映画、自伝、ソロ、デュオ、トリオ……最も多忙なハーシュの最高傑作が来る!

 近年のフレッド・ハーシュ(ピアノ)の活躍ぶりは、あまりに目覚しい。昨秋発表したソロ・ピアノ作『Open Book』と収録された“Wisper Not”が、ともに第60回グラミー賞にノミネートされた。これで彼の作品のノミネートは、12度目にものぼるという。

 「また逃してしまったね。でも今アプローチしたいと思うタイプの演奏をすべて詰め込むことができて、とても満足のいくものになった。そもそも一昨年末、韓国のホールで即興的に演奏した曲があって、それは僕の最近のやり方で何も用意せず、息を整えて集中し、一瞬一瞬にあるサウンドを緻密に重ね、指の感覚と音の色味を一致させていく……つまり仏教の〈瞑想〉に入るあの手法。それを拠り所に音を発展させていると、いつか20分にも達する即興曲が出来ていた。改めて聴いてみると自ら刺激され、それとは異なるタイプの演奏で周囲を埋めようと、5か月後に客を入れずに録音するためまた同じ韓国のホールを訪れていたんだ」

 かつてはストイックさと、過剰な気負いをもって演奏へ臨んだ。精妙な音の綾なしは変わらないが、より美しさや優しさや喜びの表現へ趣向は移っている。収録曲のすべてでそう思わせるのは、10年前の困難からの復帰が直接的原因となっているのに間違いない。

「すべてが変わったのさ。身体的な能力も、数多くの記憶も失ってしまったけどその後は張りつめたものから解放され、無理に何かをしようとは思わなくなっていた。時間の感覚が変わり、辛抱強くなったんだと思う。また聴衆にも、他では行き着けない世界をじっくり体験して帰ってほしいと思うようになったのさ」

 同じ頃に自叙伝「Good Things Happen Slowly」を上梓し、赤裸々なカムアウトもやった。11歳でホロヴィッツを聴き、「他と同じことをやっても意味がない」と悟る。ジャズと出会い「ここが僕の家」だと感得、周囲との違和感に葛藤する少年が「他と違うことが芸術性を開くカギ」だと気づく。10年前の大病からの復帰劇は誰の心をも鷲掴みにし、どんな絶望を抱えた弱者も勇気づける世紀の感動譚に仕上げられた。

 「3月には、アナット・コーエンとのデュオ作も出す。彼女は僕の音楽をよく研究してくれる、高質で流麗なクラリネット吹きさ。“The Peacocks”は、僕には5度目の録音だけど、従来とはキーを違えてあるし、デュオだからいつもとは違う感覚で聴けると思うよ」

 そして5月には結成9年目となるトリオでの、6作目も発表される。2週間の欧州ツアー最終日前日の様子をほぼ演奏どおりに並べたもので、自ら聴いた瞬間にトリオで最高の一枚になると実感した。「その日、僕たち3人はまさに一番の高みに達していたんだ!」