〈覆された宝石〉のような輝きを放つ14枚。
笠井紀美子の疾走ぶりを聴き倒せ!

 3年前の秋、不朽の名盤/音楽遺産の継承を謳い、マイルス・デイビスの55作品を口火に幕を開けたWe Want Jazzシリーズ。うちの一枚『マイルス・イン・トーキョー』を世に放ったのはCBSソニー(当時)のA&R担当、伊藤潔。彼が自著「My Dear Artists ジャズ・レジェンドたちとの邂逅」で「多分、鯉沼さんが一番好きだったレコードはマイルス・デイビスの『Sketches Of Spain』じゃないかな」と語り、一緒に聴いた記憶も数知れず、「だから鯉沼さんはギル・エヴァンスを日本に呼んでいるし、マイルスも呼んでいる」と証言していた。名盤企画も第5期に入り、今回は笠井紀美子の14作品という待望のラインナップ。そう聞いて反射的に前掲の談話を想い出し、かつて菊地雅章や笠井をマネージメントしていた〈あいミュージック〉社長・鯉沼利成の旺盛な企画力や人脈を起点に、紀美子の多作史を紐解くのも一考かと思った次第だ。

 鯉沼が日米ジャズ界の交流推進を計って招聘したギルが、羽田に降りたのは1972年6月22日の事。ビリー・ハーパー(テナー・サックス/フルート)とマーヴィン・ピーターソン(トランペット)を伴っての初来日で早速、同27日開催の〈菊地雅章コンサート〉@新宿厚生年金会館のリハを開始。が、記録を追うと紀美子+ギル・エヴァンス・オーケストラの共同名義作『サテン・ドール』の4曲が26日、残りの5曲が29日録音だ。編曲の遅筆さでも鳴らす名匠、御年60のタフさに驚くが、笠井が事前渡航した打ち合わせも功を奏し、福村博(トロンボーン)や高柳昌行(ギター)らの個性が随所で光る傑作が計20時間余りで誕生した。ファッツ・ドミノ作品“アイム・ウォーキン”1曲でも、笠井の選曲眼と勢いが伝わる一枚だ。一方、小空間でのしっとり感満載なのが、菊地雅洋(ピアノ)/鈴木良雄(ベース)/村上寛(ドラムス)のトリオと共演したソニー専属第二弾の『ホワッツ・ニュー』(1973年2月録音)。スタンダードな恋唄を揃えた紀美子(28歳!)の本領発揮盤だが、格別のお薦めが“バット・ビューティフル”。かつて実兄・雅章が「きれいなピアノの音というのを最初に俺に意識させてくれたのは、俺の弟(雅洋)が弾くピアノだけどね」と筆者に打ちあけてくれた指遣いのリリカルな響きと、同トリオとの相性の良さが刻まれた幻の名盤だ。

 そんな笠井旋風を象徴するのが同年9月24日の、初リサイタル(@東京郵便貯金ホール)の模様を収めた実況盤『イン・パーソン』。伴奏は(鯉沼と縁深い)原信夫とシャープス・アンド・フラッツに加え、シャンブル・サンフォニエットの弦楽奏にも支えられ、歌手冥利に尽きる構成だ。しかも当夜の編曲指揮、サックス演奏も担ったのがオリヴァー・ネルソン! CD解説文でダイアナ・ロスの「ビリー・ホリデイ物語」や、映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のサントラにも携わった彼の足跡が復習され、ジャズ初心期の記憶が蘇った。翌74年、そのネルソンを続投(Supervise)させ、初の海外録音(LA)で挑んだのが『サンクス、ディア』。レイ・ブラウン(ベース)/シェリー・マン(ドラムス)の二大巨匠に加え、紀美子を支えたのが当時35歳のジョー・サンプル(ピアノ)。ザ・クルセイダーズで『スクラッチ』『サザン・コンフォート』と連続ブレイク中の彼が、全篇でアコースティックを弾く。プロデュースは鯉沼&守崎幸夫、LP盤の寄稿評論家レナード・フェザーも並んで微笑む裏ジャケも含め、写真は鯉沼カメラマン。僅か6時間の集中録音盤を“フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ”が締める。次作はシダー・ウォルトン(ピアノ)/サム・ジョーンズ(ベース)/ビリー・ヒギンズ(ドラムス)によるトリオとの共同名義、新宿ピットインで彼らを背にしてライヴ録音(1974年12月)された『キミコ・イズ・ヒア』。スタンダード満載の魅力に加え、いち早くヴァン・モリソンの“ムーンダンス”もお披露目している辺りに、しなやかでしたたかな彼女の小粋さが光る。

 止まれ。冒頭の、鯉沼の愛聴盤秘話を反芻してみよう。そう、マイルス/ギルの『Sketches Of Spain』と云えば、敏腕プロデューサー、テオ・マセロの存在を外せない。そのテオに委ね、NY録音したのが『マイ・ラヴ』(1975年)と『フォール・イン・ラブ』(1976年)の二枚だ。さらに昨今のシティポップ再評価でも注目著しい『トーキョー・スペシャル』(1977年)と続く3作を、ファンシーでファンキーに飾る肖像群は後追い世代にも結構馴染のアートワークだろう。サウンド面はもちろん時勢の尖鋭性を反映し、狭義な意味のジャズを越境する意志に満ちている。同時に端境期のジャズ絵巻を図らずも物語り、一例がいずれも1927年生まれのリー・コニッツ(アルト・サックス)とスタン・ゲッツ(テナー・サックス)らの名匠勢と、1942年生まれで処女作発表前後のコーネル・デュプリー(ギター)がスタジオ共演した事実からも当時の音楽事情が透ける。当の歌姫、紀美子への取材記事〈アメリカがワタシをフリーにしてくれる〉(jazz:1976年11月号)を読むと――その佇まい、歩調、座る姿勢、プロとしての仕種や誇りと対面し、「笠井紀美子にはスキがないではないか!」と聴き手の星野美保子(同誌編集人)は書いている。「それらはむしろ恵まれすぎてた容姿嬋娟(せんけん)のかげに隠れたるものではなく、笠井紀美子その人を形づくっている。ずばりそのものなのだ。」と、同時代を生きる女性の視点から綴っている。『マイ・ラヴ』のジャケ撮影は川人忠幸、続く2作は篠山紀信が激写したが、彼女に賭けるレーベルの熱意も活写されている。豪勢なテオ組の豊作盤から一転し、全篇日本語詞を安井かずみが書き下ろし/京平・達郎・顕子らが楽曲を提供し、鈴木宏昌(キーボード/編曲)率いるColgen Bandがバッキングして、NY組に応じた意欲作『トーキョー・スペシャル』は今も語り草。日米を渡り歩く女豹の変幻自在ぶりが見事だ。

 ハービー・ハンコックとの共同名義にして金字塔盤、1978年10月録音の『バタフライ』(第3期:フュージョン・クロスオーバー名盤の一枚として既発)へ繋がる初コラボを記録したのが、サンフランシスコ録音の『ラウンド・アンド・ラウンド』(同年5月~6月)。詳細は各解説文に託すが、笠井の自作が2曲も入っている。

 越境の意義と深まる自信の表出を物語るのが、80年代最初のタイトル名、『KIMIKO』(1982年録音)だろう。冒頭の“ライト・プレイス”はAOR勢のリチャード・ペイジ/マーク・ジョーダン/ジェイ・グレイドンの作品。ベスト盤を挟んでの『ラヴ・トーク』(1983年)共々、リチャード・ルドルフ(のちの御主人)によるプロデュース。後者ではリー・リトナー (ギター)/ネイザン・イースト(ベース)/ハーヴィー・メイソン(ドラムス)らが参加した。一方、6年ぶりの国内録音盤となる『ニュー・パステル』は、(やはり鯉沼と縁深い)伊藤八十八のプロデュース。編曲は笹路正徳(ピアノ/エレクトリック・ピアノ/シンセサイザー)が担い、日野皓正(コルネット)や土方隆行(ギター)らも参加して、新生面を彩った。続く『ウォッチング・ユー』は85年1月、朝日ホールでファッショナブルなライヴ・パフォーマンスが催された際、米国から持参した音源に笠井が改めて歌い直した稀な企画盤。そして10年ぶりのスタンダード・ソング集『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ』も伊藤八十八が担当し、ロン・カーター(ベース)/アル・フォスター(ドラムス)/マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)/マイケル・スターン(ギター)を揃えた。色とりどりな笠井の専属13年間、14枚の結晶を聴け!

 


笠井紀美子(かさい・きみこ)
日本のジャズ・シンガー、宝飾デザイナー。クラブでの歌唱経験を重ねながら実力を磨き、日本のジャズシーンで独自の存在感を確立。スタンダード・ジャズを土台にしつつ、1970年代以降はフュージョン、ソウル、AORの要素も柔軟に取り込み、日本における〈クロスオーバー・ジャズ〉の重要人物の一人として高く評価されている。ギル・エヴァンス、オリヴァー・ネルソン、ハービー・ハンコック、スタン・ゲッツ、マイケル・ブレッカーらジャズの大御所たちと共演する。93年から宝飾デザイナーとしても活躍。

 


寄稿者プロフィール
末次安里(すえつぐ・あんり)

1954年、東京生まれ。フリーの著述家/ 編集者。微笑/週刊大衆/FLASH/女性自身……etc.の一般誌でアンカーマンを歴任。音楽誌Out There/Jazz Todayの編集兼発行人も務めた。

 


RELEASE INFORMATION
We Want Jazz 第5期 笠井紀美子 14タイトル 極HiFi仕様・音匠レーベル仕様/7月22日発売