藤井徹貫との約束
――6年間ですもんね。「電気じかけの予言者たち」では、記録の視点が木根さん視点にフォーカスしているのが、TMらしいですよね。それこそ、物語には小室さん視点、宇都宮(隆)さん視点と、それぞれ見方があるなか、木根さん視点でのドキュメンタリーで、想像も含まれながら、読み物として軽快な語り口で書かれています。まるで木根さんがしゃべるのを聴いているような、木根さんと対話しているような感覚になるんです。TMNETWORKを後から好きになった方が後追いで読んでも詳細なヒストリーに追いつけるというか、コアファンへの入り口というか、まさにファンダムの教科書となっています。ある種、発明だと思いますね。
「それは嬉しいですね。でも、これまでは、ライターの藤井徹貫さんがずっとサポートしてくれていたから書けたんです。でも、2023年5月に旅立ってしまったから……。今回、出版のオファーが来たときに〈いやいや、無理でしょ〉と。曲は書けるけど、アレンジする人が……みたいな感覚で」
――うんうん。
「それくらい安心して書いてましたから。誤字脱字があろうが、言葉を間違えていようが、徹貫が全部チェックして直してくれて。物語がつまらないと思ったら〈このくだりいらなくない?〉みたいな提案もしてくれていたので。なので、今回は書き始めるときの気合というか、モードが全然違いました。自分では〈本当によく書けたな〉って感じです」
――それこそ、徹貫さんとの約束でもあった、フォークをテーマとした木根さんのソロコンサート〈中央線〉ツアーも無事にすべてやり終えた心境はいかがでしたか。素敵なトリビュート、追悼となりました。
「3回忌ということで、一昨年、訃報を聞いてからずっとアルバム『中央線』のツアーを中央線沿線のライブハウスでやりたいなと思っていて。これね、不思議なんだけど、徹貫と〈いつかやろうよ〉って約束をしてから、僕は一言も誰にも言ってなかったんだよね。そんななか、〈『中央線』をアナログ盤で出さない?〉って話があって、〈えっ!?〉って思って。それで、〈なるほど!〉って思ったんだよ。それこそ、徹貫が何かしてくれたのかなと思うくらいで」
1000%無理から始まった執筆活動
――徹貫さんの存在は、いつまでも共にあるのですね。TMNETWORKとしても40周年イヤーでの活動が詳細に書かれていました。木根さんもたくさんのチャレンジをされていました。
「チャレンジっていうと、1989年に最初に書いた小説『CAROL』のときからずっとそうだったね。僕としてはプレッシャーがあったというか、〈1000%無理〉から始まったから。
『CAROL』はアルバムのロンドンレコーディングのときに書き始めて、結局、それでは書ききれなくて、ツアーが始まっちゃったんだよ。ツアーの前に出版するはずだったのに、間に合わなかったんです。〈じゃあ、発売日をツアー後にしましょう〉となって、あのときは〈ツアー中に書くしかない!〉って、ライブ後にホテルに戻って、頭を切り替えてずっと書いていました。ギリギリのときは、開演5分くらい前までホールの畳の部屋を借りて書いていたりして。小説家の人たちみたいに、間違えたらくちゃくちゃって原稿用紙を捨てられたらいいのに、貧乏性だから消しゴムで消して」
――当時は、消しゴム片手に鉛筆を削って書いていたのですね。
「ワープロはあったけど、手書きで書いて。あれからスタートしたから、執筆は音楽と並行できるんだって思えたんだよ。今回も、それは苦じゃなかった。逆にみんなに〈あれどうだったっけ?〉ってリハーサル中に聞けたり、〈今ここ書いてるんだけど〉って話せば、〈いやいや、あれはこうだよ〉って教えてくれたり。それこそ、小室やウツのセリフも僕が書いてるわけですから、思い込みがあったり、完璧なノンフィクションではないんですよね。ある種フィクションがあって、そこはね、僕が唯一楽しめるところなんですよ。バカなこと、くだらないことを書いて、そういうところを楽しんでペンを走らせられたというか」