ピエール=ロラン・エマールの『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』-エマールがメシアンを弾くということ-
「しなやか」という言葉には、柔らかさと強さの二つを含みこんだ意味がある。たとえば、ピッチを走り続ける頑強さとともにボールを扱う柔軟さを併せ備える「しなやかさ」が、サッカー選手の条件だとすれば、ピエール=ロラン・エマールの演奏には一流のサッカー選手にたとえられる「しなやかさ」がある。彼の作る音の流れには、強靭なバネがいつでも仕込まれている。だから、弾む音もなだらかな音も単なるスタッカートやレガートには聞こえない。そこからは、このピアニスト独自の音の連続性と流動性が生まれてくる。それに加えて、エマールの音にはフランスのピアニスト特有の明るい輝かしさがある。楽曲の要求する音色の変化に深く繊細に応じつつ、どんな瞬間にもその明るさと輝きが失われることはない。
そのうえで、このピアニストは、とても大きな音楽を作る。音楽の設計が立体的でスケールが大きいのだ。だから、彼がピエール・ブーレーズ率いるアンサンブル・アンテルコンタンポランの一員としてキャリアを始めた現代音楽のピアニストであるにも関わらず、クラシックの記念碑的な作品、たとえばベートーヴェンのソナタや協奏曲を演奏しても、その音楽の巨細な構造を鮮やかに浮かび上がらせる。2014年、日本で演奏したバッハの『平均律第一巻』も、音楽の奥行きを見晴るかす組み立てが見事で、まるで隅々に光の当たった壮麗な伽藍の中を歩いているような気分になったものだ。
以上のピアニストとしての特性は、多くのメシアン作品を初演し、メシアン夫人でもあったピアニスト、イヴォンヌ・ロリオによって12歳で見出され、その後、夫妻の指導を受け、16歳でメシアン・コンクールに優勝した彼の経歴を見れば、当然、メシアンの音楽との関係の中で形成されてきたものでもある。
『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』は、基本的にはイエス・キリストの生誕への歓喜と陶酔、及び、その瞬間にイエスが既に背負う十字架の象徴する死に寄せる悲嘆、及び、その先にある永遠への憧憬を表現するための音楽だ。けれども、そのためにメシアンが駆使する音楽的語法は破天荒なほどに豊富で、その素材は、グレゴリア聖歌、ルネサンスの歌謡、教会の鐘、カノン、フーガ、韓国の旋法、バリ島の音楽といった具合に、遥かな時空を超えてやって来る。それらを人の肉体が発する音と言うことが出来るならば、それに加えて、鳥の声という人の肉体に属さない音色とリズムを持った神秘の要素が乱入してきて、音楽は万華鏡のような様相を呈し、全体として、汎宇宙論的とも言えるような音楽体験に聞く者を導くことになる。しかも、この作品に、メシアンの他の音楽にも増して異様なパッションが充満しているのは、これが1944年のパリ解放の過程のただ中に作曲された、という事情が関係していると見るのも、自然ではなかろうか。
そこでピアニストが伝えるべきは、この音楽の驚異的に豊かな音色(響き、和音)と時間(リズム・テンポ)という二つの要素だ。エマールは、この公演に際してのインタヴューでこう語っている。
「複雑な和音と、ある時間において豊かな色彩が与えうる印象が重視されています。それぞれのオブジェクトや和音に厳密なテンポが与えられているときに、いかにして響きと時間のギリギリのところで聴衆を惹きつけ続けられるのか。それはまさに演奏者への挑戦です」
たとえば、第11曲『聖母の初めての聖体拝領』。「神の主題」のもとで瞑想にふける聖母に、高音部から鳥の声が光のように降りてくる。二つの時間が二つの色彩で同時進行しつつも、そこにさらに不思議な拍節で生命感の躍動するゼクエンツ(短いフレーズの反復)が出現し、新たな生命の胎動を告げる。そういう「出来事」を経て再び「神の主題」が戻ってくるけれど、聖母にとってその意味は、当初とは異質のものに変容している。そんな標題音楽風な展開なのに、ここで起きるドラマがことごとく純粋な(しかも極度にオリジナルな)音楽的出来事として経験されるのが、メシアンの音楽なのであって、エマール言うところの「挑戦」は、聴者の想像を超えた次元にあるに違いない。
LIVE INFO
ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル
○12/6(水)19:00開演
会場:東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
出演:ピエール=ロラン・エマール(p)
【曲目】メシアン:幼子イエスにそそぐ20のまなざし(全曲)