幅広い楽曲を作る才能を持ったフロントマン、片桐 航を(ヴォーカル/ギター)中心に、運命に導かれるように集まった4人組、Lenny code fiction。前身バンド時代を含め、5年の活動歴を持つ彼らが、満を持してシングル“Key -bring it on, my Destiny-”でメジャー・デビューを飾った。その心境を尋ねたところ、〈ワクワクしかない〉と共に〈やるしかない〉〈もう後には退けない〉という、覚悟を思わせる言葉が返ってきた。
“Key -bring it on, my Destiny-”収録の3曲を聴く限り、Lenny code fictionは日本のロックのメインストリームに迫る、スタイリッシュかつダイナミックなロックを奏でるバンドだ。しかし話を訊いてみると、その佇まいとは裏腹にメンバーそれぞれが人一倍負けず嫌いで、また困難に直面すると、余計に燃えるタイプらしい。ロック・バンドはやっぱりそうでなきゃ! 今回のインタヴューではメンバーそれぞれのバックグラウンドやデビュー・シングル制作の舞台裏について訊かせてもらった。11月13日には東京・原宿Astro Hallで、現体制で初のワンマン・ライヴを控える平均年齢22歳の4人組に、ぜひ注目を。
あのバンドに入ったほうがいいよと、なぜかずっと言われていて
――前身バンド時代の2012年に〈閃光ライオット〉の決勝大会に進出したことをきっかけに、バンドの未来が拓けたと思うのですが、そこから今回メジャー・デビューするまでの4年間は長かったですか?
航(ヴォーカル/ギター)「最初の3年は長かったです」
kazu(ベース)「ただ闇雲にやっていましたからね」
航「闇の中をさまよっているような状態で、長かったし、キツかった(笑)」
ソラ(ギター)「僕はそれを経てから加入したので、速かったです(笑)」
kazu「ソラとKANDAIは、あっという間だったと思うよ」
――3年経ったところで、何か活動の流れが変わるきっかけがあったんですか?
航「作る曲が変わりました。それまでは自分のためにだけ書いていた曲が多かったんですが、ちゃんと(人に)届けるための曲を作るようになりました。何がきっかけでそう思ったかは全然覚えてないんですけど、このままではダメだと思ったんですよね……天の声だったのかな。聴いてくれる人を想像しながら書くようになってから、ライヴでもお客さんがいい目をしてくれるようになって、〈この曲好きです〉と言ってもらえる曲が増えてきた。それで使命感も芽生えてきたんです。そこから何をするべきか、ということも見えてきた。それが大きかったですね」
kazu「一番変化が表れたのが歌詞でしたね。それまでは反骨精神や、〈俺たちは上を目指すぞ〉という、自分たちを内からアグレッシヴに駆り立てるような歌詞が多かったんですけど」
ソラ「〈伝えたい〉という想いが前に出てきた」
kazu「優しさも感じられるようになりましたね」
ソラ「気持ちに余裕が生まれたんだね」
航「大人になったのかな(笑)」
――では、どんな音楽やバンドの影響の下にLenny code fictionが始まったのか、改めて教えてもらってもいいですか?
航「僕はL'Arc~en~Cielさんの“SEVENTH HEAVEN”(2007年作『KISS』収録)を中学生の頃に聴いて、〈バンドやるぞ〉〈ヴォーカリストになるぞ〉と決めました。そのために高校も軽音楽部があるところを選んで、入学後は軽音楽部で5、6個バンドを組んだんですが、どれも中途半端だった。それで〈プロ志向の最強のバンドを作るぞ〉と組んだのが前身バンドで、ほかのバンドでベースを弾いていたkazuを引き抜いたんです」
kazu「航のバンドのように、高校生でオリジナルをやっているバンドがまず少なかったんですよ。当時、僕らもコピーとオリジナルを混ぜてライヴをしていたんですが、そのバンドが進学のタイミングで自然消滅しちゃって。でも、僕はバンドを続けたかった。周りに先輩・後輩を含め、いろいろなバンドがいたんですが、そのなかで航のバンドが一番カッコイイ曲をやっていた。バンドを続けるならこのバンドでやりたいと思っていたら、ちょうど声を掛けてもらったんです」
――kazuさんはどんなバンドを聴いていたんですか?
kazu「TVで流れるヒット曲にアニメのタイアップ曲とか、いろいろな音楽を聴いているなかで、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)に出会った時、初めてヴォーカル、ギター、ベース、ドラムで曲が成り立っているんだと認識したのが始まりだったと思います」
――ソラさんとKANDAIさんは1年前にサポートとして加入して、今年の春に正式メンバーとなったそうですね?
航「KANDAIはそれこそ3年ぐらい前からの知り合いで」
KANDAI(ドラムス)「〈閃光ライオット〉で一緒だったんです。その当時活動していたバンドはもう解散しちゃったんですけど」
航「その企画か何かで対バンしてからの友達で。僕らは滋賀に住んでたんですけど、東京へライヴしにくる時は、KANDAIの家に泊めてもらっていたんです。それで、前のドラムが抜けて、どうしようと話をしている時に、ちょうどKANDAIのバンドが解散すると聞いて。〈解散か、悲しいな〉と思いながらも、〈よし、チャンスだ!〉と(笑)。(解散と)聞いた瞬間に、もううちで叩いてもらおうと決めていました」
KANDAI「でも、誘われて嬉しかったです。バンドとしても好きだったんですよ。しかも、〈あのバンドに入ったほうがいいよ〉と周りからなぜかずっと言われていて。そう言われるたびに、何言ってるの?と思っていたんですけど、とうとうそれが現実になった(笑)」
――KANDAIさんはどんなバンドを聴いてきたんですか?
KANDAI「中学時代にスピッツやBUMP OF CHICKEN、アジカンを聴いたのが始まりですね。ドラマーとしては、僕の師匠がLINDBERGの小柳(昌法)さんなので、LINDBERGとワンオク(ONE OK ROCK)のミックスで出来上がっているかなと思います」
航「ソラはたまたまKANDAIの前のバンドの解散ライヴを渋谷に観にきていて、そこで初めて挨拶したんですよ」
ソラ「実はずっと航のバンドに駆り立てられていたんです。もちろん、その頃はまだデビューもしてなかったんですけど、友達のバンドが航のバンドと対バンした時、〈格好良いバンドがいるから観においでよ〉と誘ってくれて。それで、観に行って衝撃を受けたんです。1歳上ってだけでここまでヤラれるなんて、と。その日からこのバンドに負けないようにと思いながら、(航の)ライヴに通うという日々が続いてたんですけど、新しいギターを探していると聞いて、もうやるしかないと、思い切ってオーディションを受けたんです」
――そんなソラさんは……。
ソラ「中学の英語の授業でビートルズの“Yesterday”を聴いて、そこから音楽にどっぷりとハマっていくんですけど、ビートルズと言ったらやっぱりオアシスだろう、とブリット・ポップばかり聴いていました。ギターでどれだけ歌えるかという現在のメロディー重視のプレイはビートルズの影響で、ギターで魅せるという意味ではMIYAVIさんからも影響を受けました。その2つがいまの僕のプレイを形作っていると思います」