photo by Hiroyuki Matsukage

 

ついに完結する〈ロスト・メモリー・シアター〉の豊潤な世界

 三宅さんと前回お話したのは昨年暮れ、アート・ リンゼイの本をつくっていたときで、彼と親交浅からぬ方としてご登場いただいたのだが、本に載せたこと以外にも興味深い裏話をたくさんうかがった。三宅さんはすでに新作の準備にとりかかっており、そこにアートが17年前に吹き込んだカヴァーを収録したいのだと。誰のなんという曲ですか、と訪ねる私に彼はそれは出てのお楽しみといっていたずらっぽく微笑んだのだが、それから一年そのナゾがようやくとけた。“As Tears Go By”――邦題を“涙あふれて”というこの曲はマリアンヌ・フェイスフルの1965年のデビュー曲で、のちに彼女と恋愛関係におちいるミック・ジャガー、さらにキース・リチャーズ、アンドリュー・ルーグ・オールダムの共作で、 本家ストーンズのヴァージョンふくめ幾多の再演があるクラシックであり、なるほどこの曲をアートが歌うのは意外性がある一方で、それがかえって三宅+アートのコンビらしいともいえる選曲だから、私はひとりにんまりしたのだった。

三宅純 Lost Memory Theatre -act-3- P-VINE(2017)

 待望の新作『Lost Memory Theatre act-3』の聴きどころはむろんそれだけにとどまらない。ブルガリアのコスミック・ヴォイセズ、本誌読者にもおなじみのヴィニシウス・カントゥアリア、アートとアンビシャス・ラヴァーズの同僚でもあったピーター・シェラー、メルヴィン・ギブスなど、錚々たる面々が参加するのは日本の規格におさまらない三宅純の面目躍如たるものだが、そもそも本作は『act-3』のタイトルどおり、2013年の『act-1』、翌年の『act-2』につづく三部作の完結編であり、本作では過去2作に登場した共作者の顔ぶれもすくなくない。〈失われた記憶〉という人間の記憶の機制を主題にしたこの連作には、いつかどこかで聴いたかもしれない錯覚を誘う楽曲がちりばめられていて、上演する音楽に聴き手は劇場の椅子に深々と身を沈めるように聴き入るのだが、記憶、あるいはそれが齎らす想念は音楽に導かれ、たえず変化しつづける。ブラジル、西欧、東欧、アラブなどのローカリティ、ワールドミュージック、クラシック、ジャズ、シアター・ピースといったジャンルを越境して、三宅純の音楽は音楽の時間のなかを移動しつづける。三部作はその遍歴であるとともに、2007年の『Stolen from strangers』にはじまる三宅純のパリ時代の最初の集成ともいえる作品にしあがっている。以前の対話では、インスト主体の『act-2』では聴き手が小部屋をのぞいてまわるように音楽を提示したかったと言っていたが、『act-2』をあいだにはさみ『act-1』と対照するように歌が中心になった『act-3』。

 三宅は構成は決め込まずにこの第三幕を作り始めたのだという。「歌ものにかんしては歌手の個人史に刻まれたもの、あるいはロストメモリーがそこに入っていればいいなと思っていました」 この発言は収録曲ひとつひとつが共演者たちとの交感でなりたっていることを裏づけている。ブラジルの新世代を代表するシンガー・ソングライター、 ブルーノ・カピナン、ハリス・アレクシーウとならびたつギリシャの重鎮であるディミトラ・ガラーニら、初共演のミュージシャンたちが本作に参加したいきさつについてもこの記事のスペースではおさまりきらないほどの背景があるのだが、三宅純は彼らとの関係性までも楽曲におとしこむことで結果生まれる音楽は輻輳する空間性をもつにいたる。アルバム総体は脱ジャンル的な多様性と緻密なスコア、ミュージシャンの高度な技術――“Dusk Falling”のエキゾチックな旋律を奏でるかすれた音色がチェロの倍音奏法だったと知ったときはびっくりした――を凝縮したものだが、シリーズを通してみると、『Lost Memory Theatre』は回廊を経巡りふたたび 出発点に戻るような気配をただよわせている。

 「どのようにすればこのシリーズを完結できるかと悩み、『act-2』の延長ではなく、まず劇中劇のように『act-3』のなかにプロローグとエピローグをもうけました。そのエピローグの後に『act-1』の冒頭曲と同じメロディをリサ・パピノーが新たな歌詞で歌う“Older Charms”を収録することを思いついたんです。それが記憶の輪廻を象徴する気がして、球体を完成できたのかなぁと思えるようになりました」 球体ということばには調和した印象を受けるが、三宅純の描くそれはかならずしもなめらかではない。なにせ、アート・リンゼイがヴォーカルをとった『act-1』の幕開けは非対称を意味するポルトガル語“Assimétrica”だったのだから。