〈電子音を現代音楽の語法の内部にどう結合するか〉という問いに対するひとつの答えがここに

 石井眞木、全ての音楽史を飲み込んだような荘厳壮大な映画音楽「帝都物語」が、一般的には最も知られているものだろうか。幾重にも仕掛けられたオスティナートは実際に師事した伊福部昭を踏襲する見事なものだったが、入野義朗、諸井誠らとともに日本の(現代)音楽界の先陣を切ってきた作曲家である。本作品は信頼の〈音の始源を求めて〉による作品のコンパイルなので電子音楽をキーワードにまとめられているわけだが、西洋音楽史から出現した〈新しいツール〉に飛びついただけで西洋の模倣にとどまったものとは一線を画している。同様に、日本の伝統音楽を採り入れるという〈新しい〉(と思った)音楽の手法に挑戦したものの、伝統音楽とのただの併存にとどまってしまったような失敗だけを残した現代音楽をも大きく圧倒している。

石井眞木 『“ELECTRONIC CONVERGENCE”/音の始源を求めて 16 石井眞木』 SOUND3(2026)

 数多の現代音楽同様に〈(楽器名)と電子音のための〉のようなタイトルが並ぶが、こうしてまとめて氏の作品を聴くと、彼がいかにそれらを必然の要素として採用したかがわかる。電子音を共通言語として媒介させ、西洋と東洋(日本)との融合を自家薬籠中のものとして扱い作品化していたことは特筆すべき偉業である。1965年から1974年までの作品が集められているが、例えば65年といえばJohn Cageの“Variations V”やKarlheinz Stockhausenの“Mixture”が作られた年であるが、それら歴史的なエポックに並べて語られるべき秀作が並んでいる。

 解説にもあるように、〈電子音を楽器の一部として扱う〉強い信念が貫き通されていることがわかる。ここでコンパイルされているのは電子音のみの楽曲は無く、いわゆるエレクトロ・アコースティックの手法をもちいた楽器と電子音の組み合わせなのだが、先述のようにそれぞれが独立して〈併存〉の趣が強い他の電子音楽とは異なり、必然性と先駆性を併せ持った構成で音楽が作られ音が鳴らされており、この均衡はどの作曲家の作品にも見られない。とにかく圧倒。必聴。