すべての集中はひとつの音だけのために
その陰影あるタッチは様々な情景を照らし出し、その深く重層的なハーモニーは聴く者たちに自らの人生をふり返らせる。研ぎ澄まされた感性で紡がれていくフレッド・ハーシュの音楽は、決して高速でめぐりめぐって産出される種類ではないが、彼の死生観に裏打ちされた繊細さと圧倒的な集中力によって丹念に積み重ねられていった末の、究極のジャズの形である。
「僕は、演奏する時は目を閉じて指先に鍵盤を感じ、皮膚からその場の空気を吸い込みながら、そこに湧き出てくる物語を頼りに音を紡ごうとする。それより先で何が起こるかなど考えず、自身の心や共演者の音の相互が生み出すハプニングに従い物語を進めていくんだ。この歳になると、やって来るものすべてに寛容になり、何が起ころうともすべてを楽しめるようになっている。そこまでの道のりはじつに長かったけどね」
演奏へ臨む非情なストイシズム、発音ひとつに感じさせる気負い、過剰とも思える求道心がハーシュの、カルト的人気を支えるメンタリティだった。しかしふり返ればそれは“認められるための証明行為”であり、8年前にあった大病からの奇跡的生還によって、ある気づきが彼の中にもたらされる。体の中に“シネスティージア”(=音と色の共感覚)に似た感性があり、出す音に自分だけの色があるという発見。それこそ自分のシグネチャーであると感得するのだ。2か月の昏睡から生還した直後は、しゃべることも、手を動かすこともできなかったが、そこからの経験のすべてを糧にシグネチャーを顕現させ、演奏上のあらゆる邪念から解放されていった。この“完全な集中”状態に入れる機会は、しかし頻度としては低い。これについては、瞑想を学ぶことで大きな手がかりを得ることになる。
「すると、これまで僕はずっとピアノの前で瞑想状態に近づこうとしていたことが分かった。やがて演奏中にも呼吸が整えられ、音にだけ集中し、無念無想になっていた…いつでもそこに帰ってこられるようになっていたんだ。もう誰と競争しようとも思わないし、すべてに対し優しい気持ちになれていた。この3月にやったヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴは、その1曲目の第1音で、僕だけでなく、トリオの全員がそういう状態になっていたんだよ。それだけじゃなく、そのステージ中ずっと、その状態が継続していたのさ」
ハーシュにとってヴァンガードは、その空気までが味方をしてくれる特別な場所だ。新作はそんなヴァンガード・ライヴの4作目にあたり、公演最終日の爛熟しきった音が収録された。ハーシュ・トリオ独特の対話法が頂点にまで達し、これまでにない3者の喜びに満ちたパフォーマンスが、ここには引き出されている。