ガービッジの通算6枚目となるニュー・アルバム『Strange Little Birds』がリリースされた。オルタナティヴ・ロックが群雄割拠の時代を迎えていた94年に、敏腕プロデューサーのブッチ・ヴィグ(ドラムス)を中心に、デューク・エリクソン(ギター)、スティーヴ・マーカー(ギター)、そして紅一点のシャーリー・マンソン(ヴォーカル)の4人で結成。昨年の秋には全世界で500万枚を超えるヒットを記録した傑作ファースト・アルバム『Garbage』の20周年記念盤を発表しているが、フレッシュで開放的なサウンドをめざしたという最新作について、シャーリーは〈不思議なことに、もっともファーストに近い作品と言えるの〉とコメントしている。
2000年代の途中には解散のピンチにも直面しながら、今日に至るまで絶大な支持を集めているガービッジは、なぜスペシャルな存在であり続けることができたのか。早くから彼女たちを追いかけ続け、『Strange Little Birds』を含む多くの日本盤ライナーノーツを執筆している音楽ライターの新谷洋子氏に、バンドの数奇な歩みを実体験も交えつつ語ってもらった。
90年代中盤に放たれた、圧倒的すぎるインパクト
ガービッジが初来日を果たしたのは96年の10月。前年にリリースした『Garbage』を引っ提げて、東名阪のCLUB QUATTROを回るなど計4本のライヴを行っている。まずはそのときの状況を、新谷氏に振り返ってもらった。
「(東京公演は)最初からたくさんお客さんが入ってましたよ。いまでは女性のファンも多いけど、そのときは男の子が多かったんじゃないかな。日本でも、最初は〈ブッチがいたバンド〉というイメージで打ち出されていた。当時の彼は、いわば神に近い存在でしたから」
ニルヴァーナ『Nevermind』(91年)やソニック・ユース『Dirty』(92年)、スマッシング・パンプキンズ『Siamese Dream』(92年)などロック史に燦然と輝く名盤をプロデュースしてきたブッチ・ヴィグは、ガービッジの結成以前から〈時の人〉だった。80年代から自身の設立したスマート・スタジオでプロデュース業に勤しんでいた彼は、古くからの付き合いであるデューク・エリクソンやスティーヴ・マーカーと新バンドの構想を立ち上げると、エンジェルフィッシュというバンドに在籍していたシャーリーの姿をMTVで目撃し、その歌声に魅了されて即座にスカウトしている。
「いまもそれほど状況は変わっていませんが、当時オルタナ系でもロック・バンドのフロントウーマンは多くなかった気がします。90年代前半にPJハーヴェイやノー・ダウトのグウェン・ステファニーが脚光を浴びて、そのあとに登場したのがシャーリー。〈ブッチ率いる新バンド〉というのが当初のリアクションだったけど、だんだんと彼女にフォーカスが移っていきましたね。勝気でカッコイイ女の子が、音楽オタクのオジさんたちを引っ張っていく構図がまた良かったんですよ(笑)」
初来日の時点で最年長のデュークは45歳を迎えており、メンバー各自が地道な下積みを経験していたガービッジは最初から完成されたバンドだった。そんな彼らがブレイクを果たした大きな要因は、強烈なオーラを放つシャーリーの圧倒的な個性に他ならない。96年当時はファッション誌の仕事をしていた新谷氏も、〈これは絶対にやらなくちゃ!〉とインタヴューを企画したそうだが、ヴィヴィッドな存在感を示すシャーリーが、ニュー・ヒロインとなるのにそう時間は掛からなかった。
「とにかく人気がありましたよ。〈雑誌のカヴァーに自分の顔がありすぎるのがイヤ〉とまで言ってのけるくらい。ヴィジュアル面もそうだけど、話がおもしろかったのもメディアに求められた要因でしたね。シャーリーはとにかく毒舌で(笑)。彼女はスコットランドの出身ですけど、男の子に関することから政治の話題まで、イギリス人らしい汚い言葉でズケズケと言い放つ。アメリカの人たちもその過激さに驚いたと思うし、おかげで男性誌にもよく登場していました。ピンナップ・ガールとしてではなく、説教を垂れる〈姐御〉として。ただ、コートニー・ラブのような危うさとはまた違うんですよ。シャーリーは賢いし正義感が強くて、正直なところは貫くから」
そんなシャーリーのカリスマ性は、ある種の女性アーティストたちに大きな影響を与えてきた。レディー・ガガやケイティ・ペリーが影響を公言し、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oやパラモアのヘイリー・ウィリアムズ、ジョイ・フォーミタブルのリッツィ・ブライアンなど直系のフォロワーも生み出している。最近では、2012年にスカイ・フェレイラの“Red Lips”という曲で制作に参加していたのも記憶に新しい。
「その一方でシャーリーは、同じく遅咲きだったデボラ・ハリー(ブロンディ)に強い憧れを抱いていて。クリッシー・ハインド(プリテンダーズ)やスージー・スー(スージー&ザ・バンシーズ)も大好きだったし、パティ・スミスからの影響も大きいですよね。ガービッジにも一世代前のポスト・パンクと共通した匂いがあったし、だから暗くて大好きだったんですけど(笑)。でもやっぱり新しかったし、その後のアーティストに与えた影響力も大きいという。何とも言えない変わった人たちですよね」
ノイジーなギターとエレクトロニクスを巧みに織り交ぜた音楽性も新鮮だった。彼らのデビュー作『Garbage』では、シューゲイザーやトリップホップ、インダストリアルなど同時代のサウンドを採り入れる一方で、シングル・カットされた“Stupid Girl”ではクラッシュ“Train In Vain”をサンプリングするなど、US/UKの国境や時代性を軽やかに横断。そして、暗鬱でメランコリックな歌詞をすこぶるポップなメロディーで歌う。あくまでキャッチーに仕立てつつ、最先端の要素をブレンドすることでオルタナティヴ・ロックをアップデートさせたとも言えるだろう。
「オルタナ系のバンドとも、当時流行っていたビッグビート系ともどこか違う。ブッチはニルヴァーナみたいな音楽を(ガービッジで)絶対にやりたくなかっただろうし、バンドの形態ではあるものの、その枠に囚われずに音楽を作ろうとしていて、そういう出発点も大きかったのかな。それにポップソングとしての軸がしっかりしているから、時代性を反映しているのに、いま聴いても古臭くない。90年代を象徴している部分もあるけど、全部が突き抜けているアウトサイダー。他の誰とも違うし、まさに孤高の存在でしたね」
もがきながらも力作をリリース、2000年代以降の歩み
ガービッジが初来日した96年には、ベック『Odelay』やトータス『Millions Now Living Will Never Die』、DJシャドウ『Endtroducing...』などジャンルを越境した名盤がいくつも発表されている。カート・コバーンの死を境にUSオルタナ・ロックに陰りが見え出し、ブリットポップも飽和状態にあった時期でもあり、〈そろそろ次が欲しいかな〉という過渡期にガービッジは上手くハマッた。そして、新谷氏がいちばんのお気に入りに選んだのは、前作を上回るセールスを記録した98年の2作目『Version 2.0』だ。
「デビュー作の延長線上といえばそれまでですけど、いろんな要素がミックスされたおもしろさが、さらに完成度の高い形で昇華されている。曲調もよりポップになったし、ヴァラエティーも拡がっていますよね。それに、前作は結成したばかりでライヴを全然やってなかったけど、そのあとにツアーを重ねた成果がアンサンブルにも反映されている。あと、初期の2枚はリミックスも物凄くカッコ良かったんですよ。ネリー・フーパーやマッシヴ・アタック、アンクルやBOOM BOOM SATELLITESも作っていましたね」
98年には〈フジロック〉にも出演。そして2001年にはポップ色を一層強めた3作目『Beautiful Garbage』を引っ提げて再来日ツアーも行われた。それぞれのタイミングで取材をしてきた新谷氏は、ガービッジの人柄も魅力的だと語る。
「みんな苦労人で年齢も重ねているから、デビュー当初から大人なんですよ。シャーリーもそうだし、ブッチも会ってみたら普通のお兄さんで。〈あなたは本当に、『Nevermind』をプロデュースした人なんですか!?〉ってくらい(笑)。来日したときには、地上波のTV番組に出演して軽いトークもこなしていますし、そういうサーヴィス精神があったから世界中で愛されたんでしょうね」
99年には映画「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」の主題歌“The World Is Not Enough”も手掛けるなど、ガービッジの人気は音楽ファン以外にも浸透していった。しかし、2000年代に入ると多くのアクシデントに見舞われ、メンバー間の不仲も目立つように。2005年の『Bleed Like Me』を最後に、バンドは活動を一時ストップしている。
「当時の取材ではそういう雰囲気をまるで見せなかったけど、『Beautiful Garbage』の時点で人間関係は良くなかったそうです。でも、『Bleed Like Me』ではそういう軋轢を曝け出すことで、逆に作品のクォリティーを向上させていた。デイヴ・グロールの参加もあってハード・ロックみたいな感じで、そのキレてる感じも正直でいいなと。あとはバンド休止中に、グリーン・デイ『21st Century Breakdown』(2009年)※のプロデュースによって、ブッチが2度目のブレイクスルーを果たしているんですよね」
※2004年の前作『American Idiot』に続くコンセプト作で全米1位に輝いたほか、第52回グラミー賞で〈最優秀ロック・アルバム賞〉を受賞した
暗さが足りない世の中に放つ、大胆に突き抜けた新アルバム
そこから長いブランクを経て、2012年に『Not Your Kind Of People』でカムバック。新たに設立したバンド自身のレーベル=スタンヴォリュームからのリリースとなった同作は、瑞々しさに満ちた、彼らの集大成的な一枚だ。これは現在にまで通じる話だが、結成20年を越えたバンドとは思えぬ見た目/サウンドの若々しさも特筆すべき点だろう。
「まあ、最初から歳を取っていたので(笑)。シャーリーはいまでもカッコイイですよね。それに彼らは、トレンドを積極的に採り入れるタイプではないけど、いま流行っている音楽も聴いていますからね。あとは一度ドロップアウトしたことで、セールス面やメディアの評価を気にしなくていいポジションになれたのも大きいはず。だから本人たちものびのびとやっているし、相変わらず誰とも似ていない」
今回の新作『Strange Little Birds』は、復帰2作目にして大胆に突き抜けたアルバムだ。リード曲となった“Empty”では世間一般が求めるガービッジ像に応えているが、作品全体はダークでシリアス、そしてロマンティックな作風が貫かれている。新谷氏が日本盤ライナーノーツのために収録した、シャーリーの最新インタヴューから一部を引用しよう――〈世界が大きな悲しみと闇に覆われていて、こんがらがっていて、危機に直面している時に、ハッピーなポップ・ミュージックばかり聴かされることに、私たちはすっかり嫌気がさしていた〉。
「前作で自信を取り戻したから、今度は好きなことができるとシャーリーが言ってました。確かに1曲目の“Sometimes”から、あり得ないほど好き放題。でも、いいんですよ。いまの世の中には暗さが足りてないから。あとは昔からブッチが、〈本当に気が滅入るようなアルバムをいつか作りたい〉と語っていて。イメージはレナード・コーエンらしいんですけど、そういう方向に近付いているのかな。映画音楽が大好きな人たちらしい、シネマティックな音像も印象的ですよね」
さまざまな表現がイージーに均されていく今日においては、シリアスで深みのあるアルバムを作ることが昔よりも難しくなっているのかもしれない。これも新谷氏がライナーノーツで指摘している通り、2016年にはイギー・ポップやPJハーヴェイなどのヴェテランたちによって、新境地を開拓しながら現実と向き合った傑作がいくつも生まれている。それらと同様に、最年長のデュークは65歳、最年少のシャーリーも49歳となったが、彼らの重ねた年輪がそのまま『Strange Little Birds』の強度に繋がっていると言えるだろう。〈ダーク=聴きづらい〉作品ではなく、持ち前のポップさが存分に発揮されている点も念のため強調しておきたい。
2012年に、ガービッジは〈SUMMER SONIC〉に出演している。「あのときは素晴らしいオーディエンスが集まっていましたね。たくさんの人が覚えてくれていたことが凄く嬉しかった」と新谷氏も述懐しているが、それはバンド側も同様だったようで、『Strange Little Birds』の日本盤には、特典としてメンバーからのメッセージが添えられたポラロイド風フォトカードが同封されている。まずはこの充実した新作をじっくり味わいながら、また日本でライヴを披露する日を楽しみに待とう。そして最後に、ガービッジにまつわる淡い願望を新谷氏が語ってくれた。
「2004年に、シャーリーとマリリン・マンソンでヒューマン・リーグの“Don't You Want Me”を一緒にカヴァーしているんですけど、それだけお蔵入りになって陽の目を見ていないんですよ。〈ダブル・マンソン〉のデュエットなんて、絶対に暗くてカッコイイじゃないですか。ぜひなんとかしてほしい!」