最後まで自ら歌い切った地元セアラでのパフォーマンス
ブラジル音楽界のマエストロ、ヒカルド・バセラールのライブ作品『Ao Vivo No Cineteatro São Luiz』が2025年5月30日に映像とストリーミングで発表され、CDでもリリースされる。本作はブラジルのセアラ州フォルタレーザ市のサン・ルイス劇場で開催したライブを収めたもの(セアラは彼は出身地だ)。過去に『Concerto Para Moviola』(2015年)、『Ao Vivo No Rio』(2020年)とライブ作品を発表しており、本作は3作目になる。
バンドは6人編成で、ヒカルドのコメントによると「今回のライブでは、ブラジル音楽を称えるとともに、私がたどってきた道のりや作曲した曲をお見せしました。私のアルバム『Congênito』や、デリア・フィッシャーと共演し、ジルベルト・ジルの出演もある『Andar Com Gil』の中から選びました」とのこと。
彼は人気グループ、ハノイ・ハノイのメンバーだったことでも有名だが、今回、なんと当時の代表的なヒット曲“Totalmente Demais”(1986年)を演奏している。同曲はカエターノ・ヴェローゾが歌ったことでも知られ、多数のカバーが生まれた名曲だ。「この曲はいつもハノイ・ハノイのメンバーと演奏していたので、ソロは初めてです」「いまの私があるのは、ハノイ・ハノイで長年演奏してきたおかげで、(中略)自信をもって舞台でパフォーマンスできるようになりました。最初から最後まで一人で歌い、それをもとにアルバムをリリースするのは初めてです」と彼は言う。
バセラールとベルキオールのコラボレーション曲“Vício Elegante”もライブのハイライトになっており、「ベルキオールが作詞した最後の曲です。彼の特徴的なメランコリックなリズムに、現代的なアレンジが加えられました」と語っている。
またブラジル音楽史に名を残す作家の曲を多数取り上げているが、「他のアーティストの作品を異なる装いで演奏するのが好きです。そうしないと、ただのカバーになります。リズムや歌詞はもちろん尊重されるべきで、そこに新たな貢献、新たな解釈を加えることは可能だと思います」と言う。
余裕と優しさを湛えた音で、半端じゃない耳の幸福感
さて、この『Ao Vivo No Cineteatro São Luiz』の具体的な内容に移っていこう。アルバムはDolby AtmosのミックスがApple Musicで聴け、会場の空気感を立体的に伝わってくるのでそちらもおすすめだ。またYouTubeでは12のミュージックビデオからなるビデオアルバムとして視聴できる。「舞台の熱気と、パフォーマーたちの親密さを視覚的に伝えるように工夫しました」との言葉どおり、10台ものカメラで撮影された豪華な映像である。なお現地ブラジルではテレビ放送もされたそうで、ヒカルドが地元で愛され尊敬されていることが伝わってくる。
ライブ盤ではカットされてしまっているが、動画では波の音が冒頭に入っており、セアラの地に連れて行かれるような演出だ。幕開けはレニーニとルーラ・ケイロガ作曲の“O Último Por Do Sol”。これがまず素晴らしい。トランペット、エレキギター、アコースティックギター、オルガンが余裕たっぷりに優しく奏でるイントロからして早くも豊穣な景色が広がり、一気に音に包まれて引き込まれる。ヒカルドはハンドマイクで中央に立ち、堂々とした歌いっぷりだ。
実は彼のライブ盤はこれまで聴いておらず、2024年の来日公演も見逃したのだが、とにかく演奏が非常によく、ライブではこんなに優れたパフォーマンスを聴かせるんだ、と驚かされた。そもそもブラジル音楽はその場で奏で歌い交わすことに本質があり、その真価を見せつけられる思いだ。
2曲目はルイス・メロヂアのペンによる“Congênito”。ゆったりとしたグルーヴで、ヒカルド自身によるシンセサイザーのソロもあいまってブラジリアンフュージョンの性質が増した印象。続く“Morena Dos Olhos D’água”はシコ・ブアルキの曲。饒舌になりすぎない雄大なギタープレイが牽引しつつ、80年代風のシンセが煌めく。まるでブラジルの海や波を音楽化したかのよう。
カエターノの曲“A Tua Presença Morena”でヒカルドはエレキギターを手にし、アフロブラジリアン的なリズムを悠然と乗りこなす。ジルベルト・ジルの“Estrela”はボサノバとファンクが合わさったような演奏。〈泰然自若〉と形容したくなるようなたっぷりとした余裕と奥深い優しさを湛えた音にさらされ、温泉に浸かっているかのような感覚に陥り、耳の幸福感が半端ではない。この場にいたかった、と強く思わせられる。