ノイズの壁が空間を満たす。蕩けるような旋律が薫り立つ。意識が遠のいていく ───この瞬間を、新たな伝説の幕開けを、どんなに待ちわびただろう……

 スコットランドのミュージシャンというと、ティーンエイジ・ファンクラブやベル・アンド・セバスチャンに代表される通り、人柄が良くて音楽自体もフレンドリー――そんなイメージがどうしても強いが、ジーザス・アンド・メリー・チェインには当てはまらない。むしろ彼らの佇まいは近寄り難いものがあり、音楽自体も優しく寄り添ってくれるような類ではない。しかし、その荒々しくて刺々しい演奏と蜜のように甘い旋律を求め、何度となくレコードを再生してしまう。デビュー以来、このバンドはそうした中毒者を増やしながら、歴史を重ねてきた。

 

リード兄弟が掛けた魔法

 ジーザス・アンド・メリー・チェインは、グラスゴーに程近いイースト・キルブライドで58年に生まれたウィリアムと、61年に生まれたジムのリード兄弟によって83年に結成。翌年から2年間だけバンドに在籍たドラマーのボビー・ギレスピー(後にプライマル・スクリームを結成)が、クリエイションのオーナー=アラン・マッギーにデモテープを手渡したことで、彼らの歴史は大きく動きはじめる。マッギーはリード兄弟から自分と似たパンク・スピリットを感じ取ったらしく、すぐさまレコード契約を持ちかけるのだ。

 そしてリリースされたのが、クリエイションの12枚目となるシングル“Upside Down”。この時点で黒板を爪で引っ掻いたようなギター・ノイズはすでに確立されており、バンドの凶暴で扇情的なサウンドはすぐさま英国全土へと伝播する。フィードバック・ノイズで構築した音の壁はフィル・スペクターのプロダクションを引き合いに出され、轟音から浮かび上がるメロディーはビーチ・ボーイズをはじめとするサーフ・ロック勢とも比較され……。そう、60年代テイストにパンクの暴力性を掛け合わせたのは、まさにリード兄弟の発明だと言っていい。

 シングル・デビューを飾って間もなくすると、ラフ・トレードのジェフ・トラヴィスやチェリー・レッドのマイク・オールウェイがワーナーの傘下に設立したブランコ・イ・ネグロへ移籍。マイクがレーベルを離れてからはマッギーも運営に関わっていくものの、いずれにせよこの移籍は当時のクリエイションでは扱いきれないほど、グループの人気が拡大していたことを象徴する出来事のひとつだ。こうして85年にファースト・アルバム『Psychocandy』を発表。同作のオープニング・トラック“Just Like Honey”は、後にソフィア・コッポラ監督作品「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年公開)のもっとも印象的なシーンで使用され、リヴァイヴァル・ヒットしたことも追記しておきたい。

 その後、メロディアスな作風の『Darklands』(87年)、疾走感と力強さを打ち出した『Automatic』(89年)、ダンサブルなビートが印象的な『Honey's Dead』(92 年)、アコースティックなアプローチを見せた『Stoned & Dethroned』(94年)、古巣クリエイションに戻ってのポップンロール盤『Munki』(98年)と、彼らはコンスタントにアルバムを届けてくれたのだが、99年に解散してしまう。原因は兄弟の不仲だった。

 解散後、ウィリアムとジムは単独名義でいくつかのシングルを制作。妹リンダ・リードのソロ・ユニット=シスター・ヴァニラにそれぞれ楽曲提供するなどのトピックもありつつ、以前のような注目を集めることはなく、先述した映画をはじめ、各所からの再評価だけが進んでいった。その声の高まりを受けてか、2007年に〈コーチェラ・フェスティヴァル〉でいきなりの再結成。8年ぶりにリード兄弟が揃ったこの時のステージは、「ロスト・イン・トランスレーション」の主演女優であるスカーレット・ヨハンソンのゲスト参加も相まって、大きな話題を呼ぶ。