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大人の味わい

 86年2月、三十路を前にした鈴木はシングル“ガラス越しに消えた夏”でソロ・デビューを果たす。同時リリースのアルバム『mother of pearl』共々、作曲とプロデュースに大きく携わったのは、当時のレーベルメイトだった大沢誉志幸だ。グループ時代からソングライターとしても成果を残し、実姉である鈴木聖美のデビューを後見するなど裏方としても手腕を発揮するマーチンではあったが、いわゆる自作自演やセルフ・プロデュースにエゴを傾けないスタンスは、折々のコンテンポラリーなスタイルへ己の適性を磨き上げる歌い手としてのチャレンジ精神、ヴォーカリストとしての個性に対する自信の表れでもあったのかもしれない。

 そこから山下達郎、小田和正、安藤秀樹、中崎英也、松尾清憲といった多様な顔ぶれ(いわゆるシンガー・ソングライターの書き下ろし曲が多いのも特徴だ)をパートナーに迎えてコンスタントにリリースを続け、毎年のツアーで精力的にパフォーマンスを重ねていくなかで、彼はシンプルに歌い手としての魅力を浸透させていく。ソウル・ミュージックへの強いこだわりは当然ありつつ、それはもう野暮なアピールをする必要もなく滲み出るものとなっていた。黒人音楽への憧れを根源とする彼の持ち味は強固なものであり、その娯楽性をソウル・ヴォイスによって日本のポップスと意欲的に結び付けることで、鈴木雅之のワン&オンリーな魅力は醸成されてきたのだ。

 ゆえに、90年代に入ってJ-Popのフィールドにおいて〈大人の歌〉が求められるようになった時節に、そのソウルフルな魅力がより広範な支持を獲得したのは必然だった。初のベスト盤『MARTINI』(91年)がミリオンを記録する一大ブレイク作になったのを契機に、“もう涙はいらない”(92年)、“恋人”(93年)、“違う、そうじゃない”(94年)、“夢のまた夢”(94年)などコマーシャルなヒットを数多く輩出。並行してポール・ヤングとの“COME ON IN”(91年)や菊池桃子との“渋谷で5時”(93年)などの名デュエットも残しつつ、グループ時代のイメージから自然に色合いを成熟させ、コンテンポラリーなソロ・ヴォーカリストとしての地位を不動のものとするに至ったのである。

 ソロ・デビューから10年という節目の96年にはラッツ&スターを再集結させ、大滝詠一の後見を受けた久々のシングル“夢で逢えたら”とベスト盤をリリース。それ以降のツアーではグループ時代の楽曲も披露するようになり、2001年には初のカヴァー・アルバムとしてルーツにあるソウル名曲を取り上げた『Soul Legend』を発表するなど自身のルーツを顧みるような局面も増える一方で、より積極的にコラボレートの幅を広げていくようになったのは、マーチンの軸にある表現の揺るぎなさの証明でもあった。この時期には『Tokyo Junction』(2001年)や槇原敬之や田島貴男らをプロデュースに迎えた『Shh...』(2004年)で深みのあるミディアム~スロウを主体に洒脱な大人ぶりを見せている。

 後進からの評価も改めて浮き彫りになってきたこの時期には、MUROの招きで“浪漫SOUL”(2005年)に客演したり、トリビュート盤『SUZUKI MANIA』(2004年)も登場しているが、なかでも『Shh...』で腕を揮ったゴスペラーズとの縁は、ソロ・デビュー20年目のタイミングで初作『GOSPE☆RATS』(2006年)を発表したゴスペラッツの結成に実を結んだ。なお、そこにSkoop On Somebodyを加えた〈同好の士〉の集まりは、毎年恒例のイヴェント〈SOUL POWER SUMMIT〉へと発展していくことになる。