ロイ・エアーズが死去した。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、ロイ・エアーズが亡くなったことは息子のエムトゥーメイによって発表された。バラエティ誌が家族に確認したところ、ロイは2025年3月4日に死去。家族による声明では、〈伝説のビブラフォン奏者、作曲家、プロデューサーであるロイ・エアーズの家族が、長い闘病生活の末、2025年3月4日にニューヨーク市で亡くなったことを、深い悲しみとともにおしらせします。彼は音楽コラボレーターとして非常に影響力があり、求められていました〉と述べられている。84歳だった。

ロイ・エアーズは1940年、米ロサンゼルス生まれのミュージシャン。音楽一家のもとで育ち、5歳のときにライオネル・ハンプトンからビブラフォンのマレットをもらったそうだ。その後、高校や教会の聖歌隊で音楽を学び、スティールギターやピアノも演奏した。

1962年に西海岸ジャズのレコーディングに参加するようになり、翌1963年にリーダーアルバム『West Coast Vibes』でデビュー。大学を中退して音楽の道に進み、ハービー・マンのバンドに加わった。

1970年代初頭に自身のバンド、ロイ・エアーズ・ユビキティを結成して活動を始め、「コフィー」(1973年)などの映画のサウンドトラックも手がけるようになる。1976年にはアルバム『Everybody Loves The Sunshine』をリリース、同作のタイトルトラックはのちにカバーやサンプリングの定番として知られる代表曲になっていく。

さらにソウル/ジャズファンクバンドのランプ(RAMP)やシルヴィア・ストリプリン、ホイットニー・ヒューストンといったシンガーのプロデュースで手腕を発揮し、ディスコ系のヒットソングも制作。

1990年代になるとロイの作品はたびたびサンプリングソースとなり、カバーもされるようになり、ラッパーやR&Bシンガー、ヒップホッププロデューサーから厚いリスペクトを受ける存在となった。ランプの“Daylight”がア・トライブ・コールド・クエストの“Bonita Applebum”(1990年)に、“Everybody Loves The Sunshine”がメアリー・J.・ブライジの“My Life”(1994年)に、“Searching”がピート・ロック & C.L. スムースの“Searching”(1994年)にサンプリングされるなど、その例は枚挙にいとまがない。

またサンプリングに留まらず、グールー(ギャング・スター)やエリカ・バドゥの作品に参加するなど、当時の第一線で活躍していたアーテイストからの求めに応じて共演も多くこなすようになる。近年も、タイラー・ザ・クリエイターのアルバム『Cherry Bomb』(2015年)の収録曲“FIND YOUR WINGS”に参加してビブラフォンを演奏していた。

1960年代からジャズシーンで活動を始め、その後のジャズフュージョンやジャズファンクの時代、ディスコやコンテンポラリーR&Bの時代、ヒップホップやネオソウルの時代と、ブラックミュージックの変化や発展の歴史を通じて影響力を常に発揮してきたロイ。決定的な名曲“Everybody Loves The Sunshine”は今も多くの人に愛され、インスピレーションを与えつづけている。特に近年はますます評価が上がっていただけに偉大な音楽家が亡くなってしまったことは残念でならないが、最大限のリスペクトを贈りたい。