48人のことばと声で三宅純の半生をうきぼりにする証言集
音楽について書いた本はいくつもある、音楽家を対象にした本も、彼らみずから筆をとる本もすくなくないが、音楽のような本になかなかお目にかかれない。上に述べる〈音楽のような〉とはことばの響きや抑揚、文章のリズムなど言語の音楽的な側面以上にそのあり方が音楽を思わせる書物をいう。
音楽家三宅純の音楽と人をたどる書籍「MOMENTS / JUN MIYAKE」がそのようなたたずまいをもつのは、卓越した演奏家にして自在な作曲家でもある三宅純の作家性に負うところ大だとしても、土台にはその資質を育む出来事や出会いがある。〈三宅純と48人の証言者たち〉と副題を付した本書は出生時にあたる〈1958年1月7日11時7分〉を最初のモメントに、音楽にめざめるまでの幼少期、ジャズに魅入られた青年期、さらなる音楽的冒険をもとめジャズを離れ幾多のジャンルを横断するなかで語彙と語法を確立する壮年期から現在にいたる〈人生の時〉を本人の回想を軸に、協働者や関係者や評文の寄稿者、地元鎌倉のなじみのお店の店主や母方のおばまで、48名にものぼる三宅純をとりまくひとびと語りでうきぼりにする構成をとっている。全員の名前をあげるのは紙幅の都合でさしひかえるが、ピナ・バウシュとの関係ひとつとっても、映画を撮ったヴェンダース、ブッパタール舞踊団のメンバーで「Lost Memory Theatre」の第三部に声で参加したナザレット・パナデロや、カンパニーの音楽ディレクターなど、いくつもラインがある。国内はもとより米国、欧州にまたがるそれらの関係性はきら星のような交友録であるばかりか、コスモポリタンにしてエトランゼたるアイデンティティを象る輪郭線でもある。おそらく文化多元主義のもっとも洗練されたモデルのひとつである三宅純を起点とした関係性において過去の記憶や出来事は音楽という時間装置を媒介に迷宮的な様相を呈しはじめる。最新の音楽作品『Whispered Garden』では一人称的な語りに実をむすぶ〈記憶〉の甘美な広大無辺さに、「MOMENTS / JUN MIYAKE」では視点の複数性から切り返すかのような趣がある。労作といえるであろう。