新時代のジャズ・ガイド〈Jazz The New Chapter(以下JTNC)〉で旋風を巻き起こした気鋭の音楽評論家・柳樂光隆が、人種/国籍/ジャンルなどの垣根を越境し、新たな現在進行形の音楽をクリエイトしようとしているミュージシャンに迫るインタヴュー連載「〈越境〉するプレイヤーたち」。登場するのは、柳樂氏が日本人を中心に独自にセレクト/取材する〈いまもっとも気になる音楽家〉たちだ。第6回は、NYをベースに活動しているヴォーカリスト/作曲家の須田宏美が登場。第4回に登場した小川慶太とも親交の深い彼女が歩んできた道のりと、ニュー・アルバム『Nagi』について話を訊いた。 *Mikiki編集部
須田宏美は、ジャズとブラジル音楽の狭間のような立ち位置で活動しているミュージシャンだ。そんな彼女がブラジリアン・ギターの巨匠ホメロ・ルバンボをはじめ、スナーキー・パピーにも参加する小川慶太(ドラムス/パーカッション)、オメル・クラインやバンダ・マグダで演奏しているハガイ・コーエン・ミロ(ベース)、注目すべき若手ピアニストのジュリアン・ショアなどNYの個性的なミュージシャンを起用し、通算3枚目となる新作『Nagi』をリリースした。
ブラジル音楽といっても、オーセンティックなボサノヴァやサンバではなく、かといってジャズ・ボッサでもない。そこには、このアルバムに参加しているメンバーたちが普段奏でているようなコンテンポラリー・ジャズの感覚が聴き取れるし、オールド・スクールなブラジル音楽よりはもっと現代的な感覚(例えばサンバ・ノヴァであったり、ミナスの新世代であったり、アルゼンチンのコンテンポラリー・フォルクローレにも通じるようなもの)が織り込まれているように感じられる。8月18日(木)からは本作を引っ提げてのジャパン・ツアーも決定している須田に、Skypeを通じてインタヴューを行った。
マリア・ヒタとの出会いで、ブラジル音楽が近く感じた
――須田さんはもともとバークリー音楽院にいたんですよね。(在学していたのは)小川慶太さんと同じ頃ですか?
「小川くんはちょうど同じ時期に入学したのもあって、その頃からずっと演奏してもらっています。(自分の作品でも)ファースト(2008年作『Hiromi Suda』)から今回の新作までずっと参加してもらって」
――ということは、大林武司さんや森田真奈美さんとも一緒だった?
「そうですね。私の最初のアルバムは学生だった時に作ったんですけど、ピアノは武司くんが弾いています。最近は同世代のみなさんが活躍していますね」
――もともとバークリーに留学しようと思ったきっかけは?
「高校生の頃に作曲への興味を持つようになって、そこからバークリーのことを知ったんですよね。それで、知り合いでバークリー出身の住友紀人さん※から〈バークリーはいつ、どういうレヴェルで入学しても学ぶことがあるところだから、日本で基本的なものを準備していったほうがおもしろい。だから、大学を卒業してからバークリーに行ったらどうですか〉とアドヴァイスをいただいたので、こつこつ4年間準備をしてから行くことにしました。周りのみんなは、その間に私のバークリー熱が冷めるんじゃないかと思っていたみたいですけど、私はしぶといので(笑)。〈本当に行くんだ……〉と思われていたかもしれない」
※世界的なサックス・ウインドシンセサイザー(EWI)奏者。作曲家としても映画/TVドラマやアニメの音楽を多数手掛け、日本アカデミー賞の受賞歴もある
――ハハハ(笑)。留学する前はどういう音楽をやっていたんですか?
「それまではジャズとか、洋楽が好きでしたね。音楽の共通言語としてのジャズを勉強したほうがいいと思っていたので、スタンダードを練習したり、ジャズを聴けるレストランで演奏したりしてました」
――留学してからは、どんなことを学んでいたんですか?
「私は取りたいクラスを取るためにいろいろ変えたんですよ、〈デュアル・メジャー〉と言って、メジャー(=専修分野)を2つ取ってました※。卒業したのはプロフェッショナル・ミュージックのメジャーですけど、最初はパフォーマンス科を専攻していて、そちらのクラスをたくさん受けてましたね。そのあとにデュアル・メジャーで〈CWP〉(Contemporary Writing and Production)というプロダクションのことも勉強しましたし、ソフトウェアやアレンジメントを学ぶことができるメジャーも取りはじめました」
※バークリーには12の学科が存在し、プロフェッショナル・ミュージック科以外であれば、どの学科でも二次専攻(デュアル・メジャー)として2つ学科を選ぶことができる
――作曲を専攻していたわけではないんですね。
「いや、CWPはそこで曲も書くんですよ。さらにアレンジやプロダクションも勉強して、(曲作りの)すべての要素を学ぶというメジャーなんですよ。ほかにも、パソコンで(DAWソフトの)Digital Performerを使って曲作りをするクラスも受けましたね」
――現在の活動に繋がっているような授業はありましたか?
「私は最初のセメスター(年間2学期制の1つの学期)の時に、パーカッションのクラスをたくさん取ってました。パーカッションを専攻していない人でも受けることができるブラジリアン・パーカッションのクラスがあって、みんなでサンバの演奏をしたり、タンボリンやパンデイロを叩いたりしながらアンサンブルを学びましたね。あとはコンガをひたすら叩くクラスや、アフリカン・ドラムのクラスもおもしろかったです。それに、インディアン・ソルフェージュと言って、インド音楽独自の7拍子や5拍子のリズムの取り方があるんですけど、そういうのを学ぶクラスや、ブラジル音楽のハーモニーを学ぶクラスなど、その頃に興味があったワールド・ミュージックのクラスをたくさん受けていたのが印象深いです」
――ブラジル音楽に興味を持ったきっかけは?
「ブラジル人の先生がいたり、ブラジル音楽に触れる機会が多かったのもあるんですけど、劇的に変わったのはバークリーに来てすぐの頃ですね。入学してすぐに耳の調子が悪くなったのもあって、自分が何をやりたいのか考えていたんです。そんな時に、バークリーのホールにブラジル人のシンガーがやってきて、そのライヴを観た時に〈私はこれをやりたいな〉と思ったのが大きかったです」
――そのシンガーは誰ですか?
「マリア・ヒタです。エリス・レジーナの娘さんですけど、私はそのことを知らないまま友達に誘われて行ってみたら、声がエリスと本当にそっくりなんですよね。それで友達に〈エリスが蘇ったみたい〉と伝えたら、〈彼女の娘だから〉と言われて。それが一番のターニングポイントになりました。2005年くらいの話ですね」
――ちょうどマリア・ヒタが2作目の『Segundo』をリリースした年ですね。
「まだアメリカではそこまで知られてなかったし、いまみたいにディーヴァのような雰囲気ではなく、もともとジャーナリストだったという話も頷ける、控えめな感じでしたね。複雑なステップを踏んだりはするけど、ショウビズ的というよりは、もっとピュアな印象というか」
――最初の2枚くらいまでは、アルバムの作りもシンプルでしたもんね。
「そうですね、ミルトン・ナシメントの〈出会いと別れ〉を歌ってたりして。日本にいた時もブラジル音楽に興味はあったんですけど、その頃はどこか遠い感じがしていたんです。でも、マリア・ヒタはすごく近い感じがしましたね」
――マリア・ヒタは77年生まれですけど、そのくらいの世代になると感性も近い感じがしますよね。
「彼女の解釈によって、また違ったものが出てきますしね。いまだったらエリス・レジーナとエルメート・パスコアールがジャズ・フェスで共演している動画を観たりするのも大好きなんですけど、導入の時点ではまだハードルが高かったんだと思います。〈コルコヴァード〉みたいな曲をあんなコードで弾いて、こうやって演奏するんだ……というのは、もちろんいまでも新鮮ですけどね」
――エルメート・パスコアールですか。
「はい。作曲家として一番尊敬しているのはエルメートさんですね。私の発想の中にはない曲を書きますから。自分の作品でも、ファーストでは“Musica Das Nuvens E Do Chao”、セカンド(2012年作『Sou』)では“Bebe”をそれぞれカヴァーしました。“Bebe”は昔から人気がある曲だから、知っている人も多いし、ライヴで演奏するのも楽しいです。あとは、エグベルト・ジスモンチも好きですね。自分にはないものというか、独特の世界観を広げている音楽にものすごく惹かれます」
――シンガーだと誰が好きですか?
「エリスやマリア・ヒタも好きですけど、若い人だとホベルタ・サー。あとはルシアーナ・ソウザもエルメートとの絡みで好きだし、マリーザ・モンチもよく聴きました」
――コンテンポラリーなサンバやMPBが好きなんですね。
「ジョアン・ジルベルトやナラ・レオンのような、スタンダードなボサノヴァも聴くのは好きですけど、日本人の私が(ブラジル音楽を)表現する時にはああいうスタイルにならないですね。どうやったら自分らしくできるかを強く意識しているので、スタイルとしてはMPBに近いのかもしれません」
――ブラジル以外にも、南米の音楽はよく聴かれます?
「そうですね、(NYで)いろんな国の方との出会いがあったので。例えば小川君が参加しているバンダ・マグダのメンバー、アンドレアス・ロトミストロウスキーやマルセロ・ウォロースキともよく一緒に演奏していますけど、彼らを含めたアルゼンチン人との出会いは多かったです。そういえば、彼らからアカ・セカ・トリオを薦められたんですけど、私の周りではすごく評価が高いですね。癒されるといえばアカ・セカで、私も心が潰れそうな時によく聴いてます(笑)」
曲を書く時に、映像が観えていることが多い
――そろそろ新作『Nagi』の話に移りましょうか。歌詞カードを読むとよくわかるんですけど、日本語の詞の曲ではリズム感をすごく大切にしているように思いました。“かけら”は特にそういう印象です。
「私は自分の曲を書く時に、意図的に計画してないんですよ。メロディーと歌詞がだいたい一緒に浮かんで、さらにどういうコードが鳴って、どういう世界観でどういう色がして、どういう匂いがしてと、一つの世界のように曲が出てくる。それを譜面に起こして、演奏してみて、またアレンジを変えて――みたいな作業をするので、あまり韻を踏むとか、リズムをどうしたいとかは頭で考えてはなくて。だから、これまでに蓄積されてきたものが無意識に音楽に出てきて、そういう感じになっているんだと思います」
――リズムを意識して言葉をはめているのかと思ったんですが、そういうわけではないんですね。
「自然に生まれたものだから、自然に聴こえるのかもしれません。これは日本語だから、これはヴォーカライズの曲だからとかじゃなくて、(自分のなかで)聴こえてきたものを書くという感じですね」
――あと詞に関しては、自然に関する内容が多い気がします。
「〈私〉や〈あなた〉と主語を付けて、限定的にするのが嫌なんです。せっかく詞を書くのであれば、耳にした時の状況や気持ちに応じて、自由に解釈してもらいたいというのもあって。例えば“Nagi”のなかに〈アイにそまり〉という一節がありますが、こうやって書いておけば藍色の〈藍〉と愛情の〈愛〉のどちらにも受け取れるし、いろんな可能性が広がるじゃないですか。そういうのも日本語の魅力ですよね」
――アントニオ・カルロス・ジョビンの曲には自然賛歌が多いけど、解釈の仕方によってはラヴソングやポリティカルな歌に聴こえたりもする。ブラジル音楽はそういうものが多いですよね。
「ジョビンの曲は美しいなと思いますし、無意識に影響を受けている部分もあるかもしれません。あとはミルトンの〈出会いと別れ〉も、ものすごく強くて心に残る歌詞ですよね」
――アルバムに話を戻すと、詞もそうですけど、サウンド面でも映像が目に浮かぶような楽曲が多いですよね。“レインダンス”はパーカッションやピアノが雨音っぽい感じで。
「曲を書く時に、映像が観えていることが多いからかもしれないですね。だから、本当はそれを反映したミュージック・ビデオを作りたいんですよ。“レインダンス”は特に映像のイメージが強い」
――アレンジはどうやって決めていくんですか。
「曲にもよりますね。最初から頭の中で聴こえているものはそれを試したりしますし、ミュージシャンに演奏してもらうことで曲が変化していく過程を見るのも楽しみなので、セッションから練ったりもします。ロックウッド・ミュージック・ホール(NYのライヴハウス)で演奏する時は、チャレンジングなノリで自由にやってみたり。レコーディングの際にも、自分のアイデアを伝えることで実際はどういう音になるのかを試したり、逆に何も言わず譜面だけ渡してみる場合もあります」
――現在のバンド・メンバーはどんな基準で決めているんですか。
「小川君とはずっと一緒にやっているし、パーカッショニストとしてもドラマーとしても一番信頼しています。ハガイ・コーエン・ミロのベースは個人的にすごく好きで、音楽的な部分もありますけど、その人ならではの音に惹かれますね。ギターでホメロ(・ルバンボ)に参加してもらったのも同じような理由だし、フルートもアン(・ドラモンド)にしか出せない音があるので、そういう個人的な好みでキャスティングしています」
――須田さんから見て、小川さんはどんなプレイヤーですか?
「自分のバンド以外でも、クラリス・アサドとのプロジェクトからバーでのライヴまで、ずっと一緒に演奏してきましたけど、文句の付けどころがないですね。何も言わなくても自分が思い描く音を叩いてくれるし、さらに色を足してカラフルにしてくれる。全体を見渡せているし、プロダクションの能力もあるんです。彼にしかないバランス感覚があって、そのうえで演奏も素晴らしい。小川君はいろんな音楽を演奏できるんですけど、ブラジル音楽は特にすごいですね」
――ホメロ・ルバンボの参加も新作のトピックですよね。
「ホメロはソロも達者だし、グルーヴも素晴らしいんですけど、アカンパニー(伴奏)も上手なんですよね、彼がギターを弾くと、それまで見えなかった道が浮かび上がってくる、そんな感じの演奏というか。サポート力もあるし、出るところでは出て、魅せるところではカラフルに弾く。その匙加減こそ、私がミュージシャンに求めているものですね」
――須田さんが以前から一緒に作品を作っているアン・ドラモンドも、アヴィシャイ・コーエンやステフォン・ハリスといった大物に起用されている売れっ子フルート奏者ですよね。
「ジャズの界隈だと、ホメロやケニー・バロンともツアーを回ってますね。今回のアルバムでは自分だけでプロデュースするつもりだったんですけど、ポスト・プロダクションで行き詰った時にアンが〈共同プロデューサーになってあげる〉と言ってくれて、そこから完成することができたんです」
――そうだったんですか。彼女との繋がりは?
「NYに来てすぐに仲良くなったんですけど、彼女は知り合った頃から私の曲がいいと言ってくれたんですよね。最初はブラジル音楽やブラジリアン・ジャズのカヴァーだったり、もう少しジャズ寄りの歌モノを演奏していたんですけど、〈もっとオリジナルをやったほうがいい〉とアンが薦めてくれて。だから、アンは私の曲に理解があるし、何か言わなくても絶妙なソロを吹いてくれるんですよね」
――今回の新作に参加しているミュージシャン以外で、普段はどんな人たちと演奏しているんですか?
「最近だと、ベッカ・スティーヴンス・バンドのジョーダン・パールソン(ドラムス)に、ロックウッドでのライヴで参加してもらいましたね。それに昨年のイベリア音楽祭では、小川君やアン、ジュリアン・ショアのほかに、ペトルス・クラインパニスやギラッド・ヘクセルマンと共演しました。ホメロのようにジャズとブラジル音楽の両方に携わるミュージシャンも多いですし、自分もそうありたいと思っています」
――なるほど、スナーキー・パピーやBIGYUKIも出演しているロックウッドに出入りしている〈ジャズもルーツに持ちつつ、ほかのジャンルも演奏するミュージシャン〉と共演する機会が多いんですね。あと、最近好きなミュージシャンを教えてください。
「よくライヴを観に行くのはベッカ・スティーヴンスですね。彼女とグレッチェン・パーラト、レベッカ・マーティンの3人で活動しているティレリーも好きです」
――アルバムや曲単位だとどうですか?
「ある曲が気に入ったらずっと繰り返し聴くタイプなんですけど、最近だと“A Menina Danca”ですね。ノーヴォス・バイアーノスというトロピカリア界隈のバンドの曲で、マリーザ・モンチもカヴァーしています。あとは、ホベルタ・サーがカヴァーしているぺドル・ルイスの“Girando Na Renda”という曲もお気に入りです」
――8月にはジャパン・ツアーも控えているんですよね。
「はい。日本でのツアーは佐藤浩一さん(ピアノ)、馬場孝喜さん(ギター)、安田幸司さん(ベース)、則武諒さん(ドラムス)と共演します。佐藤さんは同じ頃にバークリーで留学していて、リサイタルで演奏してもらったり、結構長い付き合いなんですよ。信頼の置ける日本のツアー・メンバーと演奏できるので、いまからワクワクしています。今回のツアーでは『Nagi』の収録曲に加えて、私が最近書いた新しいオリジナル曲や、リオでオリンピックも開催されるので、サンバなど歌って踊れるようなブラジリアン・ナンバーも演奏する予定です。生演奏はCDとはまた違ったサウンドになるので、ぜひライヴにも足を運んでみてください」
『Nagi』リリースツアーin Japan 2016
8月18日(木)愛知・名古屋ジャズインラブリー
8月20日(土)山梨・甲府 桜座
8月26日(金)神奈川・横浜モーションブルーヨコハマ
8月27日(土)神戸・芦屋レフトアローン
8月28日(日)大阪・ミスターケリーズ
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