどアジア各地の作品がリリースされ、サイケデリック・ミュージックとしての共通性が見い出されている。エムドゥ・モクターが本作で奏でているのもまた、新たな時代のサイケデリック・ミュージックと言えるだろう。
本作のプレス・リリースのなかでマイキーが「今回のアルバムでは、政治的なメッセージを強く打ち出したかった」と話しているように、本作は混乱の続く現在の世界情勢が色濃く反映されている。遊牧民であるトゥアレグ族は常に経済的・政治的に困難な状況に置かれてきたが、エムドゥの発する怒りに満ち溢れたメッセージには一人のトゥアレグ族としての緊迫感も漲っている。
グローバルな広がりを持つ現代のレベル・ミュージック。その切実なメッセージに触れていただきたい。
エムドゥ・モクタ―の過去作と参加作を一部紹介。
左から、2021年作『Afrique Victime』、2022年のEP『Niger EP Vol. 1』、『Niger EP Vol. 2』(すべてMatador)、マット・スウィーニー&ボニー・プリンス・ビリーの2021年作『Superwolves』(Domino)