2018年7月6日~7月9日ブルーノート東京公演 photo : 山路ゆか

作曲家に、ならルグランのように

 2019年1月26日にミシェル・ルグランが亡くなったと報をうけ、すぐ想いおこしたのはフランシス・レイの、昨2018年11月7日、ルグランに先だって世を去っていた作曲家のことだった。ともに1932年生まれ、20世紀後半、フランスから発信され世界中で親しまれたメロディの作り手で、2人は『愛と哀しみのボレロ』(1981、監督クロード・ルルーシュ)の音楽を分担していた。ジョルジュ・ドンの踊るクライマックスの“ボレロ”まで、映画では、第二次大戦前から大戦中、戦後までさまざまなスタイルの音楽が歌われ奏でられ踊られる。2人の作曲家の方向性、フィールドの重なるところ──ともにフランス語を母語にするメロディストの資質だ──、異なるところを生かしつつ、二世代にわたる少なからぬ人物たちの交差を音楽的に造形していた。レイについてはそのままだったので、この機会にまず2人の作曲家へ、そしてあらためて、以下にミシェル・ルグランの哀悼を。

 ルグランがもう、いない、もう、新しい曲が聴けない、あのつよく、それでいてやわらかいタッチのピアノが聴けない。残念だ。かなしい。そうおもう人の脳裏に浮かぶ楽曲、演奏はいろいろだ。『ローラ』の、『シェルブールの雨傘』の、『ロシュフォールの恋人たち』の、『ロバと王女』の。『5時から7時までのクレオ』の、『はなればなれに』の、『女は女である』の。『華麗なる賭け』の、『おもいでの夏』の、『愛のイェントル』の。マイルス・デイヴィスとの『ルグラン・ジャズ』の、『ディンゴ』の、オスカー・ピーターソンとの『トレイル・オヴ・ドリームズ』の。『アイ・ラヴ・パリ』の、『ジャズ・ルグラン(LE JAZZ GRAND / MICHEL LEGRAND & CO.)』の。いや『壁抜け男』や『マルグリット』という人だっているかもしれない。どれかひとつがふと浮かぶ、というより、いくつもがつぎつぎに、という人もいよう。どれかひとつ、なんてことは無理だ。そのときどきに違ったものが浮かぶし、たまたま〈いま〉だから〈これ〉なんじゃないか、という人だって、きっと。

 わざわざ列挙しなくたっていい、とおもわれるかもしれない。そのとおり。こうして、わたし自身、メモをとりながら、ちょっと調べて、そうそう!とキーボードに打ちこみながら、おもいだしている。タイトルがおもいだせれば、曲も浮かぶ。オリジナル曲じゃなくなっていい。『ハッピー・ラジオ・デイズ』があり、『ルグラン/グラッペリ』がある。フォーレとデュリュフレの“レクィエム”があり、サティ曲集が、ゴットシャルク、ジョプリン、ビーチ、コープランド、ケージらによるアメリカ作品集がある。ルグランだけ聴いていても、ある独特の広がりが、多少偏っているとはおもうが、得られるはずだ。

 何度もオーケストラを、ピアノ・トリオを聴いた。一度だけインタヴューをさせてもらった。饒舌である。弾くように喋り、喋るように弾く。気に入らなければいなしすっとばし、気に入れば大波小波、音の、ことばの粒があふれ、沸騰する。

 言いたいことは言う。自伝を読んでいてもわかる。相手がそれなりに名のある人物でも、自分をとおす。シャルル・トレネとのしごとを一回やって、大変だったと、もう二度と電話をかけてこないでほしい、と本人に言っている。でも、ちゃんとはなしもする。できる。ソロもとれるしアンサンブルもでき、オーケストラをコントロールもする。人と関係性がつくれる。アメリカでの1コマをジャック・カネッティが自著で紹介していた。モーリス・シュヴァリエのため、アレンジした譜面を持ってアメリカに行った、と。だが、オケの編成がルグランのスコアとあわない。ルグランは徹夜でなおして、スタジオに。今度は、放送の尺が合わない。多くの部分を削らなければ! カネッティは困惑する。でもルグランは言うのだ。尺は決まってる、切られてもかまわない、と。ちなみにこのエピソード、前半は自伝にもあるが、後半は省かれている。それがルグラン、あけすけでいながらどこかがシャイなルグランなのだ、きっと。それは音楽にもつながっている。

 妥協はしない。とはいえ、柔軟に対応することができる。相手のことば、相手の音を聴く。オスカー・ピーターソンとピアノ・デュオをYouTubeでご覧あれ。ルグランのソロからピーターソンのソロへ。ブリリアントなパッセージがつぎつぎと。そしてカメラはルグランの表情をとらえる。ルグランはちょっと口をあけ、かわいらしい眼でピーターソンをみているじゃないか。そんな姿勢。そうだ、自伝にはさまざまな人との出会いが記されているけど、交友のなか、友人・知人のことばをちゃんと聴き、記憶しているルグランがいる。

 ルグランはピアノを弾く。音楽家どうしなら、ことばのかわりに、ピアノで発音、発言し、応える。特段新しさを求めたりはしない。おなじようなフレージングやリズムはあまたあり、常套的でさえある。凡庸なピアニストだって弾くかもしれないし、弾いているだろう。しかし、違うのだ。ほんのわずかなわずかな間のとり方、呼吸、タッチ、ひびきが。それがスタイルと呼ばれ、一括りになるものとの違い。〈そう〉というひと言が、会話のなかで、無限のニュアンスを持つように。

 師ナディア・ブーランジェとストラヴィンスキーに会ったとき、若きルグランはかちかちになりながらも、ブーレーズの“春の祭典”分析のはなしをもちだす。ロシア出身の作曲家は、自分で考えたこともないことをいろいろ見つけているとコメントした後で、述べたというのだ──

 「本物の創作者は、自分がなにをしているか、けっして自分では分からないものだよ」(p.256)

 と。そしてルグランはつづける──

 この言葉は私に啓示のような効果をもたらし、私の人生を照らしていくことになる。このときから、私は一六分音符ひとつひとつの存在理由を気にする必要はないと悟った。疑問や孤独にかかわらず、自分の直感を信じて思い描いた通りの道を進むべきだ。作品が成功していれば、その美しさはことさら強調しなくても人々を感動させるだろう。(p.256)

 20世紀の終わりのころ、ルグランの新しい作品を耳にする機会はあまりなかったようにおもう。こちらにあまり情報感知力がなかったのかもしれないし、手掛けた映画や舞台が届かなかったのかもしれない。それが、21世紀になり、2010年代になってくると、規模の大きな作品の発表が届くようになってきた。オペラ『ドレフュス』があり、“ピアノ協奏曲”や“チェロ協奏曲”、あるいは、ナタリー・デセイのためのオラトリオ“ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモロウ”があった。そう、2016年、ハンブルク・バレエが来日し、『リリオム − 回転木馬』(ジョン・ノイマイヤー振付)を公演したのは貴重だった。ミュージカルとしても知られている作品を、ルグランはあらたに通常のクラシック型オーケストラとジャズ・ビッグバンドの双方を用い、さまざまなコントラストをつくりあげていた。そしてこれは同時に、師ブーランジェがバレエの音楽を書きなさいと勧めてきたことへの、60年ぶりのレスポンスでもあった。

 わたしは、といえば、作曲家になるならルグランのようになりたい。ちょっとだけ、そうおもったこともある。フレッド・アステアになりたいとおもったこともあるし、アストル・ピアソラになりたいとおもったことだってある。だが、すでに家にあったクラシックを中心とする数十枚のLP以外に、はじめて小遣いで買ったEPは、『シェルブールの雨傘』のテーマ曲だったのだ。

 ジャズを、私は理性と頭脳、そして私のテクニックをもって愛し、同時にからだでも愛した。ジャズは感覚的なもの、虜になるものだ。(……)バッハ、モーツァルト、ラヴェルは私の母国語だったが、ジャズは最初の日常言語になった。交響曲作家か、バップ作曲家か、どちらの道を取ろうか? どうやって選ぼうか? あるいは、そもそもなぜ選ぶのか? これらの文化を全部混ぜ合わせて結びつける方法は存在しないのだろうか? 一六歳のときに抱いたこの根源的な疑問が、私の作曲家人生の基礎となっていく。(p.108)

 ルグランはいなくなった。でも、なんとか、大丈夫だ、きっと。その音楽を記憶しているから、口ずさめるから、愛しているから。

 Merci Michel, À bientôt!


◯引用のページは『ミシェル・ルグラン自伝』、濱田高志監修、高橋明子訳(アルテスパブリッシング)による。

 


ミシェル・ルグラン(Michel Legrand)【1932-2019】
パリ出身のピアニスト/作曲家。指揮者/作曲家のレイモン・ルグランを父にもつ音楽一家で育つ。パリ音楽院でブーランジェに学び、首席で卒業。卒業後はジャズ・バンドを結成し、ソヴァージュに提供した“パリ・カナイユ”がヒット。マイルス・デイヴィスと共演するなどジャズの分野で活躍する一方、60年代以降は『シェルブールの雨傘』ほか多くの映画音楽を作曲。『華麗なる賭け』の主題歌“風のささやき”などでアカデミー歌曲賞を3度、グラミー賞は5度受賞。世界中のアーティストがルグランの曲をカヴァーしている。2019年1月パリの自宅で死去。86歳没。

 


寄稿者プロフィール
小沼純一(こぬま・じゅんいち)

早稲田大学文学学術院教授。第8回出光音楽賞(学術研究部門)受賞。音楽文化論、音楽・文芸批評の分野で幅広く活躍。執筆したライナーノートも数多く、著書に『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック』『魅せられた体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』(以上、青土社)、『ピアソラ』(河出書房出版)、『武満徹 その音楽地図』(PHP出版)ほか。訳書に、ミシェル・シオン『映画の音楽』(監訳みすず書房)など。2月は残酷な月(February is the cruellest month)――大学でしごとをしていると、この時期、そのおもいを噛みしめる。ぎしぎし、ぎしぎし、奥歯が砂を噛むように。つみあがった紙の束に占拠された部屋をみおろす家人のつめたい視線もまた……。はやく3月に、せめて、3月になれば!