Photo by Leo Costa

ブラジル音楽界のベテランで、アメリカでもその才能を認められる音楽家、ヒカルド・バセラール。彼が、5作目のソロアルバム『Congênito』をリリースした。本作はMPBの名曲を12曲取り上げたアルバムで、演奏から編曲・プロデュースまでを一人で手がけた挑戦作だ。イヴァン・リンスやシコ・ブアルキ、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ジャヴァンといった名作曲家たちの曲は、バセラールによってどう解釈されているのか? 音楽評論家の佐藤英輔が解説した。 *Mikiki編集部

RICARDO BACELAR 『Congênito』 Jasmin Music(2022)

 

ブラジル音楽の異才にしてマエストロ

異才。ブラジルにはそう言いたくなる人物が少なくないが、ヒカルド・バセラールもまさにそういう人物だろう。67年、東部のセアラ州生まれ。彼は84年にリオで結成されたアイドル的な人気も得たロックバンドのハノイ・ハノイのキーボード奏者として、11年にわたり活動した。それと並行し、バセラールはサウンドメイキング/プロデュースの方面にも進出し、映像や広告の音楽作りの世界で高い評価も得ている。

ハノイ・ハノイの86年作『Hanói-Hanói』収録曲“Totalmente Demais”

そんな彼がリーダーとしての才を広く知られるようになったのは、21世紀に入ってからだ。クラシックの素養を持つことをしっかりと知らせる、時に弦音も巧みに用いた『In Natura』を2001年にリリース。それが初リーダー作のようだが、ブラジル音楽、クラシック、ジャズが高次元で綱引きするその仕上がりは、静謐なピアノ演奏も存分に活かされていて、まさにマエストロの風格ありと言うしかない。

2001年作『In Natura』収録曲“In Natura”

これまでリリースした自己アルバムは4作とか。たとえば、2018年作『Sebastiana』ではキューバ、アルゼンチン、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、米国のミュージシャンたちを迎え、ブラジル音楽の天衣無縫さを核に〈私が考える闊達な汎南米フュージョン〉を創出した。また、前作となる2021年作『Paracosmo』は自らの住む土地の自然の豊かさも伝えるような、アコースティックギター奏者のカイナン・カヴァルカンチとの双頭名義盤だ。また、バセラールは同年にパット・メセニーも一目置くブラジル人ギタリストであるトニーニョ・オルタとの共演曲も発表している。

2018年作『Sebastiana』収録曲“Nothing Will Be As It Was”

ヒカルド・バセラール&カイナン・カヴァルカンチの2021年作『Paracosmo』収録曲“Vila Dos Pássaros”

ヒカルド・バセラールの2022年のシングル“De Passagem (feat. Toninho Horta)”

 

Photo by Leo Costa

多重録音で名作曲家たちの曲を取り上げ、ブラジル音楽の大きさを浮かび上がらせる

そんな実力者であるバセラールの新作『Congênito』は一転、今回はこう来たのかと唸らせる仕上がりを見せる。なんと全曲で自ら悠々と歌い、あらゆる楽器を演奏した内容を同作は持つ。録音は2022年1月から3月にかけて、セアラ州フォルタレーザ市に自ら設立したジャスミン・スタジオでなされた。なお、本作のリリース元であるジャスミン・ミュージックも彼が所有する。

『Congênito』収録曲“O Último Pôr Do Sol”。レニーニのカバー

本作のブックレットには各種弦楽器やドラムや山のようなキーボード群まで様々な楽器を演奏している彼やその立派なスタジオ写真が載せられ、そのブラックボックス的な作業の一端を伝えてくれる。ところで、新作がかような志向を持つに至ったのは、世のコロナ禍ゆえだった。スタジオにある機材や楽器を全部使いこなしたいという気持ちと、この状況ゆえに孤独な作業の積み重ねを経てどんなものを作れるかという挑戦心が、そこに働いたという。

もともと多重録音には興味を持っていたという彼だが、その根をつめる〈一人作業〉に親しみやすいとっかかりを与えているのが、ここで選ばれた楽曲の存在だ。作曲家としても多大な能力を持つバセラールだが、ここではイヴァン・リンス、シコ・ブアルキ、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、アドリアーナ・カルカニョット、ドリ・カイミ、ジャヴァンら同胞の名ソングライターたちの曲を取り上げている。こりゃ、鉄板。うーん、その選曲も興味深いったらありゃしない。

『Congênito』収録曲“O Último Pôr Do Sol”。カエターノ・ヴェローゾのカバー

『Congênito』収録曲“O Último Pôr Do Sol”。アドリアーナ・カルカニョットのカバー

だが、機知に満ちた、バセラールの処理もまた同じく。もうこれ以上何を望むのかと言うような好メロディー/情緒曲を思うまま、これまでのブラジル音楽の滋養を下敷きにする楽器/打楽器音のもとおおらかな歌が無理なくのせられた各曲は、魅惑的な風景を聴く者に与え、おおいに誘う。そして、その先にバセラールという才覚やブラジルの音楽の大きさを浮かび上がらせる。

ところで、最後に蛇足を。この『Congênito』のジャケットカバーはまずは見なかったことにしてほしい。だって、このおじさん然とした佇まいを見れば、枯れた表現を思い浮かべてしまう人が多いだろうから。確かにこのアルバムは成熟している。だが、それ以上にしなやかに舞う感じや、外に働きかける力やブライトなポップネスを持つ。どこか米国のAORもうまく消化したような味付けもあり、これは今の日本のシティポップを求める層にも目茶訴求するのではないか。まずは目を閉じて、一聴されんことを。

『Congênito』のドキュメンタリー動画

 


RELEASE INFORMATION

RICARDO BACELAR 『Congênito』 Jasmin Music(2022)

リリース日:2022年8月5日
品番:JM-002

1.  O Último Pôr Do Sol (Lenine / Lula Queiroga)
2. She Walks This Earth (Ivan Lins / Vitor Martins / Chico César / Brenda Russell)
3. Congênito (Luiz Melodia)
4. Morena Dos Olhos D’água (Chico Buarque)
5. A Tua Presença Morena (Caetano Veloso)
6. Estrela (Gilberto Gil)
7. Mentiras (Adriana Calcanhotto)
8. É Preciso Perdoar (Carlos Coqueijo / Alcyvando Luz)
9. Paralelas (Belchior)
10. Estrela Da Terra (Dori Caymmi / Paulo César Pinheiro)
11. Lambada De Serpente (Djavan)
12. Maracatú Atômico (Jorge Mautner / Nelson Jacobina)

レコーディング/ミキシングスタジオ:Jasmin Studio(2022年1月~3月)
録音技師:Melk
ミキシング:Beto Neves
マスタリング:Carlos Freitas
ステレオおよびDolby Atmos

 


PROFILE: RICARDO BACELAR
ピアニスト、作曲家、プロデューサー。商業的な成功を収めたリオ発の音楽グループ〈ハノイ・ハノイ〉のメンバーとして長年活躍した。ソロとしても複数のアルバムをリリースしており、ベウキオール 、エラズモ・カルロス、ルイス・メロヂア、アドリアーナ・カルカニョット、エヂナルド、ルル・サントス、アメリーニャなどの大物ミュージシャンたちとレコーディングしてきた。バセラールは、米国のジャズ専門ラジオ局において二度にわたり、もっとも多く曲が放送されたミュージシャンとなった。また欧州や日本へのコンサートツアーも行っている。最近のアルバム2作、『Sebastiana』(2018年)と『Ao Vivo No Rio』 (2020年)は、米国のジャズ専門ラジオ局でトップ50チャートにランクインした。バセラールは、ラテン・グラミー賞とグラミー賞の投票メンバーでもある。