©Ken Veeder

マリア・カラス生誕100年記念完全限定生産ボックス

20世紀最高の歌姫(ディーヴァ)、マリア・カラス生誕100年を記念して、2014年にリマスター・リリースした〈スタジオ録音リマスター・エディション〉と2017年にリマスター・リリースした〈ザ・ライヴ・レコーディングズ〉、そして前BOXに権利上含まれなかった3つのオペラ全曲、11のリサイタル・ライヴ音源や、ジュリアード音楽院でのマスター・クラス(旧EMIから以前リリースされていた)、さらにリハーサルなどからの未発表音源を収録し、完全限定生産として9月22日、発売決定!!

 「マリア・カラスってどんな人?」 ― 仕事柄、このお訊ねが多い。経歴なら、「オペラ歌手として一世を風靡した女性。ギリシャ系アメリカ人のソプラノ。1923年ニューヨーク生まれ、1977年パリにて死去」である。現役時代を知る人も少なくなった。

 しかし、その名はいまも「オペラ界のシンボル」であり、ファンも年々増えている。理由はシンプル。要は「マリア・カラスを凌ぐ歌手がまだ出ていない」から。彼女の業績は絶大なもの。埋もれたオペラが幾つも蘇り、容姿も舞台映えするので歌劇場は満杯になった。彼女はまた、目立つエピソードに事欠かない。「半年で数十キロの減量に成功」「船舶王オナシスとダブル不倫」「パリ・デビューは大統領臨席の祝典コンサート」。どれも大いにマスコミを賑わせた。

 でも、ゴシップ記事が出ようとも、カラスの芸術性を貶めることはない。その個性は鋭く強烈。聴き間違えようのない歌声と、際立つ演技力を有している。だから、魅力は世代を超えて伝わり、「オペラは初めて」の人にも届きやすい。それに、録音や映像もたくさん遺したから、マリア・カラスの芸術性に触れるのは、何も難しくはない。

Parlophone Records Ltd., A Warner Music Group Company

 そして、さらに面白いのは、没後半世紀近くのいまも新資料が世に出ること。つまりは、オペラ界全体がカラスに熱狂した結果、「秘蔵」の映像や音源が遺され、ある日突然それらが発見されてゆくのである。だから、「我こそはオペラ通!」と誇る向きも、カラスについては「未知のソース」に直面する。ちょっとしたニュース映像や、レコーディング中のディレクターとのやりとり(の音声)だけでも、カラスの場合は貴重な資料なのである。

 そこにあるのは、彼女一流の確たる姿勢。共演した大芸術家たち ―指揮者カラヤンやバリトン歌手のゴッビなど ― が考えるマリア・カラスは、「絶対に手を抜かない」歌い手であった。現場での彼女の主張は、どんなに小さなことでも疎かにできない。気ままに発言しているわけではないからだ。筆者はこれまで、歌姫を直に知る多くの人々にインタヴューさせて貰ったが、全員がまず言ったのは「完璧主義者。時間厳守。稽古場では人一倍熱心。アドヴァイスは素直に受け入れた」である。世界一の歌姫は、世界一自分に厳しかった。ただ、彼女はこんな風にも言ったそう「当たり前のことをしているだけよ」。

MARIA CALLAS 『La Divina: Maria Callas In All Her Roles』 Warner Classics(2023)

 今年、カラスの生誕100年を記念して、CD・131枚、DVD-ROM・1枚、Blu-ray・3枚でなんと合計135枚の『La Divina限定盤BOXセット』が発売される。リマスタリングが施された正規のスタジオ&ライヴ音源なので、録音年代に比べてどれも聴きやすいが、筆者がまず唸ったのは、1949年の初リサイタル盤(通し番号#56)の“清らかな女神よ Casta diva”(ベッリーニの歌劇“ノルマ”の主人公登場のアリア)である。息遣いが極めて難しいこの名曲で、当時まだ25歳のカラスが、密やかな歌い出しと細やかな装飾音型を誰よりも丁寧に歌い上げるのを聴くと、「歌い手の心」が最初期から貫かれていたことに改めて気づく。だから思わず、「この録音を何年も忘れていて、ごめんなさい」と呟いた。そのように、「何度でも検証し、そのたびに顕彰できる」のが歌姫カラスの芸術性である。

 ちなみに、このアリア〈清らかな女神〉については、BOXセットを通じて、歌姫の解釈が何通りも味わえる。特に、ニューヨークでのマスタークラスの実況盤(番号133のCD)では、受講者に根気強く指導するカラスの「解釈力」が感動を誘う。また、先述のパリ・デビューの映像(番号128のブルーレイ、トラック3)でも歌われるが、不慣れな合唱団が指揮とずれ始めた際、カラスは右手で演技しながら拍子をとり、一瞬、ソプラノパートの方を鋭く睨む。「貴方たち、プロでしょ?」と全身で伝え、喝を入れたのだ。

Anna Bolena
Photo:Erio Piccagliani, Teatro alla Scala

Maria Callas (Amina) & Leonard Bernstein rehearsing La sonnambula Teatro alla Scala Milan
Photo:Erio Piccagliani

 そのようなスリリングな瞬間が、音声からも映像からふんだんに聴き取れること、それがこのセットの真価である。3種ずつあるヴェルディ“椿姫”やプッチーニ“トスカ”では、名指揮者たちの棒捌きが歌声と深く絡み、番号131のCDでは「初めて世に出る音源」として、セッション録音中のカラスとスタッフのやりとりが聴ける。咳払いして喉を整えるカラス、指揮者と細部を確かめるべく、込み入ったパッセージを口ずさんだり、歌を途中で止めて再確認するカラス……そこには、穏やかさを保ちつつ、最上の成果を手にしようとする彼女の高い志が露わになっている。

 また、番号135のDVD-ROMでは、個人的に親しかった指揮者エドワード・ダウンズと共に、この歌姫が本当にリラックスしながら、芸術談義をするさまが聴き取れる(1969年、英語)。「若くして“ノルマ”を歌ったと言っても、それまでに(学生時代からの)10年のキャリアがありましたから」とさらっと語り、たびたび笑い声を立てる彼女の様子は、ファン層のみならず、真摯に歌を学ぶ人すべてに届けたい貴重な資料である。

 そして、これは筆者も初めて聴くソースになるが、同じDVD-ROMには、歌姫の訃報に接した著名人たちの、心溢れるコメントが音声で収録されている。フランスのチームが各地で収録したらしく、先述のカラヤンやジュリーニ、プレートルといった大指揮者、メゾソプラノのバルビエリや女性演出家ヴァルマンなどの共演者、さらには、親交あったソプラノのカバリエといった大物が、故人を偲びつつフランス語でじっくり語るさまは、飾り気のない素朴なもの。また、カラスと働いた業界人たち ―プロデューサーのグロッツや仏語の歌唱指導者レイス、―のオマージュの言も、しみじみとした口調で忘れ難いものに。不世出の名盤たる“カルメン”全曲録音も、二人の支えのもと、世に送られた。このBOXセットは、そのような、カラスの活動に寄せられた「誠意」の結晶でもあるのだろう。