40年余の活動に一貫する立花ハジメのモダン・ミュージック
決定版コンピレーション『hajimeht(ハジメ・エイチ・ティー)』

 プラスチックス解散後、ソロ・アーティストとして活動を開始した立花ハジメが、1982年にYENレーベルからリリースした『H』は、メインの楽器をエレクトリック・ギターからサックスに持ち替えて制作されたことで話題となった。その音楽はまさに〈ノンカテ(ノン・カテゴライズ)〉であり、発表当時でも、ジャンル不明の音楽だった(当時は〈現代音楽〉というような紹介もあったように思う)。しかし、『H』とそれに続く『Hm』は、パンク、ニューウェイヴ、テクノを経由した立花による、それら以降のモダーン・ミュージックとして、オルタナティヴな存在感を際立たせていた。それは、コントーションズか、エッセンシャル・ロジックか、はたまたロヴァ・サキソフォン・カルテットか、というような連想はさておき、楽曲の軽やかで乾いた質感には、YENの指向性のひとつでもあった同時代の〈環境音楽〉との関係性も感じさせる(私見)。さらには、創作楽器〈アルプス1号〉を立花の発案、デザインによって制作した。それは、どこかロシア・アヴァンギャルドを思わせるワイヤーフレーム状の円錐型をした金属製のオブジェで、叩くことによって、その打撃音がコンタクトマイクを通して出力され、増幅、変調、エフェクトなどを施し、金属質のノイズを響かせるというものである。以降、2号、3号と製作されるが、特に1号は『Mr. Techie & Miss Kipple』で全面展開されることになる、金属嗜好症的な騒音楽器の趣を持つものでもあった。

 YENからSchool(MIDI)期の立花の活動は、いわゆる〈テクノ〉から、同時代のテックカルチャーやパフォーマンス・アートとシンクロしながら、さまざまな表現手段を試みている。それは当時、YENの持っていた、アーティスト主体のオルタナティヴな雰囲気とも通底し、立花をテクノロジーやメディアを駆使する新しい時代のアーティストとして印象付けることとなった。しかも、センスでは先を行きながらポップに展開するのが特徴だ。当時勃興していたインダストリアル・ミュージックを米国西海岸経由で展開した『Mr. Techie & Miss Kipple』に続き、テレビのCMにS.R.L.(Survival Research Laboratories)を登場させ、日本の一般視聴者にお披露目した。さらには、コモドール64を導入してコンピュータ・グラフィックスによるミュージック・ヴィデオを制作。『太陽さん』ではフェアライトなど最新のデジタル・シンセサイザーを導入した新時代テクノを展開。メディア・アート・ユニット、ラジカルTV(原田大三郎、庄野晴彦)とも協働し、ナムジュン・パイクさながらの多数のブラウン管モニターを積み上げたステージ・セットをデザインしたり、〈ダンス養成ギプス〉などのガジェットを披露するなど、ライヴ・パフォーマンスをメディア・アートとして展開していく。そのポップス展開としての『Beauty & Happy』。その後も、ヴィデオ・アート作品「ビデオ・ドラッグ」、プラグイン・ソフト作品「信用ベータ」、USBメモリーで発表された『Monaco』など、メディアの形態もさまざまに、音楽のみに収斂しない活動を行なってきた。

立花ハジメ 『hajimeht』 Sony Music Direct(2025)

 『hajimeht(ハジメ・エイチ・ティー)』は、立花ハジメの40年以上になるソロ・キャリアを見わたして、そのアーティスト像を音楽の側面から、あらためて確認するものである。高木完が総合監修を務め、高木と小山田圭吾、そして立花が選曲にあたった。マスタリングは砂原良徳。アートワークは立花自身による(完全生産限定盤と通常盤の2種類は別デザイン)。さらには、小山田と高木が本ベストのためにリミックスした“MA TICARICA”が収録されている。

 『Hm』から、オリジナルLPではB面の“アレンジメント”から“「日本の素顔」のテーマ”までの4曲が、そのまま収録されている(完璧な曲順とはこういうものだろう)。また、立花本人も気に入っているという“イパネマの娘”の曲中の語りは、立花の芸術観やテクノロジー観を表すものだろう。それによって、12インチ・シングル『HAPPY』からB面2曲が選曲されているからか、選ばれた“HAPPY”は、アルバム・ヴァージョンだ。Voice Farmのカヴァー“モダン・シングス”は、立花のオリジナル曲かのように、この楽曲の本質を自分のものにしてしまっている。もちろん、ロックしている近年の活動まで、立花ハジメというアーティストを知るのに、これ以上にない格好のコンピレーションとなることだろう。

 


立花ハジメ(Hajime Tachibana)
1951年東京生まれのミュージシャン/グラフィック・デザイナー/映像作家。75年、中西俊夫らとプラスチックスを結成、1980年にアルバム・デビューしてテクノ・ポップ・ブームの一翼を担う。1982年のソロデビュー以降も様々なバンド/ユニットで活動、デザイナーとして多くのアーティストのレコードジャケットやMVを手がけ、1991年にはADC賞最高賞を受賞するなどマルチな活躍を続ける。