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歌や作曲への抵抗と憧れ

――そのSoundCloudでアップされていた宅録音源を教えてもらって、何となくソロアルバムの形が少し見えてきた。それは、あくまでレーベルとしてだけど……。宅録のソロ曲はどのような意識で作っていたんですか? つまり、ソロ曲は自分で歌ったものですよね。

「私もそういうのをやりたいって気持ちだけはありました。それに当時も今も感じることだけど、バンドでギターを弾いている人が曲を作るってことにハードルがあるのを感じていて、周りを気にしてしまってたんです。歌を歌うことは自分にとってハードルが高くて。タブーというか、そういう意識がすごくあって。そういう周りの空気を打破したかったのかもしれないし、曲を作ることに憧れがあったし、やっぱり作りたかった。そのことを気にしていたので、コソコソやってたんですけど」

――SoundCloudにあったTHE MUNZのカバー(“96ナツ”)には驚いた。知ってたんですか?

「何となく知ってたけど……。たまたまネットで見つけて、でも1曲だけしか知らなくて。CDは後になって買いましたけど。本当に良い曲だなって。高3から大学に入った頃にかけて山本精一さんとかを知って、(高円寺)円盤とかによく行ってました。日本のアンダーグラウンドに興味をすごく持ってました」

――それで影響を受けたのが山本精一さんの『なぞなぞ』ですね。最初に作ったyagiさんのプロフィール文にそのことを入れました。

「それまで邦楽も洋楽もバンドの音楽しか聴いてこなかったから、ちょっと他と違う手触りで、しっくりくるなと思ったのは覚えています」

――そうそう、音羽信の名前も出てきましたね。

「円盤で知ったのかな。これも変なんですけど、高校生のときに図書館でURCのコンピレーションCDや『青春歌年鑑』みたいなのをごっそり借りてきて、60年代、70年代のフォークを聴いたんですね。それで、フォークっていうのはこれか!って。

それに関連して色々聴いていった中で、アシッドフォークっていうものがあるんだと知ったんです。休みの国や金延幸子を知ったのもそのときで、そこから音羽信までたどり着きました」

――そんな話を聞くにつれ、yagiさんに「アルバムを出そう」とその頃から言うようになったのを覚えています。そのときは本気にしていなかったでしょ。

「そうですね。やれるんだったらバンドをメインでやりたかったんです。そこで出来ないことを宅録でやるという感じだったので、バンドが始動してたからソロの曲は作ってなかった。曲がなかったんです」

――こっちはこっちでソロアルバムを出す気満々だったから、そのフックとなるように、まあ、つまりハクが付くように、アメリカのシカゴのカセットレーベル(アイ・ヴァイブ)に話を振ったら気に入ってくれて、『MeV』がリリースされることになりました。同作では、これまで録り溜めていたものをまとめてもらって。

「新曲もありました。そのために作ったんです」

――このカセットにも収録された“nagisa”は素晴らしいですね。

「SoundCloudにアップした初めての曲です」

――歌詞が若く青くて、とてもいいです。

「そのときに憧れていた人の真似って感じです。音像も全くそうだし。生楽器のドラムとTR-808の音を混ぜたりとかして」

――宅録のやり方というのは?

「携帯のGarageBandで録っています。自分にとっては本当に恥ずかしい音源って感じです」

――アルバムの先行EP『siki』に“nagisa”の再録を入れたのも……。

「そういう自分との折り合いもつけたくて、改めて録音したんです」

yagihiromi 『siki』 MY BEST!(2025)