©Ken Veeder

 安易な美の観念を寄せ付けない、気高く、力強く、鍛え抜かれた歌声、観衆を魅了する美貌と端麗な舞台姿、そして卓越した演技力……。マリア・カラス(1923.12.2、ニューヨーク~1977.9.16、パリ)は申すまでも無く20世紀最高のソプラノ歌手である。彼女の声には外面的な華やかさや甘美な魅惑というものがない。ソプラノでありながら翳りがあり、時に鋼線のように強く、時に心の襞に触れるように柔らかな歌声が、内面から燃え上がる青白い炎により光沢を放っている。彼女が得意としたのは復讐心に燃える王女であり(メデア)、禁じられた愛に苦しむ巫女であり(ノルマ)、正気を失った花嫁であり(ルチア)、男を誘惑するジプシーの美女であり(カルメン)、結核に倒れる高級娼婦であり(ヴィオレッタ)、刑死した恋人を追って城の屋上から身を投げる歌手(トスカ)であった。こうした悲劇のヒロインを演じる上で、彼女の芸術的気稟、声の質、ドラマティックな表現力ほど理想的なものは無かった。彼女がいかに傑出した存在であったかは、没後37年が経過した今日、なお彼女に比肩する歌手が現れないことによっても証明されるだろう。

マリア・カラスの歌唱による“Ave Maria”

 彼女の声の絶頂期は短く、1951年から1958年にかけての7年間と言われている。1965年以降は彼女自身が自らの歌声に納得できずオペラに出演しなくなり、その後は僅かなリサイタルと録音を行ったに過ぎない。1974年に来日して4回のコンサートを開き、大喝采を浴びたが、人一倍審美眼の高い彼女は自らの歌に絶望し、以後ステージに立とうとせず、1977年9月、53歳の若さで忽然と世を去った。

MARIA CALLAS 『Complete Remastered Edition In Original Jacket』 Warner Classics(2014)

 幸いなことに彼女の芸術は録音に残された。1949年から1953年がイタリア・チェトラによるもの、1953年から1969年がEMIによるものである。そして近年のレコード業界の再編により、チェトラ、EMIともにその音源をワーナー・クラシックスが保有することとなった。そしてマリア・カラス生誕90年の今年、彼女の全てのセッション録音が、最新技術を使ったリマスターによってCD69枚に集大成される。その約70%は、彼女の絶頂期、1951~58年の録音なのである。

 リマスターが行われたのは旧EMIの本拠地であるロンドンのアビイ・ロード・スタジオ。西欧でのデジタル録音は1980年頃から始まったので、カラスの録音はすべてアナログ録音である(1957年まではモノラル、一部の1957年録音と1958年以降がステレオ)。今回のリマスターでは、すべてオリジナル・アナログマスターから改めて96kHz/24bitというハイサンプリング・ハイビットでデジタル化されている。今回のリマスターは、マリア・カラスの歌声はそのままに、雑音を取り除くことに注力したとのことで、元のアナログの良さを失わないよう、音が鮮明になりすぎないよう注意し、当時の録音会場外の騒音(軍用列車やバイクの通過音)を最新技術で取り除いたという。また、以前のCDで電気的に残響付加されていたモノラル録音も、そうした操作をやめ、真正モノラルのままリリースされる。

MARIA CALLAS 『Pure』 Warner Classics/ワーナー(2014)

 筆者は今回のリマスターのベスト盤『ピュア』を聴いたが、とくにモノラル録音の音質改善に驚いた。マリア・カラス絶頂期の歌声の強さと柔らかさが見事に再現され、かつモノラル録音ならではの音が1点から真直ぐに届く迫力が体感できたからである。加えて、『ピュア』の選曲は、過去様々な映画で使われたオペラ・アリア18曲からなるが、先に挙げた彼女の得意役が全て網羅されている。今回のリマスターの音質を確かめてみたいというヴェテランの方にも、これからマリア・カラスを聴きたいというビギナーの方にも、ともにお勧めできる内容となっている。

 時を同じくして、映画でも彼女の全盛期の映像が上映されることとなった。2015年春、劇場公開予定の「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」である。1958年12月19日の彼女のパリ・オペラ座へのデビュー公演を収めた内容。特別上映会は11月と12月に都内で行われる。CD全69枚のリマスター盤と、全盛期の映像上映、この秋は久しぶりのマリア・カラス・ブームとなるに違いない。

 


MOVIE INFORMATION
映画「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」 特別上映会
絶世の歌姫マリア・カラス、絶頂期のパリ・デビュー公演。
完全版による世界初のスクリーン公開!(2015年春、劇場公開予定)
2014年11月19日(水)東京・渋谷 さくらホール 
2014年12月18日(木)東京・よみうり大手町ホール 
各日共:11:00/14:00 2回上映
https://www.gakugakai.com/