破天荒で危ういロックンローラーの表情はもうない。いつになく穏やかな日々から生まれた剥き身の優しい歌。初めて見る彼の姿がここに……

  “A Spy In The House Of Love”の冒頭、カタカタカタ、チーン、カタカタ……とタイプライターを打つ音がする。タイプライター! PCのキーボード音しか知らない人が大多数を占めるようになったいまの時代だからこそ、タイプライターの音の芸術的な美しさにハッとさせられる。こちらの想像力をざわざわと刺激するような効果音だ。そして、7年ぶり2枚目となるピーター・ドハーティのこのソロ・アルバム『Hamburg Demonstrations』にも、まさしくそんなざわめきが全編で満ちている。ピーターのアナログな生の息吹が感動を呼び起こす仕上がりと言えるだろう。

PETER DOHERTY Hamburg Demonstrations BMG Rights/ワーナー(2016)

 刹那的な人生を歩んでいると思われ続けてきたピーターだが、この2年ほどはいろいろ落ち着いた様子。薬物依存のリハビリを終えて制作したリバティーンズのサード・アルバム『Anthems For Doomed Youth』(2015年)が高評価を受け、そのまま薬物カウンセラーに帯同してもらってバンドのツアーを行い、ソロ・ライヴの多くにもリバティーンズ仲間のカール・バラーが飛び入り参加。また、パリの同時多発テロで多数の死傷者を出したバタクラン劇場が2016年11月に再オープンした際には、ここでフランス国歌“La Marseillaise”をオーディエンスと共に歌うなど、テロリストへのノーを表明。充実していたこの2年間には、本作をレコーディングしたドイツはハンブルグでの6か月間も含まれている。

リバティーンズの2015年作『Anthems For Doomed Youth』収録曲“Heart Of The Matter”
 

 さて、ピーターの持つパンクな部分とドラマ性がクローズアップされているのがリバティーンズ、バンド・サウンドの叙情面を味わえるのがベイビーシャンブルズだとすれば、ソロは詩人としての生の姿を堪能できる場と言えようか。しかも、初めて単独名義で発表した2009年作『Grace/Wastelands』より、今回はその側面が濃厚だ。ギター1本、もしくはそこにごく少数の楽器を重ねたプロダクションで、彼ならではの転調や美しい節回しを使いながら、メロディーラインが歌われる。激情のドラマやノリよく踊れる曲を求める人には、向かないアルバムかもしれない。だが、息遣いまではっきり聴こえる生々しいヴォーカルは、まるで暗闇のなかに灯った1本のロウソクの炎のように、穏やかに、しかし絶対的な存在感を帯びながら、そっとこちら側を照らしていく。

2009年作『Grace/Wastelands』収録曲“Sheepskin Tearaway”
 

 彼の外側にモチーフを得た曲が多いのも本作の大きな特徴だ。文頭で触れた“A Spy In The House Of Love”はエイミー・タンの同名小説にインスパイアされ、オープニング・トラック“Kolly Kibber”はグレアム・グリーンの小説「ブライトン・ロック」の登場人物の名前。“Hell To Pay At The Gates Of Heaven”は、ピーター自身が暮らすように旅をすることも多いパリの、前述の同時多発テロを受けて書かれたナンバーである。この歌詞のなかの〈バンドに入るか軍隊に入れ〉という箇所は、まごうことなく〈バンドに入れ〉を意味しているはず。そしてもちろん、2015年にシングルとしてリリースされ、エイミー・ワインハウスに捧げた話題曲“Flags From The Old Regime”も収録されている。

 個人的には、彼の言葉選びが前よりもシンプルで、ゆえに歌詞の響きがひとつひとつ耳に残るあたりも気に入っている。そういう意味も含め、このアルバムの白眉は“I Don't Love Anyone(But You're Not Just Anyone)”。ぜひ聴いてほしい。こんな愛の言葉を発するとき、ピーターはいつだって無敵だ。