中山美穂が死去した。

中山美穂が亡くなったと、複数のメディアが報じている。テレ朝newsによると、本日12月6日の正午頃、自宅にて「浴槽の中で亡くなっている」と関係者から110番通報があったという。警視庁などが亡くなった経緯や死因について調べている。54歳だった。

中山美穂は、1970年生まれの俳優/歌手。幼少期に長野や群馬に住んだそうだが家族で上京、中学生の頃に原宿でスカウトされた。

その後、モデルとしての活動やCMへの出演などを経て、1985年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で俳優デビュー。同年、シングル“「C」”で歌手デビューも果たし、同曲は初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌になった。さらに「ビーバップ・ハイスクール」で映画に初出演、日本レコード大賞の最優秀新人賞を史上最年少で受賞するなどの快進撃を続け、一躍トップアイドルになった。

1986年には、竹内まりやが作詞作曲した“色・ホワイトブレンド”、 松本隆が作詞、小室哲哉が作曲した“JINGI・愛してもらいます”、松本隆が作詞、筒美京平が作曲した“ツイてるねノッてるね”“WAKU WAKUさせて”とヒット曲を連発。

翌1987年には、ミポリンの愛称を定着させた主演ドラマ「ママはアイドル」と主題歌“「派手!!!」”、角松敏生が作詞作曲した“CATCH ME”などをヒットさせた。1988年には、“Witches”で「NHK紅白歌合戦」に初出場した。

〈ブラウン管の女王〉〈花の85年組〉〈アイドル四天王〉などと称された中山は、1989年以降、平成に入ってからも「君の瞳に恋してる!」「すてきな片想い」「誰かが彼女を愛してる」「もしも願いが叶うなら」「眠れる森」「Love Story」といったテレビドラマ、岩井俊二監督の「Love Letter」、竹中直人監督の「東京日和」といった映画で活躍を続けた。同時に音楽活動も並行しておこなっており、“ただ泣きたくなるの”と中山美穂 & WANDS名義の“世界中の誰よりきっと”をミリオンヒットさせた。

2002年にミュージシャン/小説家の辻仁成と結婚したのち、日本での芸能活動を一時休止させ、仏パリに移住した。2004年には長男を出産し、育児に専念していた。

2010年、製作が延期されていた主演映画「サヨナライツカ」が公開され、9年ぶりに公の場に復帰、芸能活動を本格的に再開させた。2019年には歌手活動への復帰も果たし、2023年に24年ぶりの全国ツアーを実施、今年2024年にもツアーをおこなっていた。本日12月6日は〈Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live〉の大阪公演を開催する予定だったが、中止が発表された。中山は、来年4月にもツアー〈Miho Nakayama 40th Anniversary Concert Tour -Un-〉の開催を控えていた。

1980年代後半、瞬く間にトップアイドルへとのぼり詰めたミポリン。ドラマやバラエティ番組を中心にお茶の間で親しまれ、1990年代には平成J-POPを象徴する“世界中の誰よりきっと”を歌い、日本の芸能界で全方位的な活動をした才能だった。角松敏生やCINDYらと作り上げた音楽作品は、シティポップやAORとして再評価もされつつある。その早すぎる死に言葉を失うほかないが、冥福を祈りたい。