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メンバー、時代、状況で変化する音楽性

『Red』のこうした音楽性は、キング・クリムゾンの音楽的変遷を俯瞰すると、よりよく見えてくる。

プログレだけでなくロックを代表するデビューアルバム『In The Court Of The Crimson King』(1969年、邦題『クリムゾン・キングの宮殿』)は、イアン・マクドナルド(後にフォリナーを結成)を中心とした民主的な環境から生み出されたが、その体制は同作発表後に瓦解する。

KING CRIMSON 『In The Court Of The Crimson King』 Island(1969)

残されたロバート・フリップは、それまでの音楽的イメージを引き継ぎつつ英国ジャズ人脈との交流を深め、『In The Wake Of Poseidon』(1970年、邦題『ポセイドンのめざめ』)、『Lizard』(1970年)、『Islands』(1971年)といった佳作群を発表していくが、1972年1月のリハーサルでメンバー間の関係悪化から解散が決定。そうした状態で契約消化のために敢行されたアメリカツアーの記録は、ライブアルバム『Earthbound』(1972年)としてまとめられた。

KING CRIMSON 『Earthbound』 Island(1972)

同作の劣悪な音質と荒ぶるアンサンブル(過去作の優美な印象とは対照的)はリアルタイムでは酷評されたが、以降のクリムゾンの表現姿勢に繋がるものは多く、Merzbow=秋田昌美がノイズミュージックの先駆と激賞するなど後世に大きな影響を与えてもいる。

1973年に復活したクリムゾンは、優れたプレイヤーの集合体によるフリーインプロビゼーション的な演奏表現と、ストラヴィンスキーやバルトークのような近現代のクラシック音楽に着想を得た大曲構成を両立する作風で、未到の境地を拓いていった。大きな緊張感を伴う音楽性もあってか活動期間は2年に満たなかったが、〈即興≒構築〉の『Larks’ Tongues In Aspic』(1973年、邦題『太陽と戦慄』)、〈即興>構築〉の『Starless And Bible Black』(1974年、『暗黒の世界』)、そして〈即興<構築〉の『Red』といった3作はいずれも稀有な傑作で、『In The Court Of The Crimson King』に勝るとも劣らない評価を得るという難事を成し遂げている。