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海外のインディー・シーンと繋がった80年代!
少年ナイフが大阪で結成されたのは81年12月のこと。オリジナル・メンバーは、なおこ、中谷美智枝、あつこの3人だった。82年に自主カセット『みんな楽しく少年ナイフ』を発表して見事ソールドアウト。勢いに乗るバンドは83年にファースト・アルバム『BURNING FARM』を完成させ、手作り感溢れるポップなロックンロールとユニークな歌詞で注目を集めた。84年には2作目『山のアッちゃん。』をリリースし、元チャクラの板倉文プロデュースによるインディーの女性ヴォーカル・バンドを集めたコンピ『くっついて安心』にもD-DAYやコクシネルらと共に参加。関西から全国区へと躍り出した3人は、86年に3作目『PRETTY LITTLE BAKA GUY』を発表する(代表曲“ロケットにのって”も収録)。一方、85年に『BURNING FARM』がカルヴィン・ジョンソン(ビート・ハプニング)の主宰するUSのインディー・レーベル、Kからリリースされると、ニルヴァーナのカート・コバーンをはじめ海外のロック・シーンに熱烈なナイフ・ファンが生まれて、89年にはソニック・ユースやレッド・クロス、L7らが参加したUS/UKのインディー・バンドによるトリビュート盤『Every Band Has A Shonen Knife Who Loves Them』が登場する事態に。そして、ナイフは海外へと飛び出していったのだった。 *村尾泰郎
世界的なブレイクを果たした90年代!
レッド・クロスとの共演曲を含む4作目『712』を携え、海外でライヴを行う機会の増えた91年。当時『Nevermind』を発表したばかりのニルヴァーナに帯同してUKツアーを巡り、翌92年にはそれまでの代表曲を新たにレコーディングしたメジャー進出作『Let's Knife』を日米英でリリース。UKの〈レディング・フェス〉に出演したり、〈日本レコード大賞〉の特別賞を受賞したりと、名実共に国際的なバンドへと成長していく。サーストン・ムーアも参加した93年作『Rock Animals』でグランジ・ブームの波にも乗りつつ、94年のミニ・アルバム『Favorites』ではマーサ&ザ・ヴァンデラスやビーチ・ボーイズの名曲を取り上げて古き良きポップスへの憧憬を改めて示した彼女たちは、カーペンターズ“Top Of The World”のカヴァーが96年にマイクロソフトのCMソングに起用されて世界的にブレイク。以降も、小山田圭吾(コーネリアス)や石野卓球、EYE、ステレオラブ、アレック・エンパイアらをリミキサーに起用したり、プレシデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの面々とコラボしたりと、音楽の輪を広げていって順風満帆……と思えたが、99年2月にオリジナル・メンバーの中谷美智枝が脱退。ここであつこがドラマーからベーシストに転身し、姉妹は新たな体制で新世紀を迎えることに。 *北野 創