ILLMATIC XXX
永遠に回り続けるクラシック……ナズの『Illmatic』が30周年!
94年4月のリリースから30周年という時間の経過に洗われることがなく……それどころか、トレンドや価値基準の変動が激しいとされるヒップホップの範疇においても揺るぎない名盤としての評価を確立している、そんな特例中の特例がナズの『Illmatic』である。出た当時は神格化されてもリスナー層や時代の感覚が入れ替われば評価も変わるのが普通だし、逆にリリース時はそうでもないところからゆっくり評価が定まっていって磐石のクラシックと見なされるようになったドクター・ドレー『2001』のような例もある。それにしても、出る前からあらかじめクラシックを期待され、リリースと同時に高い評価を獲得してクラシック化し、それが10年、20年、30年経っても変わらずクラシック視されているという、『Illmatic』はそんな特殊すぎる名盤なのである。
もっともそれはリスナーによって現在の時点が何周目かという個人差の話でもあって、親しみやすいセカンド・アルバム『It Was Written』(96年)のほうがしっくりくるタイミングの人もいるだろうし、あるいは『Stillmatic』(2001年)を逆に(とは?)気に入っていても何もおかしくない。ましてやコンスタントに新作を発表し続けている人だからして、最新作を常に高く評価したい人もいるだろう。ただ、ナズのキャリアを眺めて作品に触れるとしたらそこには『Illmatic』という厄介な基準があって、それゆえに超え難い壁として受け手の側が認識している点があるのも事実だ。最初のアルバムがそんな高いハードルになっていることが本人にとって幸福なのかどうかはわからないが、今後も聴き手の美意識を規定していくその圧倒的なスタンダード感は、リスナーにとってのある種の物差しであり続けるに違いない。
2004年の10周年時には2枚組の〈10 Year Anniversary Illmatic Platinum Series〉がコンパイルされた。そこから2014年の20周年に際してはまた別仕様の『Illmatic XX』がリリースされ、アルバム誕生の物語を追ったドキュメンタリー映画「タイム・イズ・イルマティック」も公開された。では30周年は……ということで、このたび登場したのがクリア・ヴァイナルのアナログ・レコード盤で、それと同時に日本限定盤としてカセットテープ版のリイシューが実現した。これまでとは違う意味でのコレクターズ・アイテムとなるだろうが、この事態はそれだけこのアルバムに価値があることを証明するものだ。改めて聴いてみても、DJプレミア作の“N.Y. State Of Mind”と“Memory Lane (Sittin’ In Da Park)”“Represent”をはじめ、L.E.S.が手掛けてAZを迎えた“Life’s A Bitch”、ピート・ロックによるヒット・シングル“The World Is Yours”、Q・ティップ作の“One Love”、そしてラージ・プロフェッサー渾身のデビュー・シングル“Halftime”(92年)と“One Time 4 Your Mind”、マイケル・ジャクソン“Human Nature”の美しいネタ使いを伴ってラストに控える“It Ain’t Hard To Tell”……と、収録された一粒一粒の輝きはとんでもない。
そんな名作の30周年をもっと祝うべく、9月にはスペシャルな記念ライヴ開催と〈Blue Note Jazz Festival〉出演のために来日も決定しており、そのパフォーマンスを心待ちにしている人も多いはずだ。考えてみれば『Illmatic』への評価が揺るぎない理由の一つには、ナズ自身がずっと最前線で活躍し続けていて〈過去の人〉にならないという点も挙げられるのではないか。現役のレジェンドが繰り広げる今後の展開も楽しみでならない。
ナズの近作。
左から、2023年作『Magic 2』『Magic 3』(共にMass Appeal)、これまでの記念盤に収録されていたリミックスやレア曲をまとめたアナログ盤『Illmatic Remixes & Rarities』(Columbia)