野宮真貴が、2025年3月7日(金)と8日(土)にビルボードライブ東京、3月14日(金)にビルボードライブ大阪にてバースデー公演を開催する。長きにわたり〈渋谷系〉を体現し続けてきた野宮だが、今年は自らの原点を振り下げるようなテーマを掲げ、その内容に注目が集まっている。本公演がどれだけ特別なプログラムであるのかを、ライターの佐野郷子に解説してもらった。 *Mikiki編集部


 

〈渋谷系の女王〉と呼ばれる前の野宮真貴

〈渋谷系の女王〉と称される野宮真貴が、自身のバースデーを祝うべくビルボードライブ東京・大阪で、自らの音楽的ルーツであるニューウェイヴをテーマにしたスペシャルライブ〈野宮真貴 Birthday Live 2025 ~ニュー・ウェイヴを歌う~〉を開催する。

野宮がシングル“女ともだち”でソロデビューしたのは1981年。80年代初頭に世界を席巻したニューウェイヴ&テクノポップの洗礼を受け、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースのもと、〈トンガリキッズ(ニュー・ウェイヴ少女)〉としてシーンに登場した。YMO、プラスチックスが絶大な支持を集め、日本のロックシーンが大きく変革したタイミングでデビューした彼女は、ニューウェイヴ全盛期の歌姫の一人でもあったのだ。

十代の頃はキッスやグラムロックが大好きなロック少女だったという彼女は、プラスチックスのボーカルの佐藤チカに憧れ、音楽の志向、ファッション、ヘアスタイルを刷新。刈り上げのショートカットにミニスカートで、最先端の時代の空気と音楽を体現した。のちにPIZZICATO FIVEでセルフカバーし、世界のパーティピープルに愛された佐藤奈々子・作の“ツイッギー・ツイッギー”は、彼女のデビューアルバム『ピンクの心』(1981年)に収録されていた曲でもある。

野宮真貴 『ピンクの心』 ビクター(1981)

1982年には、元FILMSの中原信雄、元8 1/2の鈴木智文とともにポータブル・ロックを結成。鈴木慶一が中心となり、新人発掘のために発足した水族館レーベルのオムニバスアルバム『陽気な若き水族館員たち』(1983年)に参加し、ポストニューウェイヴの旗頭として注目を集めた。小西康陽がポータブル・ロックの大ファンであったことが、野宮のPIZZICATO FIVE加入の伏線ともなったのである。

当時、野宮を含む東京のトンガリキッズのバンド拠点となっていたのが、渋谷のニューウェイヴ喫茶〈ナイロン100%〉。70年代末からプラスチックス、ヒカシュー、8 1/2などがライブをしていたその店や、シーナ&ロケッツなどがフロアに響く新宿のディスコ〈ツバキハウス〉に野宮は足繁く通いながら、時代の空気をたっぷり吸いこみ、感度を磨き、たくさんの刺激的な音楽やミュージシャンに出会ったという。

彼女が現在に至る、音楽・ファッション・スタイルのベースを培ったのは、PIZZICATO FIVEで〈渋谷系の女王〉と呼ばれる以前の〈ニュー・ウェイヴの野宮真貴〉にあるのは間違いない。