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祝祭のあとに残されたもの

10年後の現在もこの曲が鮮烈に響くのは、私たちが2016年よりもさらに沈黙しにくい場所に立たされているからだと思う。常時接続、常時反応、即時評価。沈黙はたやすく無関心と誤解され、逆に発言はたやすく断罪の材料になる。そのなかで人は、発言するにせよ黙るにせよ、常に態度を問われ続けている。だからこそ“サイレントマジョリティー”は、自由へ向かう反抗の歌であると同時に、その反抗が容易に制度に回収され、あるいは自壊してしまうという再帰的な失敗までをも描いた歌として、いまなお有効に響く。

そして2026年、平手友梨奈は日本武道館でのソロ公演として〈アナタタチノカルテ〉を掲げる。かつて歌の中でアナタタチに向けて提示された問いは、より直接的なかたちで私たち観客へと投げかけられている。答えるべき主体は歌い手ではなく、見ていた・聴いていた・沈黙していた側だ。祝祭のあとに残るのは拍手ではなく、症状なのかもしれない。平手友梨奈は私たちを診断する。そして“サイレントマジョリティー”とは、10年前、その症状が最初に記されたカルテなのかもしれない。