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初期のミツメ

O-nestやU.F.O. CLUBの先輩たちを見ながら考えたこと

――今回、シャムキャッツはファースト・アルバム『はしけ』のリリースから、ミツメは結成してから10周年ということで、お互いの出発点も振り返っておこうかと。シャムキャッツは、これまでの話にあったようにUSインディー的な価値観が、特に活動初期は軸にあった印象ですね。レーベルでいえばmap及びSweet Dreams Press、あるいは7epのような。

夏目「あー、そっちも完全に入っているね。僕らはライヴハウスでいうとO-nestと(東高円寺)U.F.O. CLUBで主にやってきたのもあって、渋谷っぽい価値観と高円寺っぽい価値観を混ぜつつやってきたんですよね。その一方で、僕はmapの小田(晶房)さんが店主を務めるなぎ食堂で昔バイトしてたんですけど、そこでは王舟や見汐(舞衣)さん、mmm、かえる目の木下(和重)さん、テニスコーツの植野(隆司)さんも働いていて。そこで精神性が植え付けられたのはあると思う」

川辺「僕らもバンドを始めた当初は、ライヴハウスに出るとなったら高円寺のCLUB LINERとか、あとは新宿Motionみたいな感じで。なんて言ったらいいんだろう……ちょっとフォークを激しくしたような価値観のバンドが多かったというか」

夏目「そうだね(笑)」

川辺「なので、普段聴いていた音楽とのギャップを感じながら活動していました。これはよく話している話なんですけど、最初にdisk unionでファースト・アルバム『mitsume』(2011年)を委託販売したときは3か月で4枚しか売れなくて」

夏目「それは売れてないね!」

川辺「しかも、ポップが〈スピッツmeetsレミオロメン〉っていう感じで。好きなのは置いておいて、当時自分たちの志向していた形と紹介のされ方のギャップがすごくて」

――理解されてなさがヤバイ(笑)。

川辺「あれは食らいましたねー。そういうことを経たあとで、JET SETで取扱いしてもらうようになって、いまも活動を支えてくれるような人たちに出会ったり。三鷹のおんがくのじかんに出演したときに、〈こんなにちゃんと作ってるんだったら〉ということで、流通会社のBRIDGEを紹介してもらったんですよ。おかげでタワレコとかにCDを置いてもらえるようになり、イヴェントにも誘ってもらえるようになって。ノルマを払ってライヴハウスに出ることもなくなったのはそれくらいの時期。それと同じタイミングでシャムキャッツにも出会ったんです」

『mitsume』収録曲“クラゲ”

――ミツメにとってのシャムキャッツみたいな感じで、シャムキャッツが共感を覚えたり、バンドの在り方を教わったりしてきたのはどんな人たち?

夏目「さっき話した2つのライヴハウスでいうと、ヘンな奴らが集合して、〈やっぱり東京は裾野が広いな、いろんな奴がいるんだな〉と教えてくれたのはU.F.O. CLUB。どうやってもマジで勝てないすごい奴、強い個性とか音楽的な力を持っている人がいて、そういう人はお客さんを全然集められなかったりもするんだけど、その現場を目の当たりにして、音楽のおもしろさと人気のある/なしは本当に関係ないなとよく思ってた」

――なるほど。

夏目「で、nestには、どうやって前を向いていくかを教えてくれる人が多かった。店長の岸本(純一/現O-EAST店長)さんもそうだし、直接ではないけどgroup_inouのやっていることや、もちろんトクマル(シューゴ)さんからも教わることは多かったし。あとは解散してしまったバンドを見ながら、もうちょっとこういうふうにしたほうが続くのかなって考えたりもしましたね。わかりやすい目先の目標にこだわりすぎて、無理やり音源を作ったり、強引にバンドを動かそうとすると、どんどん仲が悪くなっていくんだなとか。無理に(出演する)ハコを大きくしないほうがいいのかなとか、近くでいろんなことを学びました」

シャムキャッツのO-nestでのライヴ映像。2011年

――そんなふうに、ミツメもいろんなバンドを見て学んだことはありますか?

川辺「あー、どうだろう。最初の頃はわからないことが多くて、それこそnestに出ていたバンドにも相談してましたよ。でも、だんだんわかってきたのは、上手くいっている人たちはみんな例外なんですよ。元も子もない話だけど」

夏目「確かに(笑)」

川辺「だから途中からは、〈もうええわ〉みたいになりました。僕らの場合は録音ができればオッケーってところがあって。それを続けるためにどうするべきかは考えますけど、バンドとしての行動指針みたいなのは、そんなに定めてきてこなかった気がします」