2025年初頭に〈rockin’on sonic〉で来日公演をおこなったジーザス&メリー・チェイン。彼らの1stアルバム『Psychocandy』は、リリ-スから40周年を迎えたロック史における最重要作の一つだ。音楽ライター油納将志は、本作を〈単に元祖シューゲイザーとしてだけ評価すべきではない〉と説く。当時の英国の社会状況を振り返りながら、このアルバムの2025年的な意義を綴ってもらった。 *Mikiki編集部
閉塞感を打破しようとした戦略的野心
1985年11月18日、ジーザス&メリー・チェインの『Psychocandy』が世に放たれてから、今年で40年という月日が流れた。このアルバムについて語る際、どうしても〈ノイズ〉と〈メロディ〉の二項対立、あるいはシューゲイザーの始祖としての側面ばかりが強調されがちだ。
しかし、2025年の視点からこの作品を再評価するならば、当時の英国社会が抱えていた閉塞感と、それを打破しようとした彼らの極めて戦略的な野心という背景を無視することはできない。本作は単なる音楽的な実験の産物ではなく、当時の社会構造に対する、最も騒々しい回答だったのである。
輝かしい80年代UKから疎外された者たちの怨嗟と憤怒
1985年の英国は、マーガレット・サッチャー政権下で進められた急激な新自由主義政策の只中にあった。産業構造の転換は、スコットランド、特にグラスゴー周辺の労働者階級に深刻な失業問題をもたらしていた。
ジムとウィリアムのリード兄弟が暮らしていたグラスゴー南東部のイースト・キルブライドは、第二次世界大戦後に建設されたスコットランド初のニュータウンであったが、80年代半ばにはその計画都市特有の均質さと退屈さが、若者たちの精神を蝕んでいた。職もなく、金もなく、未来への展望も描けない日々。彼らは失業保険で食いつなぎながら、来る日も来る日も寝室にこもり、安物のMTRでデモテープ作りに没頭した。
当時のチャートを賑わせていたのは、デュラン・デュランやワム!といった、洗練されたプロダクションと豊かなライフスタイルを象徴するポップスターたちだ。リード兄弟が鳴らした、耳をつんざくようなフィードバックノイズは、そうした輝かしい80年代やすべてに君臨するイングランドから疎外された者たちの、怨嗟と憤怒の表れに他ならなかった。
アラン・マッギーが仕立て上げた〈英国で最も危険な存在〉
この鬱屈したエネルギーを、世界規模の爆発へと導いたのがアラン・マッギーという稀代の扇動者だ。自身もグラスゴーの労働者階級出身であり、ロンドンでクリエイション・レコーズを立ち上げたばかりのマッギーは、彼らのデモテープを聴き、そこにセックス・ピストルズ以来の衝撃とスター性を見出した。
彼が仕掛けたのは、単なるレコードの販売ではない。〈暴動〉の演出である。20分にも満たない演奏時間、客席に背を向けてノイズを垂れ流す傲慢なステージング、そして必然的に発生する観客との衝突。マッギーはこれらをメディアへの撒き餌として利用し、バンドを瞬く間に英国で最も危険な存在へと仕立て上げた。
シングル“Upside Down”がインディチャートで異例のヒットを記録した時点で、彼らの名声はクリエイションという小さな枠組みには収まりきらないものとなっていた。
