文学・哲学的歌詞が魅力の7人組ダンスボーカルグループ〈原因は自分にある。〉、通称〈げんじぶ〉がニューEP『文藝解体新書』をリリースした。本作は日本文学の名著からインスパイアされた曲を収録しており、春夏秋冬の描写やその感情も織り交ぜた作品。そんな『文藝解体新書』について、「日曜日(付随する19枚のパルプ)」で第129回文學界新人賞を受賞した小説家で〈ゴリゴリの観測者〉でもある福海隆に綴ってもらった。 *Mikiki編集部

原因は自分にある。 『文藝解体新書』 ユニバーサル(2026)

 

げんじぶの新作は衝撃的作品

原因は自分にある。の新作、『文藝解体新書』がリリースされました。

衝撃的な作品でした。

本来であれば言葉を尽くして全曲についてめちゃくちゃ語りたいんですけど、あまりに長くなり過ぎることが明白なので、今回はこの作品の核心と捉えた“ニヒリズムプリズム”をメインに据えることにします。

あ。申し遅れました。福海隆と申します。小説家などをやらせていただいている、ここ5年ほどApple Music上の〈今年最も聴いたアーティスト〉が連続で原因は自分にある。である、ゴリゴリの観測者です。推しメンは長野凌大さん(ほぼほぼ箱推しだけど)です。

 

梶井基次郎「蒼穹」の恐るべき虚無感と不幸

“ニヒリズムプリズム”は梶井基次郎の「蒼穹」という掌篇にインスパイアされた作品です。

400字詰めの原稿用紙10枚にも満たないくらいの非常に短い作品なので、とりあえずはまず読んでいただきたいんですが、晩春の午後に土堤のうえで広大な風景をぼんやりと眺めていた〈私〉が、ふと、とある闇夜の記憶を思い出し、やがて視線の先にある空のなかに虚無を見出し、大きな不幸を感じる……といった作品です。

果てしもない蒼穹(=青空)、のどかな風景。それに相反するかのような、〈私〉のなかに芽生えた虚無感、そして心を黒々しく覆わんとする不幸の感覚。その対比が鮮烈な印象を読者の感情に刻み込む、恐ろしいほどの大名作です。

私事で恐縮なのですが、かつて(15年以上前)わたしは京都のとある大学に入学することになり、田舎町からひとり上洛し、入学式までの空隙の期間に暇つぶしとして鴨川のほとりで日向ぼっこをしながら「蒼穹」を読んだのですが(……というのも梶井基次郎が京都の作家で、本好きの友人に薦められてこの作品が収録された「檸檬」という作品集を入手していたため)、新生活によって浮かれに浮かれた気分にどす黒い感情が混ざり込み、帰り道の足取りが妙に重くなってしまったことを覚えています。それは20年近く前の話であるにもかかわらず、未だにその背筋が凍った感覚を忘れることができないのは、ひとえに「蒼穹」という作品が持つ強さ、によるものなのでしょう。

 

〈虚無感の払拭〉だけではない懊悩

閑話休題。

歌詞を読みながら一聴したとき、わたしは〈虚無感の払拭〉を描いた楽曲なのだ、と単純な解釈をしていました。しかし、何度も聴くうちに、そうではないのではないか? すくなくともそれだけではないのではないか?と感じるようになりました。それは毎度聴き終えた際にわたしの心の中にはその解釈だけでは説明のつかない、砂のようにじゃりじゃりとした感覚が残っていたからです。

デビュー時から一貫している、原因は自分にある。の楽曲の魅力のひとつに〈言葉遊び〉があります。本作でもそれが多用されており、それによって、一見すると非常にポップな歌詞として映るけれど、しかし何度も聴き込むうちに、通底しているのは、確かに光を見つめながらも、依然として〈虚無〉を前に未だ懊悩している、わたしたちに寄り添ってくれている作品だ、という印象が湧いてきました。

〈運命に期待〉〈でも肌感で開いたドアに期待〉〈何度だって信じたっていいんじゃない!〉といった言葉たちも、もちろん前を向こうとしています。が、その立ち位置は決して安定した地盤ではない。そのことが、それらの言葉を取り囲む表現からも察せられます。