新時代のジャズ・ガイド〈Jazz The New Chapter(以下JTNC)〉で旋風を巻き起こした気鋭の音楽評論家・柳樂光隆が、人種/国籍/ジャンルなどの垣根を越境し、新たな現在進行形の音楽をクリエイトしようとしているミュージシャンに迫るインタヴュー連載「〈越境〉するプレイヤーたち」。登場するのは、柳樂氏が日本人を中心に独自にセレクト/取材する〈いまもっとも気になる音楽家〉たちだ。第4回は、NYで活躍する小川慶太が登場。日本でも昨年大きな注目を集めたスナーキー・パピーの一員であり、原田知世のバックを務めるなどポップ・フィールドでも活躍する82年生まれの日本人パーカッショニストに、これまでの歩みと躍進を遂げた理由を訊いた。 *Mikiki編集部

 


 

昨年9月に開催された〈Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN〉でも圧倒的なライヴを披露し、ジャズ・シーンを超えて世界を席巻するNYの大所帯ユニット、スナーキー・パピー。リーダーのマイケル・リーグ(ベース)を筆頭に、ケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』にも参加したロバート・スパット・シーライト(ドラムス)、次代のスター候補であるコーリー・ヘンリー(キーボード)など40人もの個性派ミュージシャンによって構成されているエリート集団であるが、そのなかに日本人が在籍していることはご存じだろうか。

NYを拠点に活動する82年生まれのパーカッショニスト/ドラマー、小川慶太はジャズやブラジル音楽からクラシック音楽まで、さまざまなシーンで活動している敏腕で、スナーキー・パピーも所属するローパドープ(Ropeadope)のレーベルメイトであるバンダ・マグダにも参加するほか、エリック・ハーランドダニーロ・ペレスマリア・シュナイダー、さらにはクラシック界の巨匠であるヨーヨー・マとも共演している。そんな小川を日本国内も放っておくわけがなく、近年では原田知世や伊藤ゴロー山中千尋らが次々と彼を起用してアルバムを作っているのだ。

バンダ・マグダの来日公演が1月18日(月)~20日(水)に東京・丸の内コットンクラブにて開催され、スナーキー・パピーの新作『Family Dinner Volume Two』も2月にリリースを控えているこのタイミングで、注目すべき日本人ジャズ・ミュージシャンである小川慶太に、彼のキャリアやスナーキ・パピーとの関係についてなど、たっぷりと訊いたインタヴューをお届けしたい。

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キャリアの出発点とスナーキー・パピー秘話

――簡単に僕の自己紹介させてもらうと、〈Jazz The New Chapter〉という本を出してまして。スナーキー・パピーや周辺のミュージシャンも掲載しているんですよ。スライ・フィフス・アヴェニュー(Sly 5th Avenue)とかも。 

「はいはい。スライは最近全然会ってないけど、一枚アルバムに参加しているんですよ」

――それも載ってます。あとはジェシ・フィッシャー(Jesse Fischer)とか。

「あー。ジェシはこの間一緒に、黒田卓也の家でジャムりました」

――じゃあ、黒田さんとも仲が良いんですね?

「卓也くんのことは18のときから知ってて。関西のジャズ・ミュージシャンがLeft Aloneという芦屋にあるジャズ・クラブでバイトしていたもので、(当時は)そこで卓也くんがジャム・セッションのホストをしていて、ドラムの清水(勇博)くんや、いまはNYから帰ってきているトランペットの広瀬未来西口明宏くん(サックス)とか。あのへんが同時期に固まってセッションしてましたね」

――そこにはorange pekoeなど、関西のおもしろい人たちが集まっていたそうですよね。その後は?

「卒業してから東京に2年だけいました。その頃はgrooveline本間将人くんのバンドに参加したり、(groovelineの)ドラムの亀井(孝太郎)くんとも別にやってたな。SOIL&“PIMP”SESSIONS元晴さんがセッションのホストをやっていた、横浜の関内にあるLITTLE JOHNにもたまに行ってましたね。あと、CHEMISTRY(のバック・バンド)で、『HEY!HEY!HEY!』や『ミュージックステーション』に出演していた時期があって。サントリーのウィスキーのCMにも出ました。そこではシェイカーを振ってる(笑)」

――その後、バークリーに留学したんですよね?

「そうですね。それまでずっとドラムをやってきて、バークリーの試験もドラムで受けたんですけど、その頃からパーカッションもちゃんとやりたいなと思いはじめて。なので、バークリー入学後に(専攻を)ハンド・パーカッションに変えて、イチから始めたという感じですね」

――そこからはドラムとパーカッションの両方をやられているんですよね。ブラジルに行った経験が大きかったという話を聞きました。

「バークリーに2年半くらいいて、最後のセメスターの前に夏を3か月オフにして、その間は丸々ブラジルにいたんです。ブラジル音楽以外は何も聴かずにレッスンを受けて、ハング(・セッション)して……というのを、3か月どっぷりやりました」

――いまでもブラジル音楽のセッションは多くやられてますよね?

「アサド兄弟という、日本でも有名なあのファミリーと一緒によく演奏する機会があって。アサド兄弟のプロジェクトで彼ら2人と娘のクラリス(セルジオ・アサドの長女)と、もう1人レバノン人のシンガーとやったことがあるんですけど、そこから彼らも凄く気に入ってくれて、家族みたいに扱ってもらえて、いまもよく一緒にやってますね」

※兄・セルジオと弟・オダイルによる兄弟ギタリスト・デュオ

――アルバムも一緒に作ってますよね。

「クラリスとは2枚ほど一緒に作りましたけど、もっといろんなプロジェクトでやる予定です」

小川とクラリス・アサドが共演した2014年のライヴ動画

 

――スナーキー・パピーにはどんな経緯で参加するようになったんですか?

「出会ったのは、マイケル・リーグがまだNYに引っ越す前です。オハイオのクリーヴランドでローカルのシンガー・ソングライター(以下SSW)のレコーディングをやっていて、そのときに僕はたまたま別のギグでクリーヴランドにいて、〈1曲だけパンデイロで参加してほしい〉と頼まれてレコーディングに行ったら、そこでベースを弾いてたのがマイク(マイケル・リーグ)だったんですよ。そのときに〈スナーキー・パピーというバンドをやっていて、もうすぐNYに行くんだ〉という話を聞いて、〈じゃあ、NYに来たら一緒にやろうよ〉と伝えたんです。その後に彼がNYにやってきて、スナーキーのメンバーを紹介してくれて……という流れです」

※ブラジル音楽で用いられる、タンバリン状の打楽器

――小川さんが参加しはじめた頃のスナーキー・パピーってどんな感じだったんですか?

「マイクはその頃からスナーキー・パピー以外でもいろんなシンガーをプロデュースしたり、アルバムに参加したりしていて、俺はそこにパーカッションでよく呼んでもらってましたね。この前、彼がおもしろい話をしていたんですけど、彼が俺と初めて会ったときのセッションが、初めてスナーキー・パピーとしてのサウンドが固まった瞬間だったらしくて。それはスナーキー本隊ではなく、さっき話したSSWのレコーディングのことなんですよ。そこからマイクはスナーキーのメンバーを自分の関わってるプロジェクトにも使うようになって、それが〈Family Dinner〉シリーズの原点なんです。『Family Dinner Volume One』をリリースする以前から、スナーキーのメンバーはいろんなシンガーといろんなプロジェクトをしていたんですね」

――へー!

「その後、スナーキーがNYのロックウッド・ミュージックホールのレジデンスで1か月の間毎週ライヴをやることが決まったときに、スナーキーがホスト・バンドになって、シンガーやSSWをゲストに呼んで、彼らの曲を一緒に演奏するというのを始めたんです。そのうち、ロックウッドで定期的にライヴするようになって、最終的に『Family Dinner Volume One』というアルバムが出来上がって、みたいな感じで。最終的にグラミーも獲ったんですよね」

――あのシリーズにはそんな歴史があったんですね。今年2月にリリースされる『Family Dinner Volume Two』にもデヴィッド・クロスビーサリフ・ケイタなどの大物や、ローラ・マヴーラベッカ・スティーヴンスクリス・ターナーノウアーら次世代のミュージシャンも参加しているそうですが、いまの話を聞いてますます楽しみになってきました。

『Family Dinner Volume Two』のトレイラ―映像

 

「スナーキーが凄いのは、基本的にリハーサルをしないんですよ。ロックウッド自体も、毎日何人もアーティストが出入りして入れ替えが激しくて、前のライヴが終わったら、バッとセッティングしてバッとはじめて、急いで片付ける……みたいなところなので、リハができないんですよ。で、スナーキーにはメンバーがシェアしてる共有フォルダがあって、そこに〈来週の『Family Dinner』に出るシンガーの曲を入れとくから、みんな練習しといて!〉と言われて音源がアップされて、各自がそれを聴いて覚えてくるんです。それでショウが始まったら、みんなでいきなり音を出すという。そんなことをずっとやっていて、しかもメンバーの誰もがそれでできちゃうんですよ」

――それは凄い……。スナーキーは音楽的にも高度で複雑だし、ある程度はカッチリやっているのかと思ってました。

「いや、もう全然リハしないですよ。でもみんな、もともと持っている音楽性の幅も広いし、このバンドで培ったアンサンブル力があるから、周りの音も聴きながら、自分のパートもちゃんと良い感じで作って、それぞれ組み立てていくというのが、ライヴで演奏しながらできるんです。いろんなプロジェクトのレコーディングをやってきた経験もありますし。だから難しい曲だろうと、いきなりボン!って演奏しても問題ないですね」

小川が参加した、スナーキー・パピーのロックウッド・ミュージックホールでのライヴ映像

 

――とはいえ、スナーキーはメンバーが何十人もいるじゃないですか。ライヴごとに入れ替わりで。

「ガチのレコーディングの時は20数人とかに増えたりするんですけど、ツアーを回るときのコア・メンバーは8人くらいですね。メンバーのなかにはパーカッションは3人いて、ギター4人、キーボード4人、ドラムは2人かな。ベースはマイクがやって、ホーン・セクションはたくさんいるけど、いつも回っているのがトランペットとテナーの2人ですね。そのなかからローテーションしている感じで」

――そもそも基本的にローテーションなんだから、リハがどうのとか言ってられないですよね。

「久々に(スナーキーと)やったときに、俺は『We Like It Here』の曲を1回もやったことなかったけど、その場でバン!とやりましたね」

――それもデータで送られてくるんですか?

「譜面とかもないですからね。そのときはとりあえずYouTubeのリンクが送られてきました。基本はいつもそんな感じですね。あのバンドは曲もそんなに簡単ではないけど、それができる力をみんな持ってますし、ずっとツアーに出ていて慣れてるから、あんまり同じ演奏をやらないんですよ。やっぱりライヴはまた違った味が出るし、全然違う方向に行ったりもするし、それはそれでおもしろいですよね」

小川とロバート・スパット・シーライトのソロ演奏をフィーチャーした、スナーキー・パピーのライヴ映像

 

――もうひとつスナーキーがおもしろいのは、例えば(パートが同じ鍵盤奏者である)コーリー・ヘンリーとビル・ローレンスショーン・マーティンのように、キャラクターや音楽性が全然違うメンバーが一緒にいる点ですよね。

「コーリーやショーン、あと(ロバート・)スパット(・シーライト)とか、ゴスペル出身の黒人メンバーが加入するまでは、もうちょっとワールド・ミュージック色が強いバンドだったんですよ。俺がまだ入ってなかった頃は、いまと全然違う。そもそも、現在はキーボードを弾いてるジャスティン・スタントンは、最初はトランペットで参加していたわけだし。だから、アイツはいまもトランペットを吹きながらキーボードを弾いているんです。スパットも最初はキーボードで入ってたんですよ。ドラムのメンバーが辞めたから、あとでドラムになった感じで。あのチャーチ軍団が入ってからブラック・ミュージック色がガッツリ強くなって、さらに音楽の幅が広がった感じですね。いまのスナーキーにとって、コーリーやスパット、ショーンの影響はめちゃくちゃ大きいと思います」

――教会で鍛え上げられたプレイヤーたちの参加が、バンドのサウンドを激変させたと。そこからグラミーを獲ったり、その後も素晴らしいアルバムをどんどんリリースしたりと快進撃が続いてますよね。

「いや、もう本当に。スナーキーは同じジャズ・シーンにいるミュージシャンたちから見ても、凄く希望があるというか。グラミーを獲る前、ツアーを回っている最中に車の中でその話をしたんですよ。(時期的には)『Family Dinner Vol.1』を録音し終えたあとで、まだリリースされる前。グラミーの話題になって、マイクが〈(スナーキーの運営する)グラウンド・アップ自体が個人レーベルだし、グラミーはメジャーの大きな事務所(に所属するアーティスト)から毎年ノミネートされているから、俺たちみたいな小さいところからグラミーは絶対に獲れない〉と言ってたんです。でも、その半年後にグラミーを獲ってるからおもしろいですよね。話をした1か月後に、(レイラ・ハサウェイが歌う)あのビデオをYouTubeにアップしたら、めちゃくちゃ広がって。話をした半年後にはグラミーに輝いてしまったんだからおもしろいですよね」

レイラ・ハサウェイをフィーチャーした、スナーキー・パピー『Family Dinner Volume One』収録曲“Somethin'”。この曲で第56回グラミー賞の最優秀R&Bパフォーマンス部門を受賞

 

――確かに、あのビデオは爆発的に広まった印象でしたけど、それくらいの長期のヴィジョンは最初から持っているバンドだと思ってましたよ。

「いやー、本人たちは獲れるとは思ってなかったですからね。スナーキーは1部屋2ベッドに5人で泊まって、そのうち3人は床で寝る、みたいなツアーを何年も重ねていましたから。1日のギャラが50ドルしかもらえないギグで毎日演奏したり、物凄い努力でグラミーを勝ち獲ったんですよ。それはもう、あらゆるバンドやジャズ・ミュージシャンの希望になりますよね」

――夢があるし、ドラマがあるなぁ……。

「そうなんですよ、夢があるバンドなんです。身近で知ってる僕らからすると、よくやったなと。そこからも勢いは衰えず、ツアーも相変わらず活発だし、新しいアルバムもどんどん発表していますしね。この間スナーキーで演奏したとき、マイクが新しいバンドをやろうって話をしていて。俺と、俺の先生であるパーカッショニストともう1人別のパーカッショニストによる3人と、ギター3人とベースという編成で新しいバンドを作って、2016年の4月にレコーディングして、アルバムを作る感じで。しかもマイクもバリトン・ギターを弾くから、別のベーシストを雇うらしくて。今年の終わりからツアー予定です」