
暴力的なまでの情熱が塗り重ねられた、重厚で深遠なモノクロームのディストピア――現代の鬼才たちと作り上げたニュー・アルバムが浮かび上がらせる感情の景色とは?
「今回のヴィジュアルは、ファンタジーがほとんど削ぎ落とされて、でもユートピアの中で、夢のような風景に生きているようなイメージかな。このモノクロのヴィジュアルは自分で決めたわけじゃなくて、ヴァッソ・ヴと一緒に一室に籠もって、自分たちを引き込むような写真家の作品をいろいろ眺めていたんだ。自分に大きな影響を与えたのは、アヴァンギャルドな、コントラストのくっきりした夢のような心象風景。それはとても生々しくて儀式的な雰囲気を漂わせていて。アルバムのテーマにも関わるけど、色味を排除してモノクロにすることで、感情が研ぎ澄まされて、余計なノイズが全部削ぎ落とされる感じがする。悲しみや暴力の言語は、モノクロの風景にすごく関係していると思う。だから、磨かれたグラマラスを拒絶して、まるでタイムカプセルのように時間の中に閉じ込められるような感覚を描きたかった。アートを表現する方法はたくさんあるけど、(ヴィジュアル・アーティストの)ヴァッソ・ヴと自分は、暴力的な感情に焦点を当てたかったんだと思う」。
ニュー・アルバム『Evangelic Girl Is A Gun』の作品自体とも結び付くモノクロでゴシックなヴィジュアル世界について、ユールはこのように説明する。アヴァンで実験的なグリッチ・ポップを追求した2022年の『Glitch Princess』、オルタナティヴ・ロックにも接近した意匠で多方面から明快な注目を集めた2023年のニンジャ移籍作『softscars』に続く今回の新作は、従来のエクスペリメンタル+オルタナなサウンド・マナーにトリップホップの要素を導入して現在のモードを指し示した意欲的な野心作だ。本人いわく数年前からトリップホップ周辺のアーティストを掘り下げて聴くようになったそうで、ポーティスヘッド〜ベス・ギボンズらを想起させる楽曲群は、確かに不穏な感情の昂りを退廃的に滲ませたアートワークに直結する。
「このアルバムは自我の生き残りと救済される自己が入り交じったなかから生まれたんだ。それは、非常に粗野な人生の心象風景から、そして現代社会における自分の立ち位置から生まれたものだと言ってもいい。このアルバムの曲を書くことで、自分は非常に存在主義的になったと思う。アートを創り続けるなかで育ってきた環境やどう成長してきたかを振り返るようになって、自分はカトリックの家庭で育ったから神の罪悪感や神の恵みのイメージが自分の中に刻み込まれている。だからこそ、宗教的なトラウマがあって、もっとも辛かった時期にその生育環境に戻ることはなかった。でも、それは救済を求めることに他ならなくて。報酬としてではなく、自分の力の中に武器を宿すこと、そういった形の救済だったのかもしれない」。
表題が示唆するように「新世紀エヴァンゲリオン」に着想を得たという今回のアルバムで主役を援護するのは、キン・レオンやムラ・マサ、クリス・グレアッティといった馴染みのブレーンに加えて、AG・クックやクラムス・カジノ、フィットネスといった才人たち。なかでも印象的なのは、AIの台頭に対するリアクションとしてヴォーカルの加工を取り払うことで代替不能な個人の声の生々しさや不安定さをそのまま作品に刻んでいることだろう。そのロウな感覚はムラ・マサ製の“Tequila Coma”やAG・クックとのエレクトロニカ“Saiko”、 ボウイやニルヴァーナを連想させずにおかない“The Girl Who Sold Her Face”などの多彩な楽曲をユールの新しい表現へと昇華している。そのエモーションの暗い蠢きを浴びるように感じたい一枚だ。
ユールのアルバムを紹介。
左から、2019年作『Serotonin II』、2022年作『Glitch Princess』(共にBayonet)、2023年作『Softscars』(Ninja Tune)
関連盤を紹介。
左から、キン・レオンの2023年作『Mirror In The Gleam』(Kitchen)、ムラ・マサの2024年作『Curve 1』(Pond)、クラムス・カジノの2019年作『Moon Trip Radio』(Clammyclams)