(左から)レイラ・ピニェイロ、ヒカルド・バセラール

ブラジルのマエストロ、ヒカルド・バセラールとレイラ・ピニェイロの共演作

2024年7月に来日ツアーをおこなったばかりの、ブラジル音楽のベテランにしてマエストロ、ヒカルド・バセラール。1980~1990年代にはハノイ・ハノイのメンバーとして活躍したほか、多彩な活動で知られているが、自身のレーベルであるジャスミン・ミュージックを拠点にソロ作品をコンスタントに多数リリースしており、アルバムやプロジェクトごとにユニークなコンセプトやテーマを打ち出している。そのいずれもが、ブラジル音楽の豊穣さを香らせる優雅で美しい作品ばかりだ。

ヒカルドの前作は、85歳を迎える大先輩ホベルト・メネスカルと38歳の後輩ヂオゴ・モンゾとのボサノバアルバム『Nós E O Mar』(2023年)だった。それから1年2か月、早くも届けられた新作『Donato』はレイラ・ピニェイロとの共演アルバムである。

LEILA PINHEIRO, RICARDO BACELAR 『Donato』 Jasmin Music(2024)

レイラといえば、ボサノバやMPB、サンバの世界でボーカリスト、ピアニスト、作曲家として44年ものキャリアがあるアーティストだ。1980年代に脚光を浴び、前述のホベルトがプロデュースした1989年のアルバム『Bênção Bossa Nova』(邦題は『ヴォセー(あなた)』)がヒット。日本に一定数いるブラジル音楽の熱心なファンの間では知られた存在だと言えよう。彼女は、『Nós E O Mar』に参加しているほか、本作の制作準備中にヒカルドに紹介したという曲“Semente Da Maré”(1970年代、MPBの全盛期から活躍するギリェルメ・アランチスが作詞作曲したもの)を2人の連名シングルでリリースしている。

LEILA PINHEIRO 『Bênção Bossa Nova』 Universal(1989)

 

ブラジル音楽の偉才ジョアン・ドナートの作品を新たな視点で

レイラ&ヒカルドの共演作『Donato』は、タイトルどおりジョアン・ドナートの名曲をカバーしたアルバムになっている。

ドナートについては説明不要かもしれないが、1934年生まれ、2023年7月に88歳で惜しくも亡くなった音楽家。10代から音楽活動をしており、ボサノバの黎明期に早くからアメリカへ渡って活躍、ブラジリアンジャズやクロスオーバーが盛り上がった1970年代以降も多くの名曲を残し、ブラジル音楽の魅力をアメリカやヨーロッパ、日本などに伝えた先駆的な存在だ。MPBのファンには、自ら初めてボーカリストを担ったアルバム『Quem É Quem』(1973年)などが知られているはず。

JOÃO DONATO 『Quem É Quem』 Odeon/ユニバーサル(1973)

そんなブラジル音楽界の偉大な才能の一人に捧げた『Donato』のレコーディングには、実はドナート自身の参加も予定されていたという。しかし、先に書いたように彼が亡くなってしまい、残念ながら実現しなかった。もしドナートがピアノや歌で参加していたとしたら……と考えると、アルバムの聞こえ方も変わってくる。

本作はヒカルドの発案で、「ドナートの作品に新たな視点をもたらすようなアルバムを作りたかった」のだという。いっぽうドナートと親交が深かったレイラは、「随分変わったオファーだなというのが正直な印象だった。ドナート作品はそれまでに何曲もレコーディングしており、ステージでの共演も多く、ドナートは1983年リリースの私のファーストアルバムに参加、私も彼のDVD『Donatural』に参加するなど、私にとって偉大な存在であるドナートに捧げるアルバムをこの時期に作ろうという選択肢は自分にはなかった」と率直に語っているが、「生誕90年に合わせた発表のタイミングが絶妙に思え、また自分にとっては大きな挑戦になると感じた」そうだ。

今回もヒカルドのジャスミン・スタジオで録音された本作は、ドナートの珠玉の曲の数々を新たにアコースティックバージョンでよみがえらせることをコンセプトにしている。聞こえてくる音は、レイラの歌のほかに、ヒカルドのピアノとジャキス・モレレンバウムのチェロのみ。先行配信されたシングル“Lugar Comum”のように、レイラとヒカルドだけで吹き込んだ曲も3曲ある。