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〈自分のエゴから離れている音楽〉が自分にとっての〈アンビエント〉のひとつだなと思って(BIOMAN)

――そういう環境の中で出来上がった今回の作品は……これは僕の勝手な深読みなのかもしれないけど、例えばピエロ・ピッチオーニやアルマンド・トロヴァヨーリなどの、往年のイタリア産軽音楽にも通じるような適度のリラックス感やおおらかさがある気がします。軽音楽とDTM以降のアンビエント感の融合というか。いま世界的にアンビエントやニューエイジといった音楽へ再注目する潮流もありますよね。二人はリスナーとしてそういった音楽は聴いていますか?

BIOMAN「俺はけっこう好きです。清水靖晃さんや高田みどりさんの過去作品が再発されている流れも追っていたし、例えばヴィジブル・クロークスとか現行のものも聴いていましたね。王舟からNEWHERE MUSIC発足の話を聞いたときには、なるほどと思ってしっくりきました。自分のトレンドもこのレーベルが打ち出しているものに合致したので、今回やろうと思ったところもありますね」

――同じくNEWHERE MUSICからは、ジム・オルークのインスト作もリリースされました。彼にも取材したのですが、〈私にとってアンビエントという言葉の意味は何なのか〉を考えて作ったと言っていました。

BIOMAN「ああ、それはわかるかもしれない。ニューエイジやアンビエントって解釈の幅が広いから。俺にとってそれは、例えば喜多郎ではないし(笑)、ヤソスでもない。レファレンスとして聴いてたんですけど、スペインのコンラッド・セトっていう人の『Magic』っていうアルバムがあって、〈自分のエゴから離れている音楽〉っていう意味で自分にとっての〈アンビエント〉のひとつだなと思って」

コンラッド・セトの83年作『Magic』収録曲“Buster Keaton”

――なるほど。作家性が表出した音楽ではいという意味で?

BIOMAN「そう。なんというか……精神的な意味でも〈アンビエント〉。『Magic』はイタリアに行く前にけっこう聴いてました。もちろんそれをそのまま目指そうということではないんですけど」

王舟「もう一人、BIOMANが教えてくれたアルゼンチンのモノ・フォンタナもすごく良かった」

――王舟くんは普段そういったものも聴きます?

王舟「清水靖晃さんは聴いてました。あとは、ドローン的なものを昔好きで聴いていたな。デヴィッド・グラブスとか」

――軽音楽的なものは?

王舟「〈軽音楽〉ってジャンル名として何を指しているのかイマイチよくわからないんだよね」

――もともとの語義としては〈軽音楽部〉みたいな用法で、〈クラシック以外のポピュラー音楽〉って意味だったみたいですけど、いまは一般的な意味としてはイージー・リスニングを指すことが多いと思います。ポール・モーリアとかアンディ・ウィリアムスとか……異論はあるかもしれませんけど、バート・バカラックの音楽も含めたりしますね。

王舟「けっこう広い意味ですね」

モノ・フォンタナの2006年作『Cribas』収録曲“Tarde, De Tu Lado”

――今回のアルバムも、そういう意味での軽音楽を、さきほど言ったように現代のエレクトロニクスや二人のフィルターを通してDTM以降のセンスで再構築しているような感覚を受けました。それでいて、“Pergola”のようなクラシカルなギター・インストゥルメンタルも収録されていたりして。それこそウィンダム・ヒルとかのニューエイジな雰囲気も感じたり……。

王舟「マッティアに〈ギターにリヴァーブをかけて〉って頼んだんだけど、さらにBIOMANが〈ダサい感じでお願い〉ってオーダーしてて」

BIOMAN「真剣に〈良い音〉を狙うとかじゃない感じがしたんですよね。〈真剣な音楽〉からは外したいなと……。ちょっとツッコミどころがある感じがいいなっていう(笑)。例えば“Senigallia”では、マッティアが〈♪トゥルルルルル〉っていうアルペジオみたいなシンセを入れてきたり。マッティアは〈これめっちゃいいだろ!〉って言うんだけど、〈そうかな?〉って(笑)」

――確かに全体を通して〈背筋を伸ばしてちゃんと聴かなきゃ〉みたいな感じじゃないですよね。どことなくプリティーさがあるというか。あとはヴェイパーウェイヴっぽさも感じました。

BIOMAN「そうですね。さっき言った高田みどりさんの再発とかヴィジブル・クロークスとか、個人的に好んで聴いてたものも確実にヴェイパーウェイヴが流行ったことと関係があると思うので、どこかにそのテイストはあるかもしれないですね。

あそこまで茶化した感じではないけど。ヤソスのようなガチガチにスピリチュアルなものと、適当な感じのヴェイパーウェイヴ、どっちも聴いているから、塩梅としてはその真ん中らへんかも」

 

NHKで早朝に30分だけやっているような、ただ世界の風景を写すだけの番組のオープニング・テーマ、みたいな(笑)(王舟)

――“Ancona”は、エスキヴェルとかディック・ハイマンなど、50年代米国の産のいわゆる〈スペース・エイジ・バチェラー・パット・ミュージック〉を彷彿とさせます。レトロ・フューチャー、SF感と言いますか。

BIOMAN「これは王舟作なんですけど、俺もそういうテイストに引っ張られたかも。アナログ・シンセがウニョウニョいってるような、ヨーロッパのライブラリー系レコードとかの世界。自分のなかにそういうのってなかったから、王舟のノリに引き寄せられた感じかな」

――王舟くんのなかに元からあった、ジャイブやスウィングなどを嗜好する面がBIOMANさんのセンスと結びついて、こういうものになったのでしょうか。

王舟「確かに、ソロのアルバムだとこういうのをやるきっかけがなかったんです。今回はシンセを使ってみたかったんだけど、いままで使う機会もあまりなかったし。気楽にやれた感じがあるかも。自分のそういう部分がふと出てきたのかもしれないですね」

――では、“Sansepolcro”はいかがでしょう? これも昨今、エレクトロニカが再発掘されているような流れとリンクするような……。

BIOMAN「これは僕が作ったんですけど、実際はただ身を任せただけというか(笑)。あらかじめ〈こういうふうにしよう〉とかいうイメージはあまりなかったかなあ。ただ思いつくままに作って……めちゃ気が抜けてますね」

――作り込みすぎないという全体のトーンとも共振する。

王舟「この曲は、俺が入れようよって言った曲で、なんというか……子供の頃NHKで早朝に30分だけやっていたような、ただイタリアの街の風景を写すだけの番組のオープニング・テーマ、みたいな感じがして(笑)」

――まさに軽音楽だ、と。

王舟「そう。いちばん最初にBIOMANが作ったデモがこれで。これは俺が作ろうと思ってもなかなか作れない曲だから入れようと」

――“Aeroporto di Bologna”は、その名の通り空港の待合ラウンジで流れていそうな軽音楽ですね。

王舟「これは俺が作曲です。マッティアに〈イメージはモリコーネみたいな感じだろ?〉って言われて」

――マッティアにも、そういう軽音楽的なコンセプトへの意識が共有されていたんですね。

王舟「いや、〈アンビエント〉とは言っているけど、〈軽音楽で〉とは言ってなかったね」

――でも、〈モリコーネ〉ってワードが出てくるということは、やっぱり二人の意識を汲んでいるということでは。イノセンス・ミッションっぽさというか、王舟くんのカラーがわりと素直に出ている気もしましたけど。モリコーネ感、確かにありますね。

王舟「昔のマカロニ・ウェスタン映画のサントラに入ってる小品的な曲みたいな」

――それと、全体的な音の質感という点では、この曲のようなアナログ的な柔らかさが特徴的だと思いました。打ち込みのデジタルの音もうまく馴染んでいて。

王舟「リアンプをけっこうやったから馴染んでいるのかも。最初のデモの段階だと打ち込みの音は堅い感じだったんだけど、リアンプしてみたら良い感じで」

BIOMAN「そう。リアンプすることでアンバランスな感じになるかなって思ったけど、“Terni”とかのカチッとした曲でもけっこうフィットしたので、全体的にこの方向でいったらうまくいくかもって思いましたね」

王舟「試してみたらバッチリハマったという意味で、音質の面でも、狙ったものというより意図せずマッティアから与えられものという感じがある」

BIOMAN「マッティアが持っていた変なディレイがあったんですけど、それも現場で〈せっかくやし使ってみよう〉みたいなノリで使ったんです。だから、音質面も多分に偶然与えられた質感になってますね」

次にやるならもっとヤバイ環境で……あまりやりたくはないけど(笑)(BIOMAN)

――お話を聞いていると、ほとんどの作業工程において、作家的エゴや厳密性といったものをあえて放棄して、自分たちも見えなかった一面が浮かび上がってきている感じなんですかね。

BIOMAN「それはすごくありました。こういう状況下だと俺はこんなふうになるのかっていう(笑)」

王舟「あとはやっぱり英語でやりとりしなきゃいけないのも大きな要素だね。向こうも母国語じゃないから」

――母国語じゃない言語を挟むことによって、ニュアンスが伝言ゲーム的に変わっていく?

王舟「そう。細かい部分は詰めようがないから、デカいところで手を打つっていう。マッティアは俺も昔から知ってて音の質感や音楽の趣味とかは信用はしているから、あんまり細かいところは決めなくてもいいかなというのもありました」

BIOMAN「俺はあまり英語も喋られへんし、マッティアにも一回会っただけだったので、できるだけ大きく〈これはハッピーな感じ〉とか、〈サッドな感じ〉とか言いながらコミュニケーションして。そうやって二人の最大公約数を探すみたいなことにならざるを得なかったんです」

――その〈ハッピー〉〈サッド〉の解釈もマッティアなりの解釈が加味されるだろうし。

王舟「そういう大雑把な解釈の積み重ねが、そのうち腑に落ちる瞬間があるのが楽しかったな」

BIOMAN「二人だけでイタリアに行ってマッティアと作業するっていう、自分を押し殺さないといけないといけない状況じゃないと、こんな音にはならなかったと思いますね(笑)。普段ならもっと自分を主張しちゃうし。だから、そういう意味でもこのアルバムは〈軽音楽〉なんじゃないですかね。

いま、あえて軽音楽的なものを標榜して創作するアーティストもいるけど、そういうのって演出的意図が前面に出ちゃう場合が多いじゃないですか。でもこれは、そういう主張やエゴがないっていう面で、本当の意味での〈軽音楽〉なのかもしれない」

――再びこういったインスト作品制作のオーダーがあったらやってみたいですか? 例えば今回とはまた全然違った環境に身を置いてみたりして。

王舟「俺は、普段一緒に音楽を作ることのない二人で海外の田舎にこもって作るっていう今回のフォーマットは良いなって思ってて。外の世界に身を預けてみて、自分がどうなるかっていう作業をもっとやってもおもしろいのかなって。

同じ閉ざされた環境で作業するにしても、外から遮断されたいという欲求が優先されるのか、その環境に飲み込まれることが優先になるのかで、だいぶ出来上がるものは変わるっていう気付きもありました」

BIOMAN「俺はまたやるとしたら……うーん、今回イタリアでかなり揉まれたんで、次はある程度対応できちゃうんじゃないかなって思いますね。だから次にやるならもっとヤバイ環境で……あまりやりたくはないけど(笑)」

――是非やってみてほしいです(笑)。それがより軽音楽的なものになるのか、あるいは、むしろ奥底にある情念が発掘されて湧き出てきて、記名性の強いのになったりするのか……。いずれにせよ自身でも予想していなかったものがまた生まれてきたらおもしろいですよね。

王舟「みんなもやったらいいのになあ。そうやって作られたいろいろな人の作品を聴いてみたいですね」