オジー・オズボーンが死去した。
オジー・オズボーンが亡くなったことは、妻のシャロン・オズボーンら遺族によってInstagramなどオジーのSNSアカウントで発表された。オジーは昨日7月22日の朝に亡くなったといい、76歳だった。死因は明かされていない。
遺族のコメントは次のとおり。
言葉では言い表せないほどの深い悲しみのなか、私たちの愛するオジー・オズボーンが今朝逝去したことをお知らせいたします。彼はご家族と共に、愛に囲まれて過ごしていました。
家族のプライバシーへのご配慮をお願いいたします。
シャロン、ジャック、ケリー、エイミー、ルイ
オジー・オズボーンは、1948年生まれ、英バーミンガム育ちのシンガー。本名はジョン・マイケル・オズボーンで、幼少期のあだ名が〈オジー〉だった。
14歳のときにビートルズの“She Loves You”を聴いてミュージシャンを目指し、ロックスターになることを志す。15歳で学校を中退し、職を転々としつつ、1967年にギーザー・バトラーが結成したバンド、レア・ブリードに加入。バンドはすぐに解散したが、オジーとバトラーはポルカ・タルク・ブルースを新たに結成、トニー・アイオミとビル・ワードもそこに参加した。バンドはアースに改名したが、同じ名前のバンドと混同されたため、1969年にブラック・サバスに再度改名した。
ブラック・サバスは翌1970年にアルバム『Black Sabbath』でデビュー。同年に2ndアルバム『Paranoid』もリリースし、高い評価を得た。
1971年に3rdアルバム『Master Of Reality』を、1972年に4thアルバム『Vol. 4』を、1973年に5thアルバム『Sabbath Bloody Sabbath』を立て続けに発表し、絶賛されヒットを記録。その後1975年には『Sabotage』、1976年には『Technical Ecstasy』をリリースした。
1977年からオジーはソロプロジェクト〈ブリザード・オブ・オズ〉に取り組んだが、ブラック・サバスのメンバーに請われてバンドに復帰。『Never Say Die!』の制作にあたった。ツアーの開催後、1979年にレコーディングに取りかかったが、メンバー間に軋轢が生じ、トニーが中心になって信頼関係が崩れたことやオジーの薬物乱用を批判、それらを理由にオジーはブラック・サバスを解雇された。
ブラック・サバスの脱退後、オジーはメンバーを集めてソロアルバム『Blizzard Of Ozz』を制作、1980年にリリースした。同作はヒットし、翌1981年に2ndソロアルバム『Diary Of A Madman』を発表、続けて成功を掴んだ。しかし、ツアーバス運転手が操縦していた飛行機が墜落して3人が亡くなったことによってオジーは鬱状態に陥り、ツアーを2週間キャンセルしてしまう。
1982年にはウォズ(ノット)ウォズの“Shake Your Head (Let’s Go To Bed)”にボーカルで参加し、同曲はヒットを記録。1983年の『Bark At The Moon』、1986年の『The Ultimate Sin』、1988年の『No Rest For The Wicked』、1991年の『No More Tears』とヒット作を連発し、1980~1990年代も商業的な成功を収めた。
いっぽうブラック・サバスは、1985年の〈ライブ・エイド〉に出演してオジーが復帰。1997年の〈オズフェスト〉で正式に再結成し、アルバム『Reunion』を1998年にリリースした。2006年には〈ロックの殿堂〉入りを果たし、2011年にはオリジナルメンバーが集まったものの、ビルが契約上の問題で脱退、残りの3人でアルバム『13』を制作し、2013年に発表した。そして2016年、〈The End〉と題した最後のツアーをおこなって解散した。
オジーは、2000年代以降も精力的に活動を続けていたが、2019年にインフルエンザの合併症が重症化。その後に回復したが、同年にパーキンソン病と診断され、歩行できなくなった。しかし、ポスト・マローンのヒットソング“Take What You Want”に参加するなど話題が途絶えることはなく、2024年にはソロアーティストとしても〈ロックの殿堂〉に認定された。2025年7月5日には〈Back To The Beginning〉というブラック・サバスと自身の引退ライブを開催し、有終の美を飾ったばかりだった。
ブラック・サバスの音楽性やイメージを決定づけた奇妙に甲高い独特の発声と、〈プリンス・オブ・ダークネス〉の異名をとったダークな世界の表現で、ヘヴィメタルの始祖となったオジー。コウモリ食いちぎるなど、常軌を逸したパフォーマンスでも悪名を馳せた。
唯一無二で稀代のボーカリストがこの世界を去ったことは、先日、盛大なライブを開催したばかりであることを含めて、未だに信じがたい。あの世でも不敵な笑顔を浮かべて歌っていることを想像しながら、哀悼の意を表したい。