©2018 映画『太陽の塔』製作委員会

人々の眠る本能を呼び起せ!
岡本太郎のメッセージを伝える人々の証言を求めて

 1970年、アジアで初めての万国博覧会が大阪・千里丘陵で開催された。テーマは、「人類の進歩と調和」。《太陽の塔》は、そのテーマ館のシンボルとして芸術家・岡本太郎(1911-1996)によってつくられた、高さ70メートルにおよぶ建造物の内部に展示空間を擁すパビリオンであった。博覧会終了後に、すべてのパビリオンが撤去される中、《太陽の塔》は残り、48年を経た2018年3月、内部展示の一般公開が始まり、再び注目を集めている。これを機に、《太陽の塔》をテーマにした長編ドキュメンタリー映画が9月29日より公開される。

 公募により選ばれたこの作品の監督は、カンヌ国際広告祭など国際的な受賞歴のある映像ディレクター・関根光才。応募の時点では、《太陽の塔》に詳しくはなかったが、塔の背面にある黒い太陽は、強く印象に残っていたといい、「万博という多くの人が集まるところに“怖い”象徴のような作品をつくることは、普通の意識では考えられない。あえてそこにつくられていることに、作者のメッセージが込められているのではないかと思っていた。そのことが今回の監督への応募につながった」という。

 「現代の解釈で、現代社会とアートのつながりを描きたい」という思いが採用され、じっくりと勉強し、企画を固めていった。ドキュメンタリーの手法として、人から伝えられた話をまとめることがあるが、《太陽の塔》という巨大な存在はとても個人の意見では語れない。ストーリーを描いて、ナレーションをつけたとしても、見る人の心には届かないだろうという思いから、「いろいろな人から話を聞いて吸い上げたエッセンスを、あえて実験的に、細切れにつないでひとつのストーリーとしたかった」と、総勢29人にインタヴューを行った。まずは、太陽の塔の制作、設計に携わった人たち、そして岡本太郎と交流のあった人たち、さらには関根監督の直感で連れてきた人たち。その中には、岡本太郎を知らないという人もいたが、表現者として何かを貫いているのなら、岡本太郎に通じるものがあるはず、とインタヴューを行った。そうすることで、内輪の話ではなく、誰しも考えることかもしれないという話を加えることができ、よりスケールの大きいストーリーとして、《太陽の塔》に対抗できるだろうと。

 自然の中に雄大に立っている塔、両手をやや上に向けて広げ、すべてを受け入れるかのような形だ、などと、インタヴューに応じたそれぞれが、自分にとっての太陽の塔を語る。ダンサーは身体表現を、学者は理論に基づいて会話を展開する。岡本太郎が常に本質を見極めていたことや、人々の中に眠る本能に気づかせようとしていたことは、異口同音に語り続けられる。

 「みんな別々に話をしているのに、気がつくと同じ話をしている。筋書き通りに話してはくれないが、たくさんの人の声を集めれば議論に説得力があるのではないか」(関根監督)

 3.11以降、日本の社会に対して、このままで大丈夫だろうかという関心があるという関根監督は、「原発で大変なことが起こったのに、何も変わっていない状況に対し、1970年代、それ以前から、岡本太郎が日本社会に感じていた疑問、疑念が連綿と現在に続いているのではないか。本質を届けてくれるものの前に立ち、向かい合ってみることが大切ではないか」と続けた。

 インタヴューシーンで、今はまだ、《太陽の塔》の背景がどういうものかがわかっているし、文献等でも調べられる。しかし、たとえば、何万年後、まわりに何もなくなって、《太陽の塔》だけが残ったとしたら、その時にそれを見た人はどう思うのだろうか、という場面がある。実はそれと同じようなことを関根監督も考え、イマジネーションとしての「縄文の少女」を映像として映画の最初から最後まで登場させている。これはインタヴューを行った人たちには伝えていなかったこと。実際のインタヴューと架空のイメージ映像がひとつのストーリーとして結実している面白さがあり、登場人物による言葉の数々が残像のように心を刺激する。

 「全部を理解してもらえなくてもいい。あと10年後に見ても面白いと思われるもの、何十年後に見ても、こういうものがあった、面白いと思ってほしい」

映画「太陽の塔」
監督:関根光才
撮影:上野千蔵
照明:西田まさちお
録音:清水天務仁
編集:本田吉孝
本編集:木村仁
音響効果:笠松広司
音楽:JEMAPUR
配給:パルコ(2018年 日本 112分)
©2018 映画『太陽の塔』製作委員会
◎9/29(土)渋谷・シネクイント、新宿シネマカリテほか全国公開!
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岡本太郎(Tarou Okamoto)  [1911-1996]
1911年生まれ。岡本一平とかの子の長男。東京美術学校に入学、父母の渡欧に同行し、1930年からパリに住む。数々の芸術運動に参加しつつ、パリ大で哲学・社会学を専攻、ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。帰国し兵役・復員後、創作活動を再開、現代芸術の旗手として次々と話題作を発表した。1970年の大阪万博テーマ館もプロデュース。一方、旺盛な文筆活動も続けた。1996年没。

 


関根光才(Kosai Sekine)
映像作家。映画監督。2005年に短編映画「RIGHT PLACE」を初監督した翌年、カンヌ国際広告祭のヤング・ディレクターズ・アワードにてグランプリを受賞、同年、広告映像誌SHOTSの発表する新人監督ランキングにて世界1位を記録。以降、様々な短編映画賞・クリエイティブアワードを多数受賞し、2014年にはカンヌライオンズ(カンヌ国際広告祭) で「Sound of Honda / Ayrton Senna 1984」により日本のチームとしては史上初めてチタニウム部門グランプリを受賞した2018年秋には初めての長編劇場映画監督作品となる『生きてるだけで、愛。』や初の長編ドキュメンタリーとなる本作『太陽の塔』が公開される。また2011年の福島原発事故以降に発足した、表現で社会や政治に向き合うアートプロジェクト「NOddIN(ノディン)」でもインディペンデントな創作活動を続けている。