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独自の日本語ロックを生んだ絶妙な作詞作曲コンビ

――そして、四人囃子がやる曲もコピーからオリジナルへ変わっていきますが、この時代はちょうど日本のロックは英語でやるべきか日本語でやるべきかで揉めてましたよね。

森園「英語でやるか日本語でやるか、バンドで話したことなかったよね」

岡井「いや、オリジナル曲でやるならやっぱり日本語だよねって話はしてたよ」

森園「そうだっけ、全然覚えてないなあ(笑)」

岡井「あの当時は、実際に歌うモリ以外のメンバーがそれほど詞に拘りがあったのかどうか微妙なところなんだけど、モリと末松さん(作詞家の末松康生)の関係上、日本語でやれるようになったんだよ」

森園「確かに専属の作詞家なんだけど、それもたまたまの話でね」

岡井「モリと末松さんの関係がもしなかったら、どうなってたか分からないよ。今度の曲はこういう内容の詞で、こういう歌なんだぜ、っていうのはモリが決めてたからね。その末松さんの詞が独特で、メッセージ性の強いものでも無く、恋愛ものでも無く、とてもユニークな世界だということはメンバー全員で感じてました」

――異次元のシュールな景色が見えてくるような詞ですよね。

森園「末松さんはコピーライターだったから、言葉の持つインパクトは知っていたと思う。

一番最初にできた曲は“おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)”。たまたま末松さんの家に遊びに行った時に〈こんなのがあるんだよ〉って見せてもらったのが“おまつり”の詞で、その頃に何となく作っていた曲にある日リハーサルでそれを乗っけてみたら、案外上手くいったんだ。これならやれるかもって思ったね」

岡井「末松さんの詞は多分レコーディングしていた時よりも、年数が経てば経つほど深く感じる詞だと思います。今にして思えば、絶妙なソングライターと作詞家のコンビだったんです」

 

〈厄介なバンド〉がこだわり抜いた音作り

――驚くべきことに、デビュー前の1972年から1973年までの間に、すでに『一触即発』の曲だけでなく、“泳ぐなネッシー”や“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”までが存在していたんですよね。

四人囃子 『一触即発<初回生産限定盤/タワーレコード限定盤/クリアスカイブルー・ヴァイナル>』 ビクター(2026)

岡井「当時の四人囃子のアイデンティティのメインだった“おまつり”“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”“一触即発”“泳ぐなネッシー”は揃っていて、理想としてはこれら4曲全てをデビューアルバムに入れたかったんですよ」

森園「でも、LPレコードの片面に収録できるのは20分くらいだから、物理的にそれは難しかった」

岡井「だから1枚目のアルバムに“おまつり”と“一触即発”、2枚目に“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”と“泳ぐなネッシー”という2曲ずつの組み合わせにして、そこに脇を固める曲を入れるという腹づもりでいたんです」

――レコード会社はどのような経緯で決まったのですか?

岡井「フォークのブームからロックへと時代が移って、有難いことにレコード会社もロックバンドを探し始めていて、僕らにもお声が掛かったんです。でも僕たちは〈とにかくレコードが出せればいいや〉という考えではなくて、やりたいことを全うさせて貰えるレコード会社にお世話になりたいというスタンスでした。ポリドール、コロムビア、ビクター、フィリップスなどいろんなレコード会社からお誘いいただいたりスタジオでデモテープを録ったりしたんですが、僕たちがまだ諸々が未経験の10代の子供だったこともあって、なかなか思うようにやらせてもらえそうもなくて、残念ながらお断りしてたんですよ。そうしたら東宝レコードから話が来て、やりたいスタジオで好きなようにセルフプロデュースでやっていいというお許しをいただいた」

森園「でもいきなりはやらせてもらえなくて、最初に『二十歳の原点』という小説のレコード化を手掛けるという条件付きだった」

岡井「『一触即発』はレコーディングしていた期間が、ちょうどサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』と同じなんですよ。むこうは憧れの音響ハウスの2スタを使ってロックアウトでやってた。プロデューサーにクリス・トーマスが付いてたしね。そんな時に僕らはセルフプロデュースでやるしかなかったんだけど、じつはプロデュースとは何かということも分かっていなかった(笑)」

森園「その時の東宝レコードの部長が、最近知ったんだけど、窪田晴男の叔父さんなんだよ。俺たちのことを〈厄介なバンドだ〉って言ってたらしいよ(笑)」

岡井「エンジニアの大伴(洋二)さんにも苦労かけたよね。最初は僕らの要求することをじっと我慢しながらやってくださってたと思うんだけど、そのうち〈コイツらは面白いことをやろうとしてるんだな〉と認めてくださったみたい。

モリが機材のことに詳しくて、〈最後にトータルでリミッター/コンプ(レッサー)をかけると洋楽のあの音になる〉とか言ってこだわってたよね」

森園「やりたいことを考えてるのは僕らなんだから、大伴さんは〈それをどう実現するのか?〉という立場で一緒に考えてくれたからね」

岡井「だからレコーディングはスムーズに進んだよね。あのアルバムに関しては作業が滞るようなことはなかった。

“おまつり”から録音を始めたんだけど、何せ僕らは経験値がなかったので知らないことばかり。あの時は16chでレコーディングしてたから、ドラムはまず8chを使って録って、それをピンポンしてまとめるとかね」

――“ピンポン玉の嘆き”の音が移動する、あのステレオ感も衝撃的でした。

岡井「あれはネスカフェとニドの空き瓶を持って、そこにピンポン玉を投げ入れて2本のマイクの間を動かすという、超原始的でシンプルな作業(笑)」