(左から)夏目知幸、川辺素
 

シャムキャッツがデビュー10周年を迎えた。いまとなっては安定感すら漂う彼らだが、渋谷O-nestで観た初期のライヴを思い出すと、今日まで続けてこられたのが快挙のように思えてしまう。リリカルな歌心はすでに輝いていたが、何が起こるか予測不可能な、ローファイでハチャメチャなバンドというのが個人的な第一印象で、その名残りは最初のアルバム『はしけ』(2009年)にも刻まれている。そんな無邪気なイメージも、2011年の名曲“渚”から一変。そこから作品を重ねるごとにモードを切り替え、浦安の4人組は数多くの名曲を生み出しながら(記事〈シャムキャッツみずから選ぶ運命の10曲! 〉を参照)、頼もしく成長してきた。

そのファンタスティックな足取りを確かめるため、今回はシャムキャッツの夏目知幸と、親交の深いミツメの川辺素による対談を実施することに。ミツメもまた、時間をかけてオリジナリティーを確立してきたバンドであり、奇しくも結成10周年の節目を迎えたばかりだ。対バンはもちろん、ソロ同士で弾き語りライヴ企画〈ナツメとミツメ〉などで共演歴もあり、飾らない佇まいや音楽的ルーツでも重なる部分が多そうな両者。お互いを意識しながら同時代を駆け抜けてきた二人と、活動のハイライトを振り返りつつ、長い年月をインディー・バンドとして歩み続けることができた理由を掘り下げてみた。

ちなみに、シャムキャッツは12月13日(金)に開催する〈10周年記念ライブ at STUDIO COAST〉を映像作品化するためのクラウドファンディングを、7月10日(水)まで実施中。片やミツメは、先ごろリリースされた新作『Ghosts』を携えてのツアー中で、同じ7月10日に恵比寿LIQUIDROOMでの東京公演を控えている。そんな偶然も重なった両者が、その出会いから最近のトピックまでを和やかに話した。

 


川辺が夏目にデモCDを渡したのが最初の出会い

――もう10年ですって。

夏目知幸(シャムキャッツ)「ねえ、いつの間にか」

川辺素(ミツメ)「そうなんですよ」

――いつの間にか、という感じ?

夏目「うん」

――あっという間、という感じでもある?

夏目「いや、〈いつの間にか〉のほうが近いかな。あっという間ではない」

川辺「ですよね、なんとかこれたって感じ」

夏目「最初から10年やろうと目標を立てて始めたなら、やったー!ってなるかもしれないけど」

――目標といえば、最近はまた武道館をめざすバンドが増えてるって話もあるらしいですね。そういうの興味あります?

夏目「ホントは結構めざしてますよ」

川辺「僕もやりたいです。2017年にザ・コレクターズを観に行ったのが初めての武道館だったってくらい最近だし、何が何でもという感じではないけど。でも30周年の集大成みたいなライヴだったし、やっぱり良いなーって」

夏目「俺は(忌野)清志郎さんの復活ライヴを観たな。あと、年末にやってる矢沢永吉のライヴにも行ったし、キャロル・キングとジェイムス・テイラーも観た」

――武道館で観てきた顔ぶれに、パーソナリティーの違いが滲み出ている気がしますね。さっき撮影中に夏目くんは胡坐をかいて、川辺さんは体操座りだったけど、そういうところも。

夏目川辺「(微笑)」

――そんな二人が知り合ったのはいつ頃?

夏目「最初は新宿MARZで。シャムキャッツのライヴが終わったあと、外に出ようと思ったら階段に川辺がいて。〈シャムキャッツと昆虫キッズが好きなんです〉ってデモCDをくれたんだよね」

川辺「2011年だったかな。Turntable Films、cero、シャムキャッツのスリーマンでした。自分たちも出るようなライヴハウスで演奏しているバンドで、好きだと思える存在にやっと出会えたと思って。それで何も考えず渡しに行きました」

※2011年9月25日
 
初期のシャムキャッツ
 

――シャムキャッツのどんなところが良かったんですか?

川辺「その頃は〈Pitchfork〉やブログ文化の全盛期でしたよね。そこからUSインディーとか海外の音楽を夢中になって聴いてきたので、〈日本にも同じような音楽を聴いてバンドをやっている人がいるんだなー〉って。しかもシャムキャッツは、自分たちなりの解釈でもって演奏しているのが伝わってきたし、そこがすごいなと思ってました」

――夏目くんがその後、ミツメを意識するようになったのは?

夏目「川辺からデモをもらったのは、ちょうど同世代が淘汰されだしたタイミングで。〈Tokyo New Wave〉ってシーンが少し前にあったんだけど、そこにいたバンドがダメになったり、メジャー志向になって音楽性を変えていったりして、仲間っぽくやってきた人たちと疎遠になるんですよ。その頃は七針でやっている人だとか、ceroとか武蔵野のほうでやっている人たちがおもしろくなっていたのでて、シャムキャッツや昆虫キッズは自然とそっちに合流したんです。そんななかで、ミツメなんかは(自分たちと同じように)アメリカのインディーとかを好きな人が出てきたんだなって。デモを聴いたらカッコよかったし、どっかで一緒にやるんだろうなーと思った。実際にそのあと、すぐ一緒にやったんだよね」

川辺「あーそうだ。僕らの先輩たちの企画でご一緒する機会があって。話をするようになったのはそのくらいですかね」

※2011年10月22日〈DaisyBar Autumn Fes 2011~タカユキカトー&ヨシユキカトー(Daisy Bar)の紹介による「正式な日本語ロック1」~〉 出演:ひらくドア/シャムキャッツ/ヤーチャイカ/ミツメ(O.A.)
 
初期のミツメ

 

O-nestやU.F.O. CLUBの先輩たちを見ながら考えたこと

――今回、シャムキャッツはファースト・アルバム『はしけ』のリリースから、ミツメは結成してから10周年ということで、お互いの出発点も振り返っておこうかと。シャムキャッツは、これまでの話にあったようにUSインディー的な価値観が、特に活動初期は軸にあった印象ですね。レーベルでいえばmap及びSweet Dreams Press、あるいは7epのような。

夏目「あー、そっちも完全に入っているね。僕らはライヴハウスでいうとO-nestと(東高円寺)U.F.O. CLUBで主にやってきたのもあって、渋谷っぽい価値観と高円寺っぽい価値観を混ぜつつやってきたんですよね。その一方で、僕はmapの小田(晶房)さんが店主を務めるなぎ食堂で昔バイトしてたんですけど、そこでは王舟や見汐(舞衣)さん、mmm、かえる目の木下(和重)さん、テニスコーツの植野(隆司)さんも働いていて。そこで精神性が植え付けられたのはあると思う」

川辺「僕らもバンドを始めた当初は、ライヴハウスに出るとなったら高円寺のCLUB LINERとか、あとは新宿Motionみたいな感じで。なんて言ったらいいんだろう……ちょっとフォークを激しくしたような価値観のバンドが多かったというか」

夏目「そうだね(笑)」

川辺「なので、普段聴いていた音楽とのギャップを感じながら活動していました。これはよく話している話なんですけど、最初にdisk unionでファースト・アルバム『mitsume』(2011年)を委託販売したときは3か月で4枚しか売れなくて」

夏目「それは売れてないね!」

川辺「しかも、ポップが〈スピッツmeetsレミオロメン〉っていう感じで。好きなのは置いておいて、当時自分たちの志向していた形と紹介のされ方のギャップがすごくて」

――理解されてなさがヤバイ(笑)。

川辺「あれは食らいましたねー。そういうことを経たあとで、JET SETで取扱いしてもらうようになって、いまも活動を支えてくれるような人たちに出会ったり。三鷹のおんがくのじかんに出演したときに、〈こんなにちゃんと作ってるんだったら〉ということで、流通会社のBRIDGEを紹介してもらったんですよ。おかげでタワレコとかにCDを置いてもらえるようになり、イヴェントにも誘ってもらえるようになって。ノルマを払ってライヴハウスに出ることもなくなったのはそれくらいの時期。それと同じタイミングでシャムキャッツにも出会ったんです」

『mitsume』収録曲“クラゲ”
 

――ミツメにとってのシャムキャッツみたいな感じで、シャムキャッツが共感を覚えたり、バンドの在り方を教わったりしてきたのはどんな人たち?

夏目「さっき話した2つのライヴハウスでいうと、ヘンな奴らが集合して、〈やっぱり東京は裾野が広いな、いろんな奴がいるんだな〉と教えてくれたのはU.F.O. CLUB。どうやってもマジで勝てないすごい奴、強い個性とか音楽的な力を持っている人がいて、そういう人はお客さんを全然集められなかったりもするんだけど、その現場を目の当たりにして、音楽のおもしろさと人気のある/なしは本当に関係ないなとよく思ってた」

――なるほど。

夏目「で、nestには、どうやって前を向いていくかを教えてくれる人が多かった。店長の岸本(純一/現O-EAST店長)さんもそうだし、直接ではないけどgroup_inouのやっていることや、もちろんトクマル(シューゴ)さんからも教わることは多かったし。あとは解散してしまったバンドを見ながら、もうちょっとこういうふうにしたほうが続くのかなって考えたりもしましたね。わかりやすい目先の目標にこだわりすぎて、無理やり音源を作ったり、強引にバンドを動かそうとすると、どんどん仲が悪くなっていくんだなとか。無理に(出演する)ハコを大きくしないほうがいいのかなとか、近くでいろんなことを学びました」

シャムキャッツのO-nestでのライヴ映像。2011年
 

――そんなふうに、ミツメもいろんなバンドを見て学んだことはありますか?

川辺「あー、どうだろう。最初の頃はわからないことが多くて、それこそnestに出ていたバンドにも相談してましたよ。でも、だんだんわかってきたのは、上手くいっている人たちはみんな例外なんですよ。元も子もない話だけど」

夏目「確かに(笑)」

川辺「だから途中からは、〈もうええわ〉みたいになりました。僕らの場合は録音ができればオッケーってところがあって。それを続けるためにどうするべきかは考えますけど、バンドとしての行動指針みたいなのは、そんなに定めてきてこなかった気がします」