タイの笙ケーンとともに、男性が、そして女性が、それぞれに歌う。歌う、というより、ことばの高低をすこし揺らすようにして、節にする。からだを揺らし手を揺らす。
語りの芸能モーラムに惹かれてしまう人は、ところどころに、いる。いや、けっこう、いる。
モーラムが生まれ育った地域、タイの東北部、イサーン地方の音楽を中心にした本を、多くのインタヴューとともに、バックグランドから変遷から、アーティスト紹介も盛りだくさんに〈ディスク・ガイド〉をつくったのも、そんな〈はまった〉人らしい。こういう本、めずらしい。きっと世界でも。こんな本がでた!とまず声をあげた知人は、ほかでもない、タイやラオスをフィールドとしている若い文化人類学者だった。
タイと一括りにしているが、華僑もいれば、マレー系、ラーオ系、クメール系、少数民族と多くの人たちからなっている。当然音楽も多様だ。もともとはわずかな人たちがやっていたものがメジャーなところに影響を与えたりもする。本書で扱われるラムウォン、レー、ルークトゥン、モーラムといろいろな種類の音楽も、さまざまなものが混じりあい、変化している。
音楽そのものは聴いたことがないかもしれない。でも、この本をまず開けてみよう。すごいぞ、この色、この風景、この人、このレコード。まさにタイ、と言って悪ければ、東南アジアの大衆がふれてきた音楽の〈かたち〉が目にとびこんでくるのだ。ドーナッツ盤やジャケットのデザイン、アーティスト写真、あいだにはいってくるマーケットやライヴの光景、それをみるだけで、ここでどんな音楽が?と想像せずにはいられない。正直、ちょっとくらくらしてしまう。
このなかから自分が聴けるものはわずかかもしれない。でも、こうした豊饒な音楽文化がある、それを知っておく、けっして遠くないところでこうしたものが日々聴かれている、そんなことをおもうだけでも、昨今の閉鎖的な世のなか、自分の生き方がちょっとざわつくはずなのだ。